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車に戻って、さあ次はどうしようかと話題を切り替えると、万優は考えながら、キーを差し込もうとした。それを、空が止める。
「もう少し……ここに居よう」
空は、言うと万優に口付けた。自然なキスに、万優も構えることなく受け入れる。
そのまま万優にかぶさる様に左手をシートの脇に滑らせた。その手でリクライニングレバーを引く。
背もたれがゆっくりと二人の体重で倒れていく。フラットになったところで、ようやく空が唇を離した。
暗闇に光る万優の唇が色づいているのがわかる。たまらなく、愛しかった。
空は、万優の着ていたジャケットのジッパーを下ろし、中のシャツ越しに、指を滑らせた。
「待って、空」
「待たない」
空は、万優の言葉をさらりと流して首筋に口づける。
「ダメだよ……ここじゃ。この車、要さんと共用なんだ。汚せない」
「汚さないようにするよ」
「ダメ」
万優は、両腕を突っ張って空の胸を押し返した。
「……ごめん、ダメなんだ……」
その表情は、読み取れなかった。けれど、外した視線から、万優が本当に悪いと思っているのがわかったので、空はゆっくりと助手席のシートに戻った。
「……寮では笑い飛ばされる、部屋じゃ誘っても無視、車は汚せないって……万優はホントに俺が好きなのか?」
万優はシートを元の位置に戻した。その顔が項垂れている。空はそれを横目で見ながら脚を組んだ。
「好きだよ、好きだけど……」
目を合わせることなく万優が答える。好きだけど、と言葉が切れることに空は苛立ちを感じた。
「……したくないのか?」
「そうじゃない。そうじゃないけど……」
万優が言葉を止める。何を言えばいいのか、思案しているのはよく分かった。
だけど、万優のペースには、付き合いきれない自分が居た。
万優と一つになりたい。深く知りたい。
情け無いくらい、焦っている自分が嫌だったけれど、想いは日ごとに増していく。早くこの人を自分のものにしたい。そうしなければ、いつか横から誰かに攫われてしまうような、そんな気がするのだ。
けれど、万優を傷つけてまで、悩ませてまですることでもない。
空は一つ、深呼吸のようなため息をついた。
「……帰ろう」
空の言葉に、万優は黙ったまま車を走らせた。
街の明かりが、傍を流れていく。行きよりも随分遠回りをしているのか、なかなか家には辿り着かなかった。
そして、万優はある場所で車を止めた。大きなマンションの来客用駐車場だ。
「……降りて」
万優はエンジンを切って、空に告げた。
空は訳も分からず車を降りた。
「万優、ここは?」
万優は空の疑問に答えることなく歩き出した。空も慌ててついていく。
マンションの中に入るとオートロックのインターホンを鳴らした。
押した部屋番号は最上階のようだ。
「俺……」
『万優……?』
その声は、どこかで聞いた声だった。
空が考える間もなく、ドアが開き中へ入る。
エレベーターはぐんぐんと上がり、最上階へと辿り着いた。そこには、玄関ドアが二つしか存在しなかった。それだけ中が広い、すなわち「高い」ということだ。
万優は、そのうちの一つのインターホンを鳴らす。出てきたのは、やはり空も会った事のある人物だった。
「ハルカさん……今日、泊めて」
「え? 泊めてって、あの部屋? 今日は随分少ない人数ね」
「うん」
言葉の数も少ない万優に、遥は心配そうにその肩を抱いた。
「空くん、だったわね? さ、入って」
玄関でぼうっとしていた空に遥が呼びかける。空は、その言葉に、室内へ入った。
予想通り広いリビング。奥には琉球畳のモダンな和室も見える。さらに奥へ続くドアもいくつか見える。そして、一番目を引くのが、リビングの端にある、螺旋階段だ。上った奥にもドアがあり部屋があることが分かる。
「……万優、どうかしたの?」
遥が心配になってその顔を覗き込む。
当然だ。いつもくるくると表情を変える万優が、今は能面のような顔をしているのだ。
心配するに決まっているだろう。けれど万優はそれに首を振って答えた。
「大丈夫……じゃあ、借りるね」
万優は遥に笑いかけると、その螺旋階段を上り始めた。
「空、こっち」
三段ほど上がってから、空に声を掛ける。空はその後に続いた。
その先のドアを開けて、二人が部屋へ入る。
ドアは、バタン、と重い音を立てて閉まった。
「……防音扉なんだ。この部屋も、防音になってる」
確かに、万優の声が、壁に吸収されているようだった。
本棚と、机に椅子……それだけが置かれた一室だった。
「ここ、ハルカさんの稽古部屋なんだ。いつでも声だし出来るように作ったらしいんだけど、いつも俺、友達と騒ぐときに借りてたんだよね。俺……ここしか思いつかなくて……」
それで、さっき遥は『人数が少ない』と言っていたのか、と空が合点する。
確かに万優の性格上、ホテルに行くなど出来ないだろう。車もダメ、家もダメ、そう考えているうちに思い出したのかもしれない。
叔父の家とは予想外ではあるが、空は考えてくれたという事実が嬉しかった。
「俺……俺、空が好きだよ」
万優は空の目を見て言った。
「うん、知ってるよ」
「だから……したくないわけじゃないんだ。もっと、空のこと知りたいって思うし……」
「分かったよ……いや、分かってたんだ。ごめんな、意地悪言って」
万優を抱きしめて空が言った。
「うん。ここなら、いいよ」
「いや、他人の家だし、万優の気持ちが分かったから、もういいよ」
一緒に居れるだけでいい、と空が言うと、万優が空を真剣な目で見上げた。
「防音になってるって、言った。そのために、ここに来たんだ」
決意したような眼差しが空を射る。一度決めたら戻らない万優の性格が、こんなところで出るとは思わず、空は視線を泳がせた。
「だけど……フローリングじゃ痛いよ」
「……俺と、したくないの?」
「いや、したい! ……ホントにいいのか?」
空の言葉に、万優が頷く。
諦めと、欲望が空の思考を止めた。
空は、万優にキスをした。深く、深く、愛しむように。
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