第二章 穏やかなる海は与えられないのは当然なりや

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中食の前の五観の偈が行われた。皆、手を合わせて今目の前にある食事に対する感謝を口にする。 一つには、功の多少を計り彼の来処を計る。 二つには、己が徳業の全欠を忖って供に応ず。 三つには、心を防ぎ過を離るることは貧等を宗とす。 四つには、正に良薬を事とすることは形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり。 五つには、成道の為の故に今この(じき)を受く。 と、修行僧皆が唱える。しかし、万象だけは違う言葉を唱えていた。 一、 計功多少 量彼来処 二、 忖己徳行 全缺應供 三、 防心離過 貪等為宗 四、 正事良薬 為療形枯 五、 為成道故 今受此食 皆、黙々と中食を食べて行く…… 食事中音を出さないのは存外難しいもの、漬物を「ガリっ」と噛み締めたり、すまし汁や粥を啜る音が僅かに聞こえる。細かいことを言えば食器と箸や匙が僅かにぶつかる「カッ」と言う音や、作務衣の袖が体に擦る音すらも聞こえてくる。 この音すらも立てないために箸の持ち方や匙を椀の中に入れる角度、椀を口に持っていく際の角度や汁の吸い方など、細かい…… いや、細かすぎる程に食事作法が定められている。それを全て守り食事を済ませられるものは修行僧の中には存在しない、食事が終われば達者大師のような上役の監視員によって「あなたは食事中に音を立てましたね」として、説教をされる。今日の監視員は全来秋である。 全来秋は誰がどのような音を立てたかの監視を行う。あの僧は溜息を吐いた、あの僧は漬物を思い切り噛み締めた、あの僧はお吸い物を美味しそうに音を立てて啜った。などと、草子(ノート)に書き溜めて行く。全来秋はそれが終わってやっとのことで食事にありつける(勿論、上役の監視つき) さて、あの陰陽師はどんな音を立てているのだろうか。体験入寺と言うことで多少は大目に見るつもりだった。しかし、それには及ばなかった。 万象は一切音を立てずに食事を行う、傍目から見ればただ普通に食事をしているだけなのだが、一切音がしない、粥も思い切り口に運んで匙で掻き込んでいるのに音が一切ない、漬物も思い切り噛み締めているのに「ガリっ」の音すらしない。それどころか狩衣などと言う擦り合う服を纏っているのにその音すらしない。陰陽師の怪しげな術で私の耳を壊したと言うのだろうか? 疑いを持った全来秋は耳元で柏手を打つ。 ぱん 耳は聞こえるようだ。むしろ、全来秋の鳴らしたその音を聞いて修行僧達が全来秋に一斉に振り向くぐらいであった。
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