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WING1『心の海溝 』
ベルトコンベアに乗って流れてくる荷物を片手で持ち上げる。そうしてから、大河空は
一緒にここへ降り立った人物を探した。
「荷物あったか?」
「まだ来ない……」
本人もトロいが、荷物までトロいのか…と空がため息をつく。
そんな空に、柚原万優は膨れっ面で反論する。
「俺のせいじゃないからね!」
「わかってる」
「でも、そんな顔してた!」
「してないね」
「してた!」
万優がむきになって喰ってかかる。睨み上げる視線に、空は更にため息をついた。
「いーよ、もう。してたかもしれない。謝るよ」
その言葉にようやく万優が笑顔を見せる。
「……ところで、今通り過ぎた鞄、お前のじゃないのか?」
空に言われて万優が振り返る。
「え? あ、あー! 待って!」
ベルトコンベアが終わる一歩手前で、万優は自分の鞄を鷲掴みにした。
――相変わらず疲れる奴だな。
久しぶりに逢った愛しい人への感想は、そんなものだった。
空が降り立ったこの空港は、万優の地元だ。短い春休みに、空は万優の自宅へ招待されていた。というのも、今日から数日空の実家はそれぞれの都合で留守になる。ひとり帰ってもつまらないので、寮に残ると話をしたら、何を思ったのか万優が強引に約束を取り付けたのだ。
寂しい、可哀想、とでも思ったんだろう……このお気楽お坊ちゃんは。
荷物を抱えて走りよってくる万優を見て空が思う。
「お待たせ。多分、母さんが迎えに来てくれてると思うんだ」
荷札の確認を受けてからゲートを出る。
万優は、きょろきょろと辺りを見渡した。
万優の母親……どんな人だろうか。
空が、万優の招待を素直に受けたのは、理由があった。一つは、どんな環境で育ったのか知りたかったから。出会って半年の二人は、まだ互いのことをあまり話していなかった。
そして、もう一つは――少しでも、傍に居られればと思ったから。
「お兄ちゃん!」
空が、万優の後ろ姿を見つめながらそんなことを思っていると、後方からそんな声が響いた。
「千愛」
万優が振り返り、笑顔で手を振る。
駆け寄ってきた少女は万優の胸にしっかりと納まり、その両腕を首に廻した。
「逢いたかったよぉ」
「うん、俺もだよ。いい子にしてた?」
「もちろん!」
万優から離れると、彼女は万優の右腕に、両腕を絡ませた。
「空、これが妹。千愛、挨拶して」
見上げる瞳が、空を射る。万優に向けているのとは別の、挑戦的な目だった。
「初めまして、こんにちは。柚原千愛です。いつもお兄ちゃんがお世話になってます」
愛らしい口調は年よりも幼いが、言ってることは立派だった。
「よろしく。大河空です。しばらくお世話になるね」
その様子に、万優が笑い出す。
「空が、語尾に『ね』だって!」
「万優!」
空は、その様子に鋭い視線を送った。
「ごめん……いや……うん。千愛と仲良くしてやって」
やっと笑いを収めて万優が言った。
「ああ……」
多少不機嫌な空は一言答えてから、千愛に視線をずらすと、その目は万優だけを見ていた。
空に妹は居ない。居るのは、兄だけなので、千愛の万優への執着ぶりは、どの程度のものなのか察しがつかなかった。もしかしたら、妹というのは、こんなものなのかもしれない。
「おかえりなさい」
その声に、顔を挙げると細身の上品な女性が柔和な笑顔で立っていた。シンプルな薄手のセーターにタイトスカート、その上にスプリングコートといった極普通のスタイルだったが、立ち姿はお洒落に見えた。
少し万優に似ている。
「ただいま、母さん」
万優が返すと、二人はそれぞれに空を見た。
「こちらが、大河くん?」
「うん。大河空くん。空、うちの母さん」
万優に紹介されて、母親は頭を下げた。
「初めまして、万優の母です。いつも息子がお世話になってます」
「あ…こちらこそ。万優くんには、いつもお世話になってます。今日はお招き、ありがと
うございます」
「いいえ。たいしたことない家ですけど」
形式ばった挨拶も済み、一行は駐車場へと向かった。
ここからは、一時間かからないくらいで家に着くという。いわゆる新興住宅地に建つ、一軒家なのだそうだ。
広い門構えの奥にガレージが見えた。既に一台停まっているところを見ると所有している車は二台以上ということになる。生活の余裕が伺えた。
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