相合傘

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 人気者だった生徒が苛められっ子になる・・・一見、不自然な成り行きだが、僕が人気を得たのは道化に因るものだ。道化とは一種のご機嫌取りだ。仍って道化から冴えが無くなれば、只の阿諛追従にもなる訳だ。すると相手はそんな風に面白く無くなった上に人気も自信も無くなった僕の弱味に付け込んで僕を嬲るようになる・・・この情勢に目を付けて僕に対する苛めを波及させた元凶は、中学一年の時も僕と同じクラスだった武内だった。  武内は中学一年の時の僕の事をよく知っていたので、何であんな暗かった奴が人気者として好い気になっていられるんだと僕の事を普段から忌々しそうに見ていた。  中学一年の時は担任の先生が不真面目な生徒には鉄槌を下し折檻も辞さない厳しい面が有る反面、面白い面も有る人気の高い先生だった為、武内はその先生の前では良い子ぶっていたし、その先生によってクラス内が苛めはタブーの状態にあったから僕が暗くても僕を苛める事はなかったが、中学二年に進級して担任の先生が生徒から嘗められていた高齢の爺さんになった途端、仮面を脱ぎ、奸物たる本性を現して弱い立場の者を苛めるようになり、夙に僕が人気者である事が気に食わなかったので僕の人気に陰りが見えて来て僕が弱い立場になったのを潮に僕も苛めるようになった訳だ。  そして武内は学級委員を言いなりにする位、恐持てする生徒で草木も靡く威勢を誇っていたので武内に周りが焚き付けられ、僕がそれまで仲間だと思っていた者達が次々に武内に寝返って行き、僕を苛める者が逓増して行く中、僕が転校してから僕を苛めていた二人の生徒も僕が人気の有る間は掌を返した様に僕と仲良くしていたのに矢張り、この状況に乗じて僕を再び苛めるようになったのだ。  そんな折、僕と同級生であり地主の息子である寺田が彼の仲間であり彼と同級生、つまり僕とも同級生である生徒達と一緒に僕の家をからかい半分で遊びに訪れた。それで、この寺田が武内と仲が良かった為、当然、僕を苛める傾向にあり、亦、地主の息子だけに勢力を誇っていて彼と一緒に来た生徒達も皆、その勢力下にある茶坊主の様な者で僕が人気を誇っていた頃は僕の仲間でもあったのだが、僕が落ち目になって行くと洞ヶ峠を決め込んで寺田や武内と組んで僕をからかったり苛めたりする様な連中でもあったから彼らは僕が時折、正直に疎ましそうな態度を見せながら寺田を始め彼らを迎え入れると、「皆、見ろ!今村の招き入れ方!如何にも慣れてない感じだろ!今村は元々友達がいないからこんな応対しか出来ないんだ!」と言って笑う寺田と一緒に笑い合った。  僕は煮え湯を飲まされる様な苛めに苦しむ中、人間のオポチュニズム(若しくは事大主義)に基づいて節操無く靡いたり、寝返ったり、御先棒を担いだり、弱味に付け込んだりする性質をまざまざと見せつけられ、道化を演じて勝ち得た友好関係が如何に薄っぺらなものであったかを痛感し、「利に関するメリットを失っても義に関するメリットを持ち続ける僕は、利に関するメリットを求める者には裏切られても義に関するメリットを求める者には裏切られる筈はないが、肝心の義に関するメリットを求める者が柿原がいなくなった今、皆無と来ているから僕は道義的に孤独になるのだ。」と悟るに至り、人間に虚無感と軽蔑心を覚える事、極まりなくなり、厭世観を深める仕儀と相成った。  因みに僕が受けた苛めの内容はと言うと、デコパッチンとかカンチョーとか称する類の体の一部に軽い痛みを与える一見、お遊び程度の事なのだが、これを頻繁にやられるので鬱陶しくて堪らなかったし、給食の時に使う僕のスプーンに内緒で小便を付けられ、そのスプーンで食べた後、「小便の付いたスプーンで食べた!」と囃し立てられ不潔だとして仲間外れにされるのは寂しくて堪らなかったし、体育の授業中に虚を突かれ後ろから半ズボンとパンツを同時に脱がされフルチンにされるのは恥ずかしくて堪らなかったし、シューズや筆箱やノートや教科書を隠されるのは酷く困って堪らなかったし、たん瘤や痣が出来る位、殴られるのは単純に痛くて堪らなかったし、亦、這般の苛めに対し、ちょっとでも文句を言うと、体育倉庫にしょっぴかれ中で殴られ続け半殺しの目に遭い、何でここまで人を痛めつけて面白がる事が出来るんだ!?と苛めっ子に潜む残忍性と野蛮性に恐怖した事も有った。その他にも僕は色んな嫌がらせを受け続け苦悩し続けた。
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