天蓋の星 11

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天蓋の星 11

天蓋の星11 「こちら、北欧っていう辺の、珍しい焼き菓子だそうですの。お口にー、合いますかしら」 女の子は、小さな掌でおままごとみたいに、お茶を勧めてくれた。 彼女のあれこれをくまなく見守っているナギに、この子の素性や、祥から聞いている事について、詮索をしてみたかったけど、幼くても、大人の話す事をこの子はしっかり聞いて理解するような気がして、この子の前で、それらについて尋ねるのは気が引けた。 代わりに私は、この子の様子をじっと見詰めた。 祥の塔には、祥以外にも調度品である、手燭や壁掛け時計などが、意志を持って喋るようになっており、非力ではあるが、幼い娘を見守って、色々相手をするようである。 彼らは、彼女がキッチンでこまこましているのを、ナギと一緒にがやがや進言していた。 「雅、こっちへおいで。一緒にお茶しようよ」 「はい……ええと、どこかに祥さんが前くれた、珍しいお菓子があったのですけど、わたし、食べちゃったのかしら」 「いいよいいよ。それよりお話しよう」 「はい」 呼ぶと、雅も小さなお気に入りのカップを手に戻ってきた。彼女は私の向かいに座り、その隣にナギが座った。 「雅はずっと祥の塔に住んでいるの?一人で淋しくないかな」 「はい。一人じゃないし、ナギさんが来てくれるので、淋しくありませんわあ」 雅は隣のナギにえへっと笑いかけた。随分親しそうなナギに、今質問をするのはやめて、 「これからは、私も時々遊びに来ても良いかな。わたしはおりょうというんだ」 「おりょうさま」 自分も彼女に笑いかけた。 「おりょうさまは……あのう」 「なんだい?」 「祥さんにそっくりなのね。どうしてですの?」 彼女はちょっともじもじしてから、尋ねてきた。 彼女は一人であるため、兄弟とか片割れという概念を持たないみたいだった。まあ、悪魔であるので元々、私達にもどちらが兄で弟、というのは当てはまらないけど、どういう訳か、私と祥の外見は良く似ていた。 「どうしてだろうね。一緒に生まれたのかもしれないね」 「そう」 彼女は頷くと、 「ナギさんには、一緒に生まれた人がいますの?」 と隣にも訊いた。 「オレは一人ですよ。世の中は、一人で生まれる人の方が多いですかねえ」 「へえ」 「生まれた時の事は、自分では判りませんからねえ。案外、秘密があるかもしれませんねえ」 「ふうーん」 そんなやりとりを続ける雅を、私はじっと観察した。 真っ黒い瞳に髪に、白い肌。 こんなに可愛くて小さな子を置いて、どうして祥は一人遊び呆けていられるのかしら。私だったら可哀想で、置き去りになんてしていけない。 心配じゃないのかしら。 それに、どうして「祥さん」なんて、よそよそしい呼び方をさせるんだろう。誰との子であれ、育てたのだから覚悟を決めて、「お母様」と呼ばせたら良いのに。 彼女は、話す言葉の端々に、祥の名前をのぼらせた。 雅の話す祥は、本人とは随分印象が違っていて、気ままで、長い事家を空ける事も多いけど、帰ってくる時には、たくさんの彼女へのお土産を持って、色々な国の事を聞かせてくれる、冒険家みたいな素敵な親に聞こえた。 私は胸が痛んだ。 ++++++++++ 夕方まで、薔薇の手入れをしていると、庭に誰かが降り立った。 それは今度こそこの塔の主、祥の姿で、 「祥さん!」 雅は嬉しそうに、その祥に駆け寄っていった。 片手に袋を一つ下げた祥は、小さな雅よりも先に、私の気配に気づいて何故か顔を強張らせた、ように見えた。 いつも私に対し、うざったそうな表情をする事はあっても、怖がるような顔をした事はない。 今の様子の変化に、私は内心おや、と思った。 「祥さん、おかえりなさいませえ!」 「おかえりですー」 「雅、ナギは良いけど、おりょうを塔にどうして入れたの?勝手に色々覗かれたら嫌なのに」 「はい……ごめんなさい」 私は、お土産というのに、あんな小さな紙袋一つで片手は空いたままの祥を見て、少しむっとした。 雅は祥の事を買い被り過ぎで、やっぱり祥自身は彼女を召し使いのように蔑ろにしているのだろう、と残念に思った。 彼女はこんなに純粋に、祥を慕っているのに。 「祥、雅は悪くないのだから、責めないであげて。私が勝手に押し掛けたんだから」 祥にきつく言われた雅が、しゅんとして謝るので私は思わず彼女を庇った。 「何の用で来たの?」 「私の植えていった薔薇が気になっただけ。でも、雅がちゃんと手入れをしてくれてるのが判ったから、もう帰るよ」 だから、こんなあどけない子に、そんなに素っ気なくしないで頂戴。私が正面から見据えると、祥はまた、一瞬表情を硬くした。 すっと視線を外して、 「雅、もう暮れるから中へ入るよ」 と彼女に空いている掌を差し出す。 「はいっ」 彼女はするりと私の傍をすり抜けて、祥の身体に飛びついた。その小さな手を祥は握った。 「オレも、今日はおいとまします。雅ちん、またねー」 「ナギさん、おりょうさま、さようなら」 隣のナギが声をかけると、雅はちょこんと膝を折った。 私達も掌を振ると、三座の塔を後にした。 道中、ナギは私が訊いてくる事があるだろう、とびくびくしていた。私もはじめはそのつもりだった。 でも、塔で彼女と過ごすうち、帰ってきた祥の様子を見ているうち、私はナギに訊かなくても、いくつかの事に思い当たった。 祥が彼女を置いたままにして、一緒に連れて歩かないのは、自分の塔が一番安全だからだ。 娘に「お母さん」と呼ばせず、名前を呼ばせるのは、悪魔にとって名前は強力な魔力になるからで、もし何かあった時に、名を呼ばれれば、すぐに駆けつける事ができるからだ。 祥は、どこかへ出掛けたお土産を両手に抱えてくるよりも、常に片手を空けておく事の方が重要なのだ。 戻ったら、彼女の小さな掌を握ってやらなくてはならないので。 ++++++++++ 薄暗くなった中屋敷の前で、ナギと別れた。 彼はまだ記者としての仕事が残っていて、これから人間界へ出向くのだという。 「あの子は、祥の子じゃないんだろう?」 それだけ尋ねると、ナギは大きく首を傾げてみせた。 そうする事で、悩んでみせている風を表現しているみたいだった。 彼は色濃くなった月明かりに、厚底眼鏡を反射させて、まるっきり表情が窺えない上に、全く何も言わなかった。 いつもなら何か誤魔化しくらいは口にしたのだろうけど、今の彼は一貫して、首を左右に傾げるばかりで、ああ、この真実に関して、彼は祥ではなくて、あの小さな子の永遠の味方であるのだな、と感じた。 私は一人になって、自分の塔へと足を向けた。 永く永く生きて、自分は変わらない、と思っても、時は流れていくものだ。 悪魔であろうとも抗えぬ大きな力であり、それはちょっとばかり魔力や寿命を持っていたって、結局の所何も変えようがない。 変えようがなく、変わっていくものなのだ。 私は急に、色んな事がすとんと腑に落ちて、これまでにない清々しい気持ちになった。 まるでこの瞬間に、この世の全ての事に納得して、解脱した冥土の主になってしまったみたいだった。 そうか、彼からしたら、あの時の私はまだまだ、生きる事に苦悩する、若い人間のように見えて、憐みをかけてくれたのだろうな。 あの子は私の子なのだ。 でももう私の子じゃない。 どんなに愛らしく、愛おしかろうと、私はその命を捨てたのだ。もう一度、歩み寄る事など許されない。 一つのものを失った私にもたらされた、かけがえのないものだったのに、私は本当の事に気付く事がなかった。 自分で負った業である。 「そうかあ」 自分でも驚くほど理解しきった、穏やかな声がでた。 私の姿を照らす、魔界の月を見上げる。 この夜空にくまなく目を配って、よくよく眼を凝らせば、もしかしたら小さな、ほんとに微かな星は、この中央にも光っているのかもしれない。 もっともっと時が経ったら、私はその星を探そうと目を凝らしているかな。 それとも、この大きな月も美しいものだ、と思えているかな。 どうしているかな。
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