第Ⅰ部

12/14
前へ
/182ページ
次へ
 ではなぜ,トイレのマークと性差が関係してきたのだろうか。人権問題に詳しい,ヴェルサイユ・サン・カンタン・アン・イヴリーヌ大学のカトリーヌ・フランソワ(Catherine Francois)博士に,当時の大衆心理についてインタビューすることができた。      * * *  私:  今日はお時間をとっていただきありがとうございます。2034年に起きた,一連の抗議活動についてお伺いします。トイレのピクトグラムと社会的性差にはどのような関連性があるのでしょうか。  カトリーヌ博士:  そうですね。すぐには理解しにくいかもしれません。当時のピクトグラムは,人に服を着せて表現するものがほとんどでした。「男性」ならスボンを穿いていたり,「女性」ならワンピースを着たりする図でした。でもそれは,性別について,超えてはならない一線があるようにも感じられました。男性はズボンを穿かねば「ならない」という暗黙のルールを作っていたのです。    今では男性のスカート姿は普通のことですが,当時はそうではありませんでした。そのような姿をする人は,奇異な目で見られました。縛られているように感じた人々の中には,問題の原因をトイレに求める人々もいたのです。「二人(つまり男女)は一体」というフランスの格言は古臭い。男女という考え方そのものが時代にそぐわない。そう考えていたというわけです。  私:  なるほど。型にはまった描写が,差別的と思わせたのですね。ところで,どうして人々はフォンティーヌ・トマト事件に独自のインスピレーションを得て,活動を展開するようになったのでしょうか。
/182ページ

最初のコメントを投稿しよう!

127人が本棚に入れています
本棚に追加