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全ての洗い物を片付けた頃には、「れいん」は嵐の真っ只中にいた。雨が窓を叩きつけ、風がごうごうと唸っている。何かが風に飛ばされ、道を転がっていく音も聞こえた。
いつの間にか、店内にはお客さんが一人もいない。皆、嵐が来る前に帰ったようだ。
「お、終わったー!」
「お疲れ様。せっかく頑張ってくれたし、何か作ろうか?」
「ホント?! タダ?!」
「特別にね」
「やった!」
私はカウンター席に座り、メニューを開いた。
「じゃあ、カルボナーラと、かぼちゃスープと、オレンジのケーキで!」
「……それ、全部メニューに載ってないやつじゃない?」
「いいじゃん。裏メニューってことで」
ふと、私は「裏メニュー」で、あることを思い出した。
なんでも、雨替わりブレンドには幻のメニューが存在するらしい。それは今のような嵐の時にしかお目にかかれない代物で、「今は見られない何か」がコーヒーに入っているらしい。
「あと、雨替わりブレンドを一つ」
私は興味本位で、雨替わりブレンドを追加で頼んだ。
すると店長は「ほう?」と目を光らせた。
「ハレちゃん、嵐の日に雨替わりブレンドを頼むなんて、ツウだねぇ」
「えへへ、まぁね」
私は先に頼んだメニューを食べながら、嵐仕様の雨替わりブレンドの出来上がりを待った。
店長は私が食事を終えるのを見計らい、雨替わりブレンドをカウンターへ出した。
「お待ちどうさま。こちらが現在の雨替わりブレンドになります」
「待ってました!」
私は身を乗り出し、積乱雲を思わせる表面がデコボコの白いマグカップの中身を覗き込んだ。
マグカップの中には、輪っかの虹が澄みきった青空に浮かんでいた。一瞬、幻でも見ているのかと目を疑ったが、確かにマグカップの中のコーヒーは青く、表面には虹が浮かんでいた。
「お、叔父さん。これって、コーヒーだよね?」
「こらこら、店では店長だろう? まぁ、驚くのは無理もないけど」
店長はいたずらっ子のように笑い、コーヒーのカラクリを説明した。
「これは紫陽花ソーダと同じ、バタフライピーで作ったラテなんだ。見た目は青いままだけど、コーヒーのエキスを入れてるから、ちゃんとコーヒーの味はするよ。虹は、ホワイトチョコに虹のプリントを印刷したものでね、特注で作ってもらったんだ」
「へぇー、すごい!」
私はマグカップを手に取り、そっとひと口飲んだ。コーヒーのような、別の何かのような、不思議な味がした。
「美味しい……」
「良かった」
店長は嬉しそうに微笑んだ。
「雨がやまなくなる前はね、よく店に雨宿りに来るお客さんがいたんだ。特に今日みたいな嵐の日は、電車もバスも止まっちゃって、途方に暮れてるお客さんが多かったんだよ。この"雨上がりコーヒー"は、そういうお客さんに少しでも笑顔になってもらいたくて作ったんだ。最近は嵐になる前にみんな帰っちゃうから、めったに出ないけどね」
「だから幻のブレンドって呼ばれてるんだね。もったいないなぁ……こんなにきれいなコーヒーなのに。雨上がりコーヒーって名前も素敵だし」
私はマグカップに浮かぶ虹を見て、残念に思った。
雨がやまなくなったことで、空に虹が架かることはなくなってしまった。
このまま雨が続けば、いずれ太陽や月のように、人々は虹の存在を忘れてしまうのではないか……そんな予感がした。
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