まっしろ

7/9
前へ
/191ページ
次へ
「今日の湯川君、ずいぶん積極的だな」 湯川の下で瀬戸内は規則正しい腹式呼吸をただ繰り返していたが、たっぷりと間を設けると、からかうように発した。 それを受けて、湯川はゆっくりと瞳を動かし、瀬戸内の顔に合わせた。 いつも通りの隙のない笑みにどこか安堵し、つられて同じ表情を繕おうとしたが、口角は重量に抗うことなく、すぐに下がってしまった。 「瀬戸内さん、なに聞かれたんすか」 「なにって?」 「オト君に」 瀬戸内は一瞬目を見開いて惚けようとしたが、こちらが真っ直ぐに見つめたせいで逃れられないと思ったらしい。 ふたたび定型の笑みを浮かべると、静かに言った。 「それは守秘義務があるので教えられません」 湯川は軽く笑ったあと、微かに首を横に振った。 ——聞いてどうするんだ。 「まあ、別に俺には関係ないですもんね……」 先に立ち上がり、瀬戸内の手を引いて起こしてやった。 彼の、こういうところが好きだ。 情緒を覆っている分厚い笑顔と声のトーンは常に一定で、変な詮索や哀れみが介入することはない。 どうせ——全部知っているくせに。 「湯川君、金曜日どこに連れてってくれるの」 「連れてってって……そっちが誘ったのに、俺がエスコートするんすか?」 「だって俺、お酒飲むお店詳しくないもーん」 「もーんじゃないよ、まったく……」 背丈のある男ふたり、いつまでも薄暗い給湯室にいる必要もない。 頭をかきながら踵を返すと、腕を掴まれた。 「湯川君」 ふたたび向き合う形になり、気づくと彼の腕の中にいた。 首筋からなのか、シャツからなのかはわからないが、いいにおいがする。 人工的なものではなく、自然な、彼由来のなにかとしかいえない香りだった。 「よしよし」 瀬戸内は背中に手を回してくると、子どもをあやすようにポンポンと、数回叩いた。 湯川よりも若干低いが、彼の背丈も170後半はある。 そんな相手に抱き寄せられるのは初めてで、なんだか落ち着かなかった。 瀬戸内はそのままゆったりした呼吸を3回ほど繰り返し、最後に勢いよく一回叩くと、体を離した。 「……なんすか」 「なんとなく」 湯川は首を傾げながらふたたび踵を返した。 唐突な誘いといい、突然の抱擁といい、どうも調子が狂う。 しかし、嫌ではなかった。 彼からのいたずらも、半ば嫌がらせともとれる呼び出しも、億劫に思ったことは一度もない。 つまり、一応「仲がいい」ということなのだろうか。しっくりこない表現だけれども——— 湯川はふたたび、頭をかいた。
/191ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1515人が本棚に入れています
本棚に追加