2度目の春

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それからしばらくは、互いに干渉せずにいたが、持ったのはせいぜい1時間だった。 ピアノをいじるのに飽きたのか、音がこちらを気にし始めたのだ。 半分開いた引き戸から、たびたび彼が顔を覗かせているのが視界の片隅に入ったが、大智はモニターに注視したままでいた。 視線さえ合わせなければ、まだしばらくはもつだろう—— しかし、それはあまい算段だったようだ。 無視を決め込んでいたにも関わらず、彼はにじりにじりと近づいてきて、テーブルの下に潜り込んできた。 脚を伸ばしてそっと彼の体を押しのけてみたものの、モニターを見つめたままだとうまくいかない。 彼はとうとう、大智の膝の上に顔を乗せてきた。 よりによって、自分の進捗報告のタイミングでなぜ———— 「先週の動きは、まずF社の……」 マイクをオンにしたところで膝小僧を撫でられて、声が上擦ってしまう。 咳払いをしてどうにか誤魔化すと、腹部に力を入れて、どうにか声を安定させようとした。 音は太ももを撫でつけてきたり——しまいには太腿の間に顔を埋めてきたりと、次々と悪戯をしかけてくる。 大智はなんとか自身の報告を終えるとマイクをふたたびオフにした。 口元に手を当てて隠しながら、声を張る。 「音、本気で怒るよ」 わりと強い口調で言い放ったつもりだが、ふと視線を落とすと、彼はテーブルの下でにやにやしていた。 「あっち行けって」 ふざけた態度に腹が立って、片手で彼の額を押さえつけると、強引に剥がした。 自分がまいた種とはいえ、乱暴に顔を押さえつけられたことにショックを受けたらしい。 音はやっと体を離したが、憮然という言葉を、眉間あたりにくっきりと現していた。 そして、体を起こすと、わざと大智の背後をゆっくりと通ってリビングに戻っていった。 顔までは映っていなかったが、背後を誰かが通過したのは、モニター越しに見られてしまっただろう。 一人暮らしということにしているのに———— 部署の人間はなんとかごまかせても、着ている服や長い首、体つきなどで——水原にはバレてしまったかもしれない。 焦りのあまり、キーボードを叩く手が鈍る。 結果、最後の方の議事録は、だいぶ雑な仕上がりになってしまった。
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