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全世界を巻き込んだ大戦が始まって早四半世紀。
戦況は悪化の一途をたどっており、どの国も国家総動員法を発令し、老若男女問わず何らかの形で戦争に参加していた。
◇
「おい、衛生兵来てくれ」
見つけやすいように手を大きく掲げながら私を呼んでいる男がいる。
階級章を見る限り軍曹か曹長に見える、多分被害にあった兵士の小隊長か何かだろう。
「今行きます」
比較的軽傷だった兵士の止血を手早く終え、私はその場に向かった。
「お待たせしました」
形式的な敬礼を終え、患者の容態を聞き始めた。
ちらっと見た感じ十五、六の年端のいかない少女に見える。
わが国はこんな少女まで前線に出さねばならないほど人材不足なのか……。
「患者はエマ・クラーク、十五歳、F、Brh+、アレルギーなし、確認してくれ」
私は素早くドッグタグを確認する。
間違いない。
「確認しました」
「了解、じゃああとは任せた」
「早く楽にしてやってくれ……」
小隊長らしき男は去り際に聞こえるか聞こえないかぎりぎりの声で私に頼んできた……。
それもそのはず、患者をよく観察する右太ももから下は存在せず、被弾したためだろうか本来真っ白なはずのアンダーシャツは血と泥で赤黒く染まっていた。
素人が見ても先が長くないとわかるだろう。
「エマさん、聞こえますか? 衛生兵のハンナと言います」
エマさんはダルそうに目を開けた。
「衛生兵? ああそっかあたし撃たれたのよね……」
「そう伺ってます」
「……っ……、うっ……」
彼女は静かに泣き始めた。
「これが……、これが夢だったらよかったのに……」
かける言葉がない……。
今私がどんな言葉をかけても、彼女を救うことはできないだろう……。
「ねぇ、煙草頂戴……。もうそこに無いはずなのに脚が痛いの……」
「え、でも……」
煙草は救急キットに入っているのだが、市販のそれと違って治る見込みのない重篤な患者をその場で安楽死させるよう毒が仕込まれているのだ。
「大丈夫、知ってるわ。入隊した時に全部習ったもの」
「もう軍隊は無理かもしれませんが退役すれば普通の生活に戻れますよ?」
「貴女結構残酷なことを言うのね。戦争が始まったのが二十五年前、私は十五歳よ? 生まれた時から普通の生活なんて無かったの……」
「それは……」
「それにね、戦争によって疲弊したこの世の中で誰も私を助けてはくれないのよ。傷痍軍人として物乞いになろうが娼婦になろうが一生何も無い脚に哀れみと興味を向けられるの? 衛生兵として比較的安全な地位にいる貴女にわかる?」
「けどまだお若いですし……」
「うるさいっ!」
彼女が怒鳴る。
息を荒らげながら傷口を押さえる。
響いたのだろう……。
「若いから辛いのよ……。これから何年生きなきゃいけないと思ってるのよ……」
私の胸ぐらに掴みかかってきたが、力なく崩れる。
「お願い……、煙草をちょうだい……」
彼女の目から溢れた滴が嗚咽に混ざりながら地面を濡らす……。
もう私に煙草を渡す以外の選択肢はなかった。
「すみません……」
崩れた彼女を仰向けに直し、そっと口元に煙草を差し出す。
彼女は覚悟を決めるように目を閉じてゆっくり深呼吸をしてから煙草を咥えた。
「ほんとにいいんですね……」
「火っ!」
彼女が火傷しないよう気をつけながら火をつけた。
もう長くはない……。
あたりを見回すと兵士達は各々休息を取っていた。
どうやらしばらくは攻撃がないらしい。
「今は戦況も落ち着いていますし、もう少し側に居てもよろしいですか?」
もう彼女に何もできないが戦場で独り死なせるのも心が痛むので私はエマさんを看取りたかった。
わかってる。
これは偽善だ……。
私のエゴ以外の何ものでもない……。
「いいわ。ちょうど死ぬまで暇だったの、話し相手になってちょうだい」
意外にも私の願いはあっさりと了承された。
煙草の灰が顔にかからないよう、適度に落としつつ話を聞くことにした。
「ねぇ。いいわよね司令官達は、戦線から遠のいていられて。こんなの直接見なきゃいくらでも楽観視できるもの」
「え、それは…」
「彼らが何かを決める時は現実なんて見ていないの、彼らが見たいものを見るの。敗戦が濃厚な時は特にそうよ」
現状を見る限り返す言葉がない……。
増え続ける死傷者、足りない物資、充分でない補償、数え出したらキリがない……。
「あたし、全てを呪うわ……。この国を、戦争を、もちろんハンナ貴女も……」
「ごめんなさい……」
もう目も合わせられない……。
「If there were no war……」
「え?」
何を言ったのか聞き取れなかった……。
「『もし戦争が無ければ』いいタイトルでしょ? 反戦歌を作ろうと思ってたの、メロディも歌詞もなにもできてないけど」
ふふっと彼女は笑う……。
それに呼応するように私の目からは大粒の涙が流れ出した。
「どうして泣いてるの? 貴女は死なないわ、これからも衛生兵として働くのよ?」
「けど、エマさんは……」
「あたしはいいのよ、もういいの……」
「夢とはなかったんですか?」
「ハンナはつくづく残酷なことを聞くのね、悪魔に見えてきたわ。まあいいわ教えてあげる。そうね……、アイドル歌手になって全ての男を恋に落としたかったわ」
「曲作ろうとしてたんですもんね」
「まああれは小さな反抗みたいなものだけど、あと花屋もやりたかったし、公務員になって安定した生活を送りたかった、まだ学生だったら親に隠れて誰かと付き合いたかったな……」
「カッコいい人とかいたんですか?」
「んーん、私は女子校に通ってたから周りはみんな女の子。けど好きな子は居たのよ……、幼馴染で……」
そう話す彼女の目は涙でいっぱいだった。
「ねぇ、雨が降ってきたわ。傘を貸して……」
私はなにも言わずそっと彼女の目元を拭った。
「気が効くのね、ありがと……」
「傘はありませんが濡らさないようにはできますから」
「このくらい優しい人と付き合いたかったわ……」
「なら付き合いますか?」
自分でもなんで咄嗟にこんなこと口走ったのかわからなかった。
「え?」
彼女もあっけにとられた顔をしていた。
「私と付き合いませんか?」
お互いの顔がみるみる赤くなる。
「……、あたしでいいの?」
「エマがいいわ……」
「ありがとう……。看取ってくれるのがハンナでよかった……」
「ねえ最期にキスして……」
私はエマの口から煙草をそっと取ると、やさしく唇を重ねた。
エマとの初めてのキスは甘酸っぱく少し苦かった……。
「ありがとう……」
…………。
涙が地面を塗らす。
一滴、二滴とどんどん地面の染みが大きくなる。
ただ……。
やまない雨はないのだ……。
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