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急かされながらも朝食を終えた。結局皿洗いは、妹がやってくれる。
働いているわけでもなく、学校に通っているでもない。なのに、家事すらまともにできない。情けないやら申し訳ないやら、そういった感情を飛天は露にしない。
「サンキュ」
素直に謝るには、プライドが高すぎた。家族に対してすら、いや、家族だからこそ、飛天は今までの自分と変わらないのだと見せたかった。
とはいえ、朝食後に行くべき場所もなく、やりたいこともない。スマートフォンを手にしているものの、インターネットでニュースサイトを見ることすら、いまだに嫌悪感が募る飛天は、ただ握っているだけだった。同じ理由で、SNSの類も一切やっていない。ゲームアプリにも興味がない。
飛天がテレビを見るのも嫌だということを知っているので、最初から電源は切られている。妹の水仕事の音だけが聞こえる中、ソファに座った飛天は、そのまま眠気に身を任せて、目を閉じた。
「お兄ちゃん。携帯、鳴ってるよ」
言われて、掌の中で振動していることに気がついた。珍しい。
「……次郎?」
表示されているのが幼なじみの名前だったので、飛天は思い切り眉根を寄せた。
金村次郎もまた、今も昔も、飛天のことを特別扱いしない存在だった。
小さい頃からぽっちゃりした体型で、運動も勉強も苦手だが、とにかく性根が優しい。喧嘩のときでも、身体に見合ったのんびり口調に毒気を抜かれて、飛天は何に対して怒っていたのか忘れてしまうのが、常であった。
彼との主なやり取りは、メールだった。以前は忙しい飛天のことを慮って。今は他人とのやり取りを好まず、次郎とも「ある理由」から距離を置こうとしている飛天のことを知っているから。
そんな男が電話をかけてくる。しかもすぐに切らない。何か緊急性のある用事だろうか。咄嗟にそんな事情は思い浮かばない。
しぶとく鳴り続けるコール音に覚悟を決めて、飛天は通話ボタンを押した。
「もしもし?」
飛天の定型文に対して、次郎はよほど焦っているのか、「ひーくん、明日暇? 暇だよね?」と、勢い込んでいる。
いや落ち着け。冷静になって話してくれないと、そっちの事情がわからない。
暇なのは否定しないけれど。
『ちょっとバイト先の人手が足りなくなっちゃって、困ってるんだ』
なるべく動ける人を探している。飛天ならば問題ない。何せ、百発百中でバク転を美しく決めることができる男だ。
『とにかく、本当に困ってるんだよ。バイト代は弾むって、上の人間も言ってるんだ。助けてほしい』
声がくぐもって聞こえるのは、まさか電話をしながら最敬礼でもしているせいか。いや、そんなはずはないだろう。ただ、顔周りの肉が邪魔をしているだけだ。
「でも」
なるべく外を出歩くのは避けたい。その気持ちも次郎はよく理解している。
『大丈夫。顔は出ないから!』
動けて顔を出さないバイト、とはいったいなんだろう。そもそも次郎は、どんな仕事をしているんだったか。聞いた覚えはあるが、流していた。
「なあ、次郎。そのバイト先って……」
皆まで言わせず、スマートフォンは飛天の手から奪い取られた。他でもない、妹の手によって。
すっかり身支度を整えた水魚は、
「じろーちゃん? お兄ちゃんは私が間違いなく現場に向かわせるから、住所と集合時間、教えて?」
サラサラとペンを走らせて、勝手に通話を切った。
「おい、水魚。俺、まだ行くって決めてな……」
「少しは稼いできなさいよ、このごく潰し」
にっこり笑顔に青筋を器用に浮かべている。経験上、この顔の妹に逆らってもロクなことにはならない。勝てないどころか、さらに厳しい条件を押しつけられて惨敗するのは目に見えている。
飛天は水魚の手からメモを、恭しく受け取った。
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