番犬の資質(番外)

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番犬の資質(番外)

番犬の資質 みてくれは穏やかだけれど、私はその実感情を表現するのが苦手だ。 特に、慈愛などの意味でない恋愛感情を示すのは、昔から下手だった。自分から好意を持った相手には、感情を匂わす止まりで、積極的に行動に移したり、素直に言葉にしたりする事ができなかった。 こう記すと可愛いらしいのだけど、その分未練たらたらで、歪みまくっていた時期も長い。でも長い長い時が過ぎて、本当に今更、私も恋でもしてみようかと思うようになった。 と言っても、祥(よし)のように運命的な新しい出会いがあったという訳ではなく、私の場合は、ずうっと昔から影のように私に付き従ってくれていた、若い壽(ひさし)に対してである。 「ねえ、私達もたまには、どこかへ買い物にでも出掛けたりしないかい?人間界ではデートっていうんだよ」 「どうして」 仕事もひと段落ついたので、冊子を閉じながら提案すると、資料の片付けをしていた壽の手が止まった。私のかにさんは今も警邏中であるので、二人きりの部屋の中では、彼も少し気を緩めてくれていたが、 「何か必要な物があるのなら、用意させよう」 「自分の着物くらい、自分で選びたいよ」 「ならば、問屋をこちらへ呼びつければ良い」 彼は平然と傲慢な事を言い放つ。 まあ、今の私は魔界という強大な国の議長であるので、ほいほい外を歩かれるのは、護衛として面倒なのだろう。しかし、先代のナルがここまで管理されていた記憶はないので、要するにこの束縛は、彼の過保護と独占欲の表れでもある。 「ううん、えっと……本当は着物を買うのが目的じゃなくって、私はお前と出掛けたりしたくなったの」 「だから、どうしてだ」 言い換えると、彼は訝しげに私を見た。 「何か、して欲しいことでもあるのか」 「だから、お酒を呑みに行ったり、活劇を観に行くのでも良いんだけど……」 勇気を出して率直に誘っても、うまく伝わっている自信がない。これまで、手駒のようにしか接していなかったのに、急にしなをつくってみせるなんて、疑わしいに決まっているだろう、と弱気になりつつも、 「別に、謀りごとや、暗殺の相談じゃないよ」 付け加えておいた。いざ素直になった途端にすれ違いだすとは、皮肉でちょっと笑える。 壽という男は、若い頃から盲目的に私を慕ってくれていて、私が口にするしないに関わらず、私の「邪魔になる荷物」の片付けを率先して請け負ってくれていた。 そのために長い事、魔界監獄に収監されていた位で、私の手足となることで、私と繋がっていられると信じ込んでいる節があった。 勿論、ただ慕っているだけでなく、私と彼は身体の関係もあるので、彼は時々、私の心も欲しそうな振る舞いをした事もある。 でも、声高に自分の主張を私にぶつけてくる事はせず、忠実に狂信的に、私を護り、愛してくれていた。 ちょっと怖いくらいに。 席を立ち、壁際の本棚へ向かう。 こちらに背を向けていた壽の不思議そうな表情が、硝子に映っている。きつく結わえた、灰色の髪が流れる背中にそうっと触れると、彼はぎょっと身体を硬くした。 「ほんと言うと、する事は何でも良いのね。出掛けるのじゃなくて、私の塔や、お前の塔へ行くのでも良いんだけど、一緒に過ごしたいの。……駄目?」 「うっ」 私の言葉に逆らう事のできない彼は、肩をびくりと揺らして絶句した。硝子越しに覗くと、壽はその浅黒い肌の顔を赤くして、目を泳がせて困惑しているみたいだった。 そんな甘い事を言って、期待させないで欲しい、とその顔が語っている。 私は彼の向かいへ回り込み、その不安定な瞳を見上げた。 通常は、悪魔らしさを薄めて角も隠し、人間らしくしているけれど、私の元々の性も淫魔であるので、私は男を誘う事はできる。 「そりゃあ、突然こんな風になるのは変に思うかもしれないけど……」 彼と激しい夜を過ごした事もあるけれど、正直な愛情表現として、彼と唇を重ねるのは初めてであったので、唇と唇が触れ合うと、私の胸はそれはもう病なのではと思うくらい痛く締め付けられた。 壽は何も反応を返してくれなかったので、私は自分から何度も彼の唇を吸う。 小さく唇を開いて、舌で彼の唇を舐めると、壽は驚いたのか、顔を離して私をまじまじと見詰めた。 睦みあいの誘いをかけて、反応を返して貰えないのは、とんでもなく恥ずかしいものだ、と私は顔がぼっと熱くなる。 「お、おりょう」 「なあに……」 壽は急に私の腕を取り、自分と入れ替わるように反転させると、私を本棚の硝子扉に押し付けた。軋んだ音が、静かな部屋に響く。 「俺に隙を見せるな」 「……」 「こんな事されると、期待したくなる」 「……」 おりょうらしくない、と言いたげな彼は、私の意図を測りかねているようだ。批難めいた口振りとは裏腹に、私の唇や胸元の切れ込みを、物欲しげに見下ろしている。 まるで、主におあずけを喰らっている犬みたいだった。 「期待、しても良いよ」 「……」 「私、壽のこと、好きになっちゃいそうなの」 潜めた声で告白すると、壽はその細く鋭い瞳をこれ以上ない程見開いて、 「な」 固まった。 「そ」 一言一言、続く言葉の判らない事を発すると、 「な、なな、なんで?何かあったのか?」 彼は珍しく、調子っぱずれな声をあげた。 「別に何もないよ。ただ好きになったのじゃいけない?」 「ちょっと……それは……困る……」 「なんで?壽は、私のこと嫌い?」 「そんな訳ない」 「じゃ、なんで困るの?」 意外な返事に私は少し不安になり、泣きそうになった。 てっきり喜んで貰えると思っていたのだが、とんだ思い上がりだったのだろうか。 またまた、消え入りたい程の羞恥が込み上げる。 「俺が、おりょうを勝手に想っているのは良いが、お前が俺なんかに感情を傾けるのは、駄目だ」 「だから、どうして?好き合うのは、良い事じゃない」 駄目だ、との強い口調に、私もなんだか意地になってきて反発した。何故、そうも意固地に私を拒むのか。 「お前は、議長じゃないか」 「そんなの関係ないでしょ。ナルだって、家庭を持ったじゃない。そのせいで、辞めちゃったけど」 「ああいうのを、引き合いに出すな」 「……壽は、今まで私を慕ってくれてたのは、うわべだけだったの?これからもずっと、身体だけの関係で良いんだ?」 「違う!」 喧嘩腰で叫ぶと、彼は私を押さえる腕に力を込めて返してきた。二の腕が締め付けられて痛い。 「俺は」 絞り出すような低い声で彼は唸った。 「俺は、本当は強欲なんだ。お前をずっと束縛していたいし、他の誰にも笑いかけて欲しくない。俺を見て欲しい。俺だけを。でも」 彼は一息にそう言った。 このいっときだけ、壽は私に本当の気持ちをぶつけてきた。その勢いは私達の周りで風が逆巻いたような、そんなざわめきをもたらしたけど、次の瞬間には、彼はまた自らの感情や欲望、望みを一切押し殺したかように、自己を仕舞ってしまった。 「……、いや、今のは戯言だ。俺は期待はしていないし、お前も、俺の事は番犬くらいに思っていろ。たまに、夜を共にしてくれるのなら、それで充分だ」 私にと言うよりは、自分に言い聞かすように壽は呟いた。彼の理屈は私には全く判らない。 壽は私の腕を離すと、さっと踵を返し廊下へ続く扉へ歩き始めた。結局、私の誘いは固辞されてしまったらしい。 確かに、彼は私にとって昔から、番犬であり、便利な武器であったけど、もうおあずけや使い捨てにはしたくない。 ちょっと腹が立ったので、私はその場でしっかりと返した。 「私はそれじゃいや」 おしまい
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