WING3『境界線の向こう側』

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 車に戻って、さあ次はどうしようかと話題を切り替えると、万優は考えながら、キーを差し込もうとした。それを、空が止める。 「もう少し……ここに居よう」  空は、言うと万優に口付けた。自然なキスに、万優も構えることなく受け入れる。  そのまま万優にかぶさる様に左手をシートの脇に滑らせた。その手でリクライニングレバーを引く。  背もたれがゆっくりと二人の体重で倒れていく。フラットになったところで、ようやく空が唇を離した。  暗闇に光る万優の唇が色づいているのがわかる。たまらなく、愛しかった。  空は、万優の着ていたジャケットのジッパーを下ろし、中のシャツ越しに、指を滑らせた。 「待って、空」 「待たない」  空は、万優の言葉をさらりと流して首筋に口づける。 「ダメだよ……ここじゃ。この車、要さんと共用なんだ。汚せない」 「汚さないようにするよ」 「ダメ」  万優は、両腕を突っ張って空の胸を押し返した。 「……ごめん、ダメなんだ……」  その表情は、読み取れなかった。けれど、外した視線から、万優が本当に悪いと思っているのがわかったので、空はゆっくりと助手席のシートに戻った。 「……寮では笑い飛ばされる、部屋じゃ誘っても無視、車は汚せないって……万優はホントに俺が好きなのか?」  万優はシートを元の位置に戻した。その顔が項垂れている。空はそれを横目で見ながら脚を組んだ。 「好きだよ、好きだけど……」  目を合わせることなく万優が答える。好きだけど、と言葉が切れることに空は苛立ちを感じた。 「……したくないのか?」 「そうじゃない。そうじゃないけど……」  万優が言葉を止める。何を言えばいいのか、思案しているのはよく分かった。  だけど、万優のペースには、付き合いきれない自分が居た。  万優と一つになりたい。深く知りたい。  情け無いくらい、焦っている自分が嫌だったけれど、想いは日ごとに増していく。早くこの人を自分のものにしたい。そうしなければ、いつか横から誰かに攫われてしまうような、そんな気がするのだ。  けれど、万優を傷つけてまで、悩ませてまですることでもない。  空は一つ、深呼吸のようなため息をついた。 「……帰ろう」  空の言葉に、万優は黙ったまま車を走らせた。  街の明かりが、傍を流れていく。行きよりも随分遠回りをしているのか、なかなか家には辿り着かなかった。  そして、万優はある場所で車を止めた。大きなマンションの来客用駐車場だ。 「……降りて」  万優はエンジンを切って、空に告げた。  空は訳も分からず車を降りた。 「万優、ここは?」  万優は空の疑問に答えることなく歩き出した。空も慌ててついていく。  マンションの中に入るとオートロックのインターホンを鳴らした。  押した部屋番号は最上階のようだ。 「俺……」 『万優……?』  その声は、どこかで聞いた声だった。  空が考える間もなく、ドアが開き中へ入る。  エレベーターはぐんぐんと上がり、最上階へと辿り着いた。そこには、玄関ドアが二つしか存在しなかった。それだけ中が広い、すなわち「高い」ということだ。  万優は、そのうちの一つのインターホンを鳴らす。出てきたのは、やはり空も会った事のある人物だった。 「ハルカさん……今日、泊めて」 「え? 泊めてって、あの部屋? 今日は随分少ない人数ね」 「うん」  言葉の数も少ない万優に、遥は心配そうにその肩を抱いた。 「空くん、だったわね? さ、入って」  玄関でぼうっとしていた空に遥が呼びかける。空は、その言葉に、室内へ入った。  予想通り広いリビング。奥には琉球畳のモダンな和室も見える。さらに奥へ続くドアもいくつか見える。そして、一番目を引くのが、リビングの端にある、螺旋階段だ。上った奥にもドアがあり部屋があることが分かる。 「……万優、どうかしたの?」  遥が心配になってその顔を覗き込む。  当然だ。いつもくるくると表情を変える万優が、今は能面のような顔をしているのだ。  心配するに決まっているだろう。けれど万優はそれに首を振って答えた。 「大丈夫……じゃあ、借りるね」  万優は遥に笑いかけると、その螺旋階段を上り始めた。 「空、こっち」  三段ほど上がってから、空に声を掛ける。空はその後に続いた。  その先のドアを開けて、二人が部屋へ入る。 ドアは、バタン、と重い音を立てて閉まった。 「……防音扉なんだ。この部屋も、防音になってる」  確かに、万優の声が、壁に吸収されているようだった。  本棚と、机に椅子……それだけが置かれた一室だった。 「ここ、ハルカさんの稽古部屋なんだ。いつでも声だし出来るように作ったらしいんだけど、いつも俺、友達と騒ぐときに借りてたんだよね。俺……ここしか思いつかなくて……」  それで、さっき遥は『人数が少ない』と言っていたのか、と空が合点する。  確かに万優の性格上、ホテルに行くなど出来ないだろう。車もダメ、家もダメ、そう考えているうちに思い出したのかもしれない。  叔父の家とは予想外ではあるが、空は考えてくれたという事実が嬉しかった。 「俺……俺、空が好きだよ」  万優は空の目を見て言った。 「うん、知ってるよ」 「だから……したくないわけじゃないんだ。もっと、空のこと知りたいって思うし……」 「分かったよ……いや、分かってたんだ。ごめんな、意地悪言って」  万優を抱きしめて空が言った。 「うん。ここなら、いいよ」 「いや、他人の家だし、万優の気持ちが分かったから、もういいよ」  一緒に居れるだけでいい、と空が言うと、万優が空を真剣な目で見上げた。 「防音になってるって、言った。そのために、ここに来たんだ」  決意したような眼差しが空を射る。一度決めたら戻らない万優の性格が、こんなところで出るとは思わず、空は視線を泳がせた。 「だけど……フローリングじゃ痛いよ」 「……俺と、したくないの?」 「いや、したい! ……ホントにいいのか?」  空の言葉に、万優が頷く。  諦めと、欲望が空の思考を止めた。  空は、万優にキスをした。深く、深く、愛しむように。
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