止まない雨はございません

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

止まない雨はございません

「え? 無いんですか?」 「申し訳ございません。あいにく当店には只今『止まない雨』の在庫がございませんで……」  済まなそうに頭を下げる店員を見て、僕はガックリと肩を落とした。ここも空振りだった。せっかく日曜日を利用して、隣町までやってきたと言うのに。  来月都内で開かれる小説コンクールの題材として、どうしても必要な『止まない雨』。  しかしこの梅雨の時期、他の参加者が我先にと買い占めているのか、はたまた欲しがっている人が世間にそんなにいるのか、『止まない雨』は何処を探しても売っていなかった。  店を出て、僕は天を仰いだ。外は日差しが眩しく、目が痛くなるほどの晴天だった。  一体誰が『止まない雨はない』なんて言い出したんだろう。  本当に無いと、こう言う時に非常に困るじゃないか。  僕は額を伝う汗を拭った。どうしよう。『お題』が手に入らない。このままではコンクールに参加できそうにない。一体何処に、『止まない雨』は売っているんだろうか……とぼとぼと歩き出した僕に、後ろから声がかけられた。 「あのぅ……すみません」  さっきの『お題屋』の店員さんだった。彼女は小さく息を切らしつつ、申し訳なさそうに僕を見上げた。 「あのぅ、『止まない雨』の在庫、ウチにはないんですけど……」  ここから三つ目の角を曲がった先の、公園で『止まない雨』を見かけたって、お客さんが今言ってました。 「ありがとう」  そんな耳寄り情報をもらい、僕は店員さんにお礼を言って、早速三つ目の角まで歩いた。  果たして角を曲がると、右左に住宅が立ち並ぶ細い路地にこじんまりと、小さな公園が見えた。草花の香りが鼻をくすぐる。公園に入ると、橅木の下に、小さな女の子が座り込んでいるのが目に飛び込んできた。  小学生くらいだろうか。赤いランドセルを膝下に放り出したその子は、日陰で顔を埋めて泣いていた。恐る恐る近づいても、女の子はぐずぐずと鼻を鳴らしたまま、僕を見ようともしなかった。  どうしたの? そう尋ねてみたけれど、返事はなかった。嗚咽、蝉の音、入道雲。僕はオロオロと辺りを見回した。親御さんはいないのだろうか。しばらくして、女の子はゆっくりと頭上を指差した。 「ははぁ……」  なるほど。頭上を覆う橅木を見上げて、僕はようやく合点が言った。 「ふ、風船が……」  女の子が再び泣きじゃくった。 「風船が、木に引っかかっちゃったの……!」  チラチラと木漏れ日が差し込む緑の天井には、ちょうど枝葉の部分に、赤い風船が引っかかっているのが見えた。女の子は泣き止みそうもない。『止まない雨』だ。風船は風に揺られて、今にも空に吸い込まれそうになっていた。 「待ってて」  僕はそれだけ言うと袖をまくった。木登りなんて、それこそ小学生以来だが、致し方がない。幹のコブやら、上手いとこ“とっかかり“を見つけて足をかけては、慎重に上へ上へと登っていった。蝉の声が耳を劈く。数分後、僕は背中にびっしょりと汗を掻きながら、何とか赤い風船を回収できた。 「ありがとう!」  女の子は風船を受け取ると、ぱあっと顔を明るくした。泣き止んだ少女は、しっかりと風船のひもを握りしめ、嬉しそうに公園の外に出ていった。 「あ……」  しまった。   『止まない雨』を回収するのを忘れていた。  先に『雨』だけもらって、その後風船を回収すれば良かったのに。僕は思わず笑ってしまった。力が抜けたようにその場に座り込み、それから良く晴れた空を見上げた。カンカンに照りつける太陽は、これからしばらく雨すら降りそうになかった。 「お兄ちゃん!」  すると、向こうからさっきの女の子が駆け足で戻ってきた。右手には赤い風船と、それから小さな左手に握りしめられた、 「はい、これ!」  差し出されたのは、油蝉だった。  油蝉は女の子の掌の中で震え、大きな鳴き声を公園に木霊させた。蝉の鳴き声の雨。なるほど、これも一つの『止まない雨』には違いない。僕は女の子にお礼を言って、油蝉を受け取ると、早速家に帰ってこれを題材に小説作りに取り掛かった。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!