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WING3『境界線の向こう側』
「夜はダメよ、絶対に」
朝と同じ光景が、夕方の玄関で繰り広げられている。空は、予想していたことなので出掛けるときの恒例行事だと思い、ただ黙っていた。
「お母さん、お願い」
「ダメです」
頼み込む千愛に、母が強く言い放つ。
千愛は、空の目を睨み上げ抗議の感情をその視線に乗せた。
ガキに負けるかよ、が空の本音だ。
「ごめんな、千愛。中学に上がったら連れて行ってやるから」
「お兄ちゃん……」
泣き出しそうな目で、兄の顔を見上げる。
それでも、万優は優しい笑顔を残して、玄関を後にした。
二人は車に乗り込むとまずは万優オススメのイタリアンの店へ向かった。
「……雨……?」
しばらく走っているとフロントガラスに、水滴が当たり始めた。小さく、時々当たる程度だったが、雲が取れるかどうかは微妙だった。
「飯食ってる間に晴れるのを祈るしか無いな」
空は呟くように言った。隣でステアリングを握ったまま万優が頷いた。
ところが、夕飯を終えて店から出てもグレーの上空は、沈黙したままだった。
「どうする?」
万優が重い雲を見上げて聞く。
「雨は上がったみたいだな……とりあえず行ってみないか?」
「そうだね」
車のシートに滑り込んで、万優はセルを廻した。
「じゃあ、オススメの公園まで」
「お願いします」
万優はその言葉を受けて、笑顔で車を発進させた。
目指すのは、この辺りでも大きな公園らしい。ちょうど、高台の上にあって夏は花火大会も見られるそうだ。
ほんの十分かそこらで、その公園に辿り着くと、駐車場に車を停め、まだ濡れているアスファルトの上に降り立った。
「残念だねぇ……このへん民家とかないからすっごく綺麗に見えるのに」
万優がため息をつきながら上空を見る。
「……行こう、万優」
「え?」
歩き出した空に、万優が慌てて付いて行く。
階段を上り、更に高いところへ辿り着くと、眼下には、街の明かりが点となってちりばめられていた。
「雨上がりだから、空気が綺麗なんだね。クリアに見える」
万優はその景色に笑顔になっていた。
「星空だな」
「え……?」
空は夜景に背を向けると、そのまま上半身を折り、脚の間から顔をだした。
「こうすれば、満天の星空だ」
「……空……ありがと」
「どうして、お礼?」
「だって、俺……埋め合わせ出来て無いし……」
星空を見に、確かにその約束は果たされていない。それでも、空は体勢を戻して首を振った。
「これで充分だよ」
空は、万優と二人で出掛けたかっただけなのだから、充分で当たり前なのだ。星など二の次だ。二人きりで居られる、この時間が欲しかった。
「うん」
細く笑う万優に、空は近づいて聞いた。
「万優……お前にとって、俺って何だ?」
「……何…突然……」
驚いて、動揺する万優に、空は静かに話し始めた。
「千愛ちゃんから聞いたよ。俺はお前の『大事な人』だって。具体的に聞きたいんだ」
「それは……」
言いかけて、言葉が宙に浮く。
まだ恥ずかしいという気持ちが消えていない万優が、この手の質問に答えを言い渋るのは分かっていた。それでも、聞きたいと思ったのだ、万優の口から。
「……好きな人」
ようやく出たその答えは、空を満足させるものではなかった。
「それだけ?」
更に聞くと、万優は俯いて答えた。
「……俺のこと好きって言ってくれる人」
「それから?」
「……友達で、上級生で、尊敬してて……」
肝心の言葉が出てこない。万優が空のことを何だと思っているのか。それが聞きたい。
「違うよ。関係が聞きたいんだ。俺と、万優はただの友達?」
空の言葉に、首を振る万優。
空は、その様子に苛めてるような気分になってしまう。けれど、はっきりしたいのだ。
「じゃあ……何?」
優しく万優の両手を握る。すると、万優が顔を挙げて空の目を見つめた。
「……恋人……?」
その答えに、空は思わず万優を抱きしめた。疑問形なのはちょっと笑ってしまったが、それでも求めていた言葉だ。万優が空を恋人として認識している、それが分かっただけで空は嬉しかった。
耳元で『よくできました』と囁いた空に、万優が真っ赤な顔で頷いた。
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