第一話にして、これで最終話

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第一話にして、これで最終話

――もうすぐ春だ。春になると、鳴奈は小学校4年生に、そしてお姉ちゃんは、高校1年生になる! でも、最近お姉ちゃんは鳴奈となかなか遊んでくれない……だって、お姉ちゃんは中学3年生の受験生だから……!  木田鳴奈は、2階へと続く階段をバタバタと駆け上がった。  階段を上がって、右にある部屋が鳴奈の姉・木田未晴の部屋だ。未晴の部屋のドアには、”いつものように”プレートがかかっていた。  雑貨店で買ったお洒落なプレートじゃなくて、簡素で小さ目のホワイトボードだ。例えるなら、すべきことや必要な食材を消せるマジックペンで書き込んで、キッチンの一角に吊るしておくような素っ気ないプレート。  その素っ気ないプレートには、未晴の荒々しい字で「勉強中!! 絶対に入るな!!!”」と殴り書きがされてあった。  でも、鳴奈は構わず、未晴の部屋のドアノブへと手をかける。  と、その時――  部屋のドアは、バァンと乱暴な音を立てて、内側から開いた。  仮にこの部屋の扉が、外開きであったなら、鳴奈は軽く吹き飛び、最悪の場合バランスを崩して階段をゴロゴロと転がり落ちていったであろうという勢いであった。   「…………何?」  眉間にしわを寄せ、猛烈なしかめっ面をした姉・未晴が、鳴奈に問う。  姉のそのゾッとするほど不機嫌な声音。  プレートに彼女自身が殴り書きをした通り、”勉強中であった”未晴。けれども、妹・鳴奈がバタバタと階段を駆け上がる音に、彼女の根を詰めたその勉強時間は、不意に中断させられてしまったのだ。  しかし、鳴奈は未晴の声音にも、彼女の表情にも全くひるまない。  鳴奈の耳に届いているはずなのに、鳴奈の目でも見えているはずなのに。 「ねえ、一緒に下でゲームしようよ」 「…………あのね、今、お姉ちゃんは勉強してるのよ」 「勉強なんて、後からだってできるじゃん。それに今日は土曜だよ。前は一緒に良くゲームで遊んでくれたのに」 「……もう一度言うけど、”私は”勉強してるの! 土曜でも日曜でも月曜でも、勉強しなきゃいけないの!! 邪魔よ!!!」  たまっていた粘ついた唾を飛ばさんばかりの勢いで未晴は鳴奈へとまくしたてた。まくしたて終ると同時に、扉は再びバアァァン! と先ほど以上に乱暴な音を立て……鳴奈の前で拒絶のごとく閉まった。  ※※※     ――お風呂上りにアイス食べたいなあ。確か、バニラのやつあったよね。お母さんに聞いてみよ。  脱衣所で体を拭いた鳴奈は、”アイスのために”素早くチェックのパジャマに着替えた。  未晴と色違いのお揃いのチェックのパジャマ。鳴奈はオレンジとイエローのチェックで、未晴はブルーとイエローのチェックだ。  濡れた髪も軽くタオルで巻いただけで、スリッパも履かずにペタペタとキッチンへと続く廊下を素足で歩く鳴奈の耳に、未晴と母の声が聞こえてきた。 「ねえ、お母さんからも鳴奈にきつく言ってやってくれない? あの子、私の勉強の邪魔ばっかりしてくるのよ」 「……遊んでもらえなくて、寂しいのよ。きっと、あの子友達少ないし……防犯のためガラケー持たせているけど、友達の登録2人ぐらいしかなかったのよ」 「そりゃあ、そうかもしれないけど……私、受験生なのよ。しかも最後の追い込みの時期よ。あと5日もすれば、3月だし」 「お父さんの帰りは遅いし、お母さんも昼間はほとんどパートだから、鳴奈の相手ができなくて寂しい思いをさせてるってのあるけどね。……未晴、昼間だけでも図書館に行って勉強するとかできない?」 「図書館なんて、同じ中学校や隣の中学校の子たちでほぼ満杯だって。あんなトコに勉強しに行ったって、結局、無駄なお喋りの時間に過ごすだけになるんだから……というか、なんで私が譲歩しなきゃいけないワケ? 初めての受験なのに」  会話に一瞬の間があく。  母がお茶か何かで喉を潤したらしい音が聞こえた。 「未晴、本当にあと少しなんだから、そうカリカリしないで。模試だって、ずっとB判定だったでしょ。受かる確率の方が高いってことよ」 「受かる確率は高くても、”確実に受かる”わけじゃないわ。確実にするために、私は今、必死で勉強してるの!!」  未晴がバァンとテーブルを叩いた音に、鳴奈はビクリとし、思わず後ずさってしまう。濡れた髪の毛より滴り落ちた水滴が、ポタリと廊下を濡らした。  アルファベットのABCの順番ぐらいは、鳴奈も知っている。 ――Aの次がBよね。じゃあ、”モシ?”の結果で一番いいのはAだけど、その次のB”ハンテイ?”ということは、お母さんが言う通りお姉ちゃんは受かる確率の方が遥かに高いってことだ! お姉ちゃん、あんなに必死になって勉強する必要なんてないんだ…… 「もう、ホントにホントに、いくら言っても聞かないし……こうまで明らかな”怒りが伝わらない”相手ってのは、自分の妹ながらに本当に……」 「そんなこと言わないで……」 「だ~か~ら~、なんで”そうなる”のよ! お母さんの娘が、同じお母さんの娘に困ってるって、迷惑だって言ってるじゃない!! どの高校に行くかで、人生変わってくるのよ! 私はこの受験に人生賭けてんのよ!!」 「未晴……」 「……もういいよ。でも落ちたらマジで恨むから。鳴奈も、何もしてくれなかったお母さんも」  諦めのごとく――いや、諦めの境地へと完全に向かいつつある未晴が吐き捨てた溜息が鳴奈にも聞こえた。  ※※※    ついに3月。  そして、ついに未晴の高校受験を3日後に控えた3月9日の夜となった。  金曜日の夜。  夕食を終えた未晴はそのまま2階の自室に戻り、勉強を始めている。そして、同じく夕食を終えた鳴奈は、歯磨きは後回しとして、ぼんやりとテレビを見ていた。  あの2月の夜、未晴と母の会話を聞いてしまった鳴奈は、さすがにこのところは、未晴への”遊んで遊んで攻撃”は控えていた。  未晴もそれを分かっているらしく、顔を合わすと前の優しかった頃の――受験でイライラしていない頃の未晴に戻ったかのようであると、鳴奈は思わずにはいられなかった。  と、ふいにTVから幾度も聞き覚えのあるメロディーが流れてきた。  ミュー●ックステー●ョン。  そう、ミュー●ックステー●ョンのいつものテーマソング。  そのテーマソングと、スタジオの女性たちの歓声とともに、人気アーティストや人気アイドルたちが次々に階段を下りてくる。 「あ!」  鳴奈は思わず、声をあげてしまった。  階段を下りてきたアーティストの仲に、未晴が好きな男子アイドルグループ「ニュージェネレーション」の姿があったのだから…… ――あ! ニュージェネレーションだ! 今日、出る日だったんだ! お姉ちゃんに知らせなきゃ……! だって、お姉ちゃん、ニュージェネレーションのアルバムも持ってるし、ライブにだって高校生になったら行きたいって言ってたもん♪    鳴奈は、2階へと続く階段をバタバタと駆け上がる。 ――早く、早く、お姉ちゃんを呼んでこなきゃ……! ニュージェネレーションの出番、終わっちゃうよ!!  階段を上がって、すぐ右のドア。  ”勉強中!! 絶対に入るな!!!”と殴り書きされた素っ気ないプレートが変わらずにかかっているドアを、バンバン! と鳴奈は叩いた。 「お姉ちゃん! お姉ちゃん! 今、ニュージェネレーションがミュー●ックステー●ョンに出てるよ! 早くしないと出番終わっちゃうよ! ねえ、早く!!」  けれども――  未晴からの返事はない。 「お姉ちゃん! お姉ちゃん!!」  鳴奈は姉を呼び続ける。  だが、未晴からの返事はない。 「お姉ちゃん……?!」 ――まさか、お姉ちゃん、部屋にいないの? もしかして、トイレ?  鳴奈が小首を傾げた時であった。 「――――うるさい!!!」  まるでつんざくような叫びが、薄いドアの向こうから聞こえた。  ドスドスという足音とともに、部屋のドアはかつてないほど乱暴に、そのドアノブがもぎ取られるがごとき勢いで開かれた。 「うるさい!! 何がニュージェネレーションや! なんでや! なんで、私の邪魔してくるんや! 私に何の恨みがあるんや!! なんでや! なんでやあ!! なんでやああああ!!!」  ビクッと後ずさった鳴奈の前にいるのは、鳴奈の記憶の中にいる優しくて頼りがいのある姉ではなかった。  方言丸出しでブチ切れた姉。  目が血走り、頬は紅潮し、ゼエハアと倒れんばかりに怒りの息を吐き出し続けている姉。 「ゴオルァァ! クソがぁ! クソがぁぁ!!!」  未晴の絶叫は階下にまで聞こえたらしい。いや、これほどまでに怒鳴り声を出していたら、この大して広くもない一軒家で聞こえないはずがない。  すぐに母と、そして父が階段を駆け上がってくる音が、恐怖で身動ぎすらできなくなっている鳴奈の耳にも聞こえたのだから―― 「未晴、落ち着きなさい!」 「鳴奈、お前は下に行ってろ!」  父の声によってやっと、鳴奈は動くことができた。  ガクガクと震える脚とズキズキと脈打つ心臓。  鳴奈は、そのまま階段を踏み外し、下までゴロゴロと転がり落ちてしまうことなく、なんとか居間へと戻ることができた。  未晴の「なんでよ! ねえ、なんでよ!」という声は、1階にまで聞こえてきた。  方言じゃなくなっているから、もしかしたら未晴の怒りはヒートダウンしていっているのかもしれない。  つけっぱなしの居間のテレビでは、ニュージェネレーションの5人が満面のアイドルスマイルですでに歌い始めていた…… ※※※  3月12日の朝。  未晴の受験当日。そして、未晴にとって、人生を賭けた日であった。  3日前のあの夜から、当然と言ったら当然であるも鳴奈と未晴は一言も口をきいていなかった。  顔をあわせても、「おはよう」「おやすみ」の挨拶を交わすこともない。鳴奈が口を開きかけると、未晴はフイッと顔を逸らす。  母の計らいか、日に三度の食事も未晴は自室で取るようになっていた。まさに、最後の最後の追い上げだ。ゴール前の猛ダッシュだ。  そうして、未晴は今日というこの日を迎えのた。  未晴は受験であるも、鳴奈はいつも通り、小学校へ行かなきゃいけない。  ランドセルを背負い、玄関へと向かった鳴奈。  鳴奈は気づく。靴箱の側面にもたせかけるようにして、未晴の学生鞄が置いてあることに。  昨日の夜、玄関前で未晴と母が「いい、忘れ物ない?」と言いあいながら、鞄の中身の”最終チェック”をしていたことを鳴奈も知っていた。  今日の朝は身支度に慌てることなく、この鞄を持って、受験会場へと身も心もまっすぐ向かえるようにと―― 「お姉ちゃん……!」  鳴奈の胸がズキンと痛んだ。 ――必死で勉強をしていたお姉ちゃん、鳴奈はそのジャマばかりしてしまってたんだね……今さらだけど、ごめんね。ごめんね、お姉ちゃん。でも、鳴奈はお姉ちゃんが大好きだってこと、そしてお姉ちゃんを応援しているってことを伝えたいの!  痛む胸を押さえたまま、顔を上げた鳴奈。  もうすぐ春。  始まりの季節だ。鳴奈は鳴奈は小学校4年生に、そして未晴は、高校1年生になる。無事に志望校の制服に身を包んだ未晴の姿を、鳴奈はその小さな胸で思い描いていた。 ――頑張って! お姉ちゃん!  だが、鳴奈のこの心からの声援は――家族としての愛に満ちた声援は、今のギスギスした状態だと未晴に直接伝えることは躊躇していまう。 ――そうだ!  鳴奈はひらめいた。  ランドセルをゴソゴソと探った鳴奈の片手が探り当てたのは、携帯電話であった。  防犯のために母に持たされている携帯電話(ガラケー)。友達の登録もクラスの女の子の2人ぐらいしかないため、電話がかかってきたり、メールが届いたりすることは滅多にないであろう携帯電話(ガラケー)。 ――これ、アラーム設定もあるんだよね。アラーム機能には文字数の制限もあるけどメモもついてるし、このメモにお姉ちゃんへのメッセージ書いちゃおう。顔文字も入れちゃおっか。  ポチポチポチポチと、鳴奈の指がボタンを押していく。  「お姉ちゃん頑張って(*^▽^*) 鳴奈」と――  メッセージの入力完了。  次に鳴奈は、アラームを鳴らす時間を設定”しなければならない”。 ――えーと、確か、受験は9時からって言ってたよね。ってことは、8時59分に設定しとこう。受験直前に、お姉ちゃんは鳴奈からのメッセージに気づいて、きっと……♪  ポチポチポチポチと、鳴奈の指はまたしてもボタンを押していく。  8時59分アラーム設定、そして音量は一番大きい”5”と――  これ以上ないほどニッコリとした鳴奈は、そうっと未晴の学生鞄へと手を伸ばした。  音を立てないように、母や未晴に見つかかることのないように、受験票やら使い古されてボロボロの参考書が並んでいる、学生鞄の”奥深くに”携帯電話を滑り込ませ、ストンと落とすことに、鳴奈は成功した。 ――ファイトだよ、お姉ちゃん。  深呼吸をした鳴奈は、大声で「行ってきます!」と叫んだ。  父はもうすでに出勤しているが、家の中からは母の「行ってらっしゃい」といういつもの声と、”姉・未晴の「行ってらっしゃい」という声”までもが聞こえてきた。  ルンルンとスキップをするかのごとく小走りで、鳴奈はいつもの通学路へと向かった。  けれども――  鳴奈は知らない。そして、”未晴も”まだ知らない。  鳴奈がアラーム設定をした8時59分。  携帯電話の時刻は8時59分であっても、未晴の受験校の時計ではまさに9時ちょうど指している時刻であったことを。  隣の受験生の呼吸すら聞こえるほどの緊張と静寂のなか、試験官の教師の「はじめ!」という声のわずか数秒後に、未晴の学生鞄の奥深くより、鳴奈の携帯電話が大音量で鳴り響くことを――
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