天蓋の星 12

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天蓋の星 12

天蓋の星12 どうしてあの時、ナルに伸の高原の事を話したのか、今でも不思議でならない。 その頃の私は、まだ時々悪魔であることに嫌気がさして、祥に成り済ましては憂さを晴らしていたけど、当の祥の所には、可愛い雅ができて、祥はあまり破壊的な振る舞いをしないようになった。 まだ、ふらりと居なくなって長い事男と過ごす事はあったし、淫魔である事には変わりなかったのだけど、以前のような冷徹な印象は少しづつ薄らいで、塔や中屋敷に姿を現すことも増えたように思う。 ナルはナルで、人間界で流行っている、自動人形というのをゴウに見せて貰って、その愛らしさにめろめろになって、その人形を作った人形師の屋敷へ転がり込んでしまった。 そしてなんと、その人形師に惚れてしまって、中央に戻って来なくなってしまった。 私の周りは、といえば、皆がちょっと出払っている隙に、壽ひさしと那々(なな)という悪魔がいざこざを起こして、ぶち切れた祥に監獄に収監されてしまった。 その理由を、拘束具を付けられた檻の向こうの壽は何も語らなかったけど、この諍いのために、実に魔界の半分ほどが消し飛んで、中央もかなりの痛手を受けた。 これにより、外へ出ていた私もナルも、結局は再び中央へ呼び戻される羽目になる。 中屋敷での、自分の仕事に没頭するうち、私は、昔の私が人間の真似をして人間の世界で暮らしていたこと、その時何か大切なものができて、でもそれを手放してしまったこと、それをとても後悔したことなどを、自分の胸の奥にきちんと仕舞えるようになれた。 その小箱を開けて、想い出を取り出す時も、それは懐かしく、甘い想い出だと思えるようになった。時間がかかったけれど、時というのは、本当になにかを浄化し、生まれ変わらせる力を持つ、偉大なものであるなあ、と私は感じ入った。 さて、そうなってしまうと、私は自分の過去した事について、ひどく冷静になった。 祥になって、駄目にした国のこと、雅という娘のこと、壽の扱いについて、色々反省したい事はあれど、一番まずいと私が思ったのは、勿論あの「魔術書」という本の事だった。 「ううーん……」 言いようもない怒りと悲しみにまかせて、私は人間との間の深い、埋めようもない差異を文章にして残してしまった。 私の知らぬ間に、と言うかほったらかしておいたうちに、予想以上にその言葉は信ぴょう性を伴って受け取られてしまったと悟ったのは、奇しくもナルのせいで、ナルは、人間界へ降りてできた子供に、話し相手として龍の子をあてがったと私に話した。 人間だと壊れてしまうけれど、人形だったら造り直せるものね、と親にでもなったつもりで嬉々とする彼を見て、もしかして、彼が今人間界でしている事は、私へのあてつけかしら、とちらと思った。 この世に広まる「魔術書」については、私は一計を案じた。こうする事で私は少し気を楽にしたけれど、ナルや極東様など、自分がした事を帳消しにしたい相手の元にある分の「魔術書」については、勿論子供騙しはきかないようだ。 私が残した事が道理であり、真実であったとしても、必ずなんらかの妥協点や折り合いをつける方法があるはずだ。どんな困難が待ち構え、途方もない時間が必要だろうけれど、必ずそれを果たす、という情熱を持つナルは、みせかけでしかない私と違って、本当に人間という生き物を愛しているのだ、と私は感じた。 今は、呪いのために短い寿命を繰り返す、彼の人形の子供に、どこか良い湯治場はないか、と尋ねられ、私はつい伸の事を話してしまった。 ナルは以降、新しい人形の子に、高原に行くことを勧めるようになり、夏の間、伸がその子供達の面倒をみるようになったみたいだった。 自分から訊くのもちょっと変だったので、しなかったけど、私の中に、瞬時にあの高原が蘇り、吹き渡る涼しい風や、満天の星空を思い起こした。 でも、その景色や人々は、昔のままで、今はもう、あの小さな子は本当に女将となって、旅館を切り盛りしている頃か、あるいはもっともっと年を増して、極東様の所へ行ってしまったかもしれない。 幾分か、都会らしくもなって、私の知っている高原とは変わっているかもしれない。 あの診療所はどうなっているだろう。伸は元気でいるかな。まだ一人でいるかな。 ……誰か、いい人ができたかな。 そう思うと、私はふと、伸に逢いたくなった。 私達は、何にもなり得なかったけれど、その代わりに、円満に別れたと思っていたので、その後彼に会っても、今の私は伸とちゃんと向きあえるような気がしていた。 底の薄い、硝子の皿に水を張り、手をかざすと水鏡に風景が映し出された。ぼんやりと揺らいでいたのが、輪郭がはっきりするにつれ、それが懐かしい夏の高原であると、私はすぐに判った。 あの高原を離れてから、随分経つけど、私はいつでも、一瞬でこうして離れた所を眺める術を持っていたのに、高原を再び見詰めるのは、これが初めてだった。 ずっと怖かったのだ。 自分があまりに高原から、あの頃から遠く離れてしまっただろうというのを理解するのが。多くの物がことごとく変わってしまったのを目にするのが。 けれどそれは、診療所の庭のようで、よく晴れ切って、高台から眺め下ろす、街の景色は全く変わっていないように見えた。こぢんまりとしていて、箱庭みたいな愛しい世界。
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