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「千愛も行く!」
前日から予想はしていた。
デジャブかと思うくらいに、その想像は一致していた。
朝、出掛けようとする空と万優。玄関にさしかかると、廊下を駆け抜けてくる千愛。そして、この台詞だ。
自分の想像力に天晴れ、と言いたいところだが、そんな能天気なことを言ってる場合ではない。
「今日は、映画見に行くだけだよ。千愛はつまらないと思うな」
万優は優しく言う。遠まわしな拒否。
「ヤダ、行く! だって、お兄ちゃん帰ってきたら遊んでくれるって言ったじゃない」
「それは……そうだけど……」
言葉に詰まる万優に、千愛は追い討ちをかける。
「お兄ちゃん、千愛に嘘ついてたの?」
その言葉と、瞳に溜まる涙には、万優が敵うわけもなく。
「……ごめん、空。今日の予定、変えていい?」
困った顔の万優に言われ、仕方なく空は頷いた。
「千愛、どこに行きたい?」
万優は妹に優しく聞く。
空は小さくため息をついた。別に、どうしても映画が見たかったわけではない。どうしてもしたかったのは、万優との二度目のデートだ。三人になるのなら、どこだって構わない。
「じゃあ……プラネタリウムに行きたい!」
「プラネタリウム?」
万優は聞き返す。千愛は頷いた。
最近は、プラネタリウムが見直されていると聞く。デートには、もってこいの場所であるし、見上げれば星空、という地域が減ってきているから、ということらしい。
三人は、千愛姫のご希望に添いプラネタリウムを目指すことにした。
駐車場で、昨日とは別の車に乗り込む。
運転席に万優、助手席に千愛、後部座席に空がそれぞれ乗る。少々不満な席ではあるが、大人はぐっと我慢だと空が小さくため息を吐く。そんな中、車はゆっくりと走り出した。
当たり前の話だが、万優の運転はさすがに上手だった。パイロットを目指すくらいだから、そうでなくてはならない。車の速度なんてたかがしれている……飛行機に比べれば。
空は、後ろから時折見える万優の左手を見つめていた。マニュアル車のギアを入れ替える度にしなやかな腕が一瞬骨ばって見える。その手に力が入るからだろう。
――確かオンナって生き物は、こういうのにトキメクんだっけ……?
空は何気ないことを思い出しながら、助手席の方を見ると、千愛の視線もその手と、万優の横顔に注がれていた。
嫌な想像をしてから、でも妹だ、と空は自分に言い聞かせる。そもそもこんなことを思っている時点で、自分の思考は大分おかしい。空は思いっきり、自分に対してため息をついてしまった。
そうこうしていると、大きな科学館が見えてきた。万優はその駐車場に車を入れる。
科学館の中へ入ると、プラネタリウムの上映時間はすぐだった。
三人は、中へ入り中央よりの席に並んで座った。
さすがに春休み。子供連れが大半を占めていた。まあ、言ってみれば自分たちも「子供連れ」だ。
『本日は星の世界へようこそ』
場内が暗くなり、ウグイス嬢のアナウンスが響く。
『今日は皆さんに春の夜空をご覧いただきます』
シートがゆっくりと倒れ始める。目の前に、キラキラと幾つもの光が輝き始めた。
「……久しぶりだな、星なんて」
「そのうちたくさん見るようになるんだろうけどね」
空の呟きに、万優が答えた。
「雲の上でな」
最近では、騒音問題などもあり、あまり遅くまでは飛ばない飛行機だが、それでも日が落ちてからのフライトは何便がある。
「いいね、ナイトフライト」
万優が言う。
その間にも天体は動いて、北極星が中心に輝き始めた。
『今日は春の星座の中から、おおぐま座、こぐま座のお話をしましょう』
正面の星空が消え、スクリーンになる。そこに、アニメのようなイラストが映し出された。これを使って、話を進めていくようだ。
ざっと内容はこうだった。
アルテミスに仕える妖精カリスト。彼女はとても美しく、ゼウスの心さえも虜にしてしまいました。やがてカリストはその体に子供を宿し、ひっそりと産みます。けれど、嫉妬深いゼウスの正妻ヘラに見つかり、カリストは熊の姿に変えられてしまいます。一方、子供のアルカスは優秀な狩人に成長しました。そして、ある日、母であるカリストに出逢いますが、その姿は熊。アルカスは迷わず矢を向けます。このまま何も知らずに母を殺してしまうのは可哀想だと思ったゼウスが、アルカスを小熊の姿に変え、二人を天上へ導いた…それがおおぐま座とこぐま座の話。
空が、その話の半分も聞かないうちに眠りに落ちていたのは言うまでもない。
「お兄ちゃん、次あっち!」
千愛が万優の腕を取り、館内を走り出す。万優はそんな妹に引き摺られる様に歩き出す。
そして、空はというと、その二人の背中を見ながらとぼとぼと付いて行く始末。
今日は、万優と二人で映画を見てカフェでランチ、午後はショッピングモールを巡って、洒落たフレンチでもディナーにして、もし、上手くいけばバーでも見つけて軽く呑んで……と、前夜から計画はたっていたのだ。
――それが、どうしてこうなる? 誰が想像できるだろう?
「千愛、あれやってくる! 待っててね」
宇宙船型の乗り物らしきものに向かって千愛が駆けて行く。どうやら、中に乗って正面スクリーンに宇宙のCGが映し出されるようなものらしい。
万優は、そんな千愛の背中を見送ってから、近くのベンチに座り込んだ。
「空」
一歩遅れて着いてきていたその人に笑顔で声を掛けた。
空は、愛しい笑顔の隣に腰を下ろした。
「……ごめんね。せっかくのデート」
「いや、仕方ないさ」
そう答えながらも心の中では『ホントだよ』とため息をつく。
「ところで、さっきの星座の話、俺笑い出しそうになっちゃった」
万優の言葉に、空が首を捻る。というのも、空は夢の中にいた時間の方が圧倒的に多かったからだ。
「……あれって、ゼウスが悪いんでしょ? 確か。無理矢理自分のものにしたんじゃなかった?」
「ああ……ゼウスの特権だからな」
「嫌だなぁ、執権乱用、公私混同」
万優はため息をついて言った。
万優のような平和な坊ちゃんには、一生わからない気持ちだろう。
奪いたい、自分のものにしたい。
嫌がったって、なんだって、この腕に収めてしまいたい……そんな感情なんて。
だけど、空にもわからない感情もある。
「……俺は、わかんないね。あんなエロじじいの気持ちなんて」
「何それ」
神様であるゼウスに向かって「エロじじい」呼ばわりをしたことに万優は笑いながら聞く。
「俺なら……一人以外目に入らない。自分が選んだその人が運命だって、信じてるから」
「……空……」
空の言葉に、万優が驚いてその眼を見つめる。深い黒曜石の瞳に、その姿が映りこむ。
その姿が愛しくて、もしここが公共の場でなかったら、一気にコトに持ち込んでいた自信はある。残念ながら、近くをガキどもが駆けていっているような場所。空は今日、数えるのもうんざりするほど心の中でため息をついている。
「……お兄ちゃん?」
突然、背後からそんな声が響いて二人は我に返るようにその方を向いた。
千愛の視線が、空に刺さる。
「何……してたの?」
「何って…千愛ちゃんの体力についていけなくて休憩してるだけだよ」
「……見詰め合って?」
千愛の言葉に、万優が慌てる。
「なっ、何言ってんだよ、千愛。勘違いだろ。さ、そろそろ昼だ。千愛、何食べたい?」
機転を利かせ、万優は妹に聞く。千愛は、すっかりそのペースに嵌り、昼のメニューに頭が切り替わったようだった。
空は、二人の影で本物のため息をついた。
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