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私の勤める(株)遊心は、遊び心あふれる文具を作る中堅の文具メーカーだ。しかし、数年前、不況に備えて、社長同士が友人関係にある日本有数の商社、ダイヤ商事(株)と資本提携を決めた。
そして、来週から、社長が半年間の病気療養に入ることを受けて、今日からダイヤ商事の偉い人が社長代理としてやってくるらしい。
だから、みんな、のびのびと自由な発想が売りのうちの会社の体制が変わってしまったらどうしようと心配している。
私たちは、一緒に満員電車に乗り込む。満員電車はいつものこと、特に気にすることもなく乗り込んだけれど、涼さんはドアに手を突いて、私のための空間を作ってくれる。
「あの、大丈夫ですから」
私は、囁くように涼さんに声を掛ける。たかが10分とはいえ、これでは涼さんが疲れてしまう。すると、涼さんは、唇の端にかすかに笑みを浮かべて囁いた。
「愛する妻を守るのは夫の務めだからな」
ボッと私の顔が燃え上がった。
今、愛する妻って言った?
それって、私のことだよね?
お見合いが嫌で、勢いだけで結婚したのに、なんで?
その言葉の真意が掴めなくて、でも、恥ずかしくて、私は涼さんを見上げることも出来ず、ただ目の前の涼さんのネクタイをじっと見つめていた。
10分後、2人で同じ駅で降りると、涼さんとはそこで別れた。
勤め先の最寄り駅まで一緒なの⁉︎
驚いたけれど、よく考えたら、この駅前のピアノバーで私たちは出会ってるんだから、当然といえば当然だった。
あーあ、俊に会いたくないなぁ。
仕事中は、部署が違うから、ほとんど接点はない。でも、やはり同じ社内だもん、エレベーターや社員食堂で会わないとも限らない。
私は憂鬱な気分で会社まで歩き、エントランスを抜ける。
ほっ……
エレベーター前に俊はいない。幸い、朝は、俊に会うことなく部署にたどり着くことができた。
ところが、10時、全社員が会議室フロアに集められた。普段、可動式のパーテーションで6室に仕切られた会議室フロアだが、今日は、全てのパーテーションを取り払い、全社員が入れる大広間のようになっている。
私は、同じ部署の後輩、美希ちゃんと部屋の後方の隅に陣取った。すると、美希ちゃんが私の腕をとんとんと叩いて呼ぶ。
「莉緒さん、鵜飼さんですよ!」
鵜飼さんとは、もちろん俊のこと。私は、美希ちゃんの袖を軽く引いて、そっと耳打ちする。
「あのね、俊とは別れたの」
「ええっ⁉︎」
突然、大声を上げた美希ちゃんにほぼ全社員の視線が集まる。もちろん俊も。私は、美希ちゃんと一緒に「すみません」と何度も呟きながら、ペコペコと頭を下げた。
「何があったんですか?」
その場が収まるや否や、美希ちゃんはひそひそと訪ねてくる。
「それは、ここじゃ……。また後でね」
私は、そう言って、美希ちゃんをなだめて、前を向いた。
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