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天蓋の星 13
天蓋の星 13
目をこらすと、お嬢さんの持つ、旅館の屋根の連なりが今も残っていて、太陽を受けて、海原みたいにぴかぴか光っていた。
「わあ……」
その光に私は感激し、思わず口元を押さえた。
あのお嬢さんは、もうお嬢さんではないけど、あの屋根の下で、彼女や、彼女の子孫達が今も元気に暮らしているんだ。
感慨深く、その光景を見詰めていると、水場のある物干し庭に景色が移った。
伸のものでない、小さな姿がふいに映り込んで私はどきりとする。
たくさんの白い布や、白衣をせっせと干し、ちょこまかと動いている様はとても愛らしい。さらさらした茶色の髪に、大きなくりくりした瞳。
短い丈の白衣が良く似合ってる。
この娘さんは誰だろう?
白衣姿という事は、伸を手伝ってくれているんだ。高原の子かな。
お嬢さんは洗濯物を干し終えると、大きな籠を抱えて診療所へ入っていく。洗濯物の中には、お嬢さんの綺麗な夏服と、お嬢さんの物ではない、大きな私服もはためいている。
お嬢さんは、伸と暮らしているのだ。
「先生!患者さんはいるかい?」
彼女はひょいと診察室を覗き込んだ。
伸は少し、白髪の混じり具合が増えて、一層くたびれていたけど、
「ううん。ついさっき帰ったとこだよ」
声はあの頃の、穏やかで労わりに溢れたそのままだった。
「じゃあお茶にしよう。ちょっと待ってて!」
お嬢さんが奥へ消えるのを、伸は愛おしそうに見送って、机の上を片付け始めた。その節くれた指も、猫背気味の長身も、変わっていなくて、今もすごく素敵でどきどきとした。
でも、それはもう私のものではなくて、そもそも私のものではなかったけど、早く戻って来ないかな、とそわそわ待っている相手も、私じゃなくてお嬢さんなんだと私は思った。不思議なほど、嫌な感じはしなかった。
私のあとを引き継いで、彼が「先生」と呼ばれているのが嬉しかった。
「先生、こっちの焼き菓子とこっち、どっちが良い?」
「たかが、好きな方を食べなさい」
「ううーん……じゃあ、半分こして両方、二人で食べよう?食べさせてあげようか」
「ええ?いいよ……」
お茶の支度を持って戻ってきたお嬢さんは、少しはすっぱな感じに見えたけど、猫のように伸にごろごろとひっついて、甘えるのは素直で可愛くて、歳が随分離れて見えるのも構わない様子だった。
伸の方が、若干困っている様子だったので、この意気地なし、今度は想い人を泣かすなよ、と私は強く言ってやりたくなった。
伸みたいなおっちゃんが、あんな若くて可愛い子に好かれるなんて、不公平だ。私の事は鼻にもかけなかったくせに、伸ってば、童顔が好みだったのかしら。
それとも、彼はナルに会って私が本当は性悪で歪みまくった悪魔であると入れ知恵でもされたのか。
でもそれでも良かった。
鏡の向こうの伸は幸せそうで、彼は「魔術書」を読んだと思うけど、私の呪いは通じなかったのだ。
たか、と呼ばれたお嬢さんが伸の呪いを弾いたのだ。
お嬢さんが人間か、伸の正体を知っているか、は今見ただけでは判らないけど、二人はとても睦まじく、甘い雰囲気で二人の屋敷を鮮やかに、軽やかに塗り替えているようだった。
そこにはもう、私の痕跡も、私の割りこめる余地も一切なかった。
いっそ綺麗だった。
「あーあ……私も負けていられないな」
言葉に出して水鏡を仕舞うと、大きく伸びをした。
なんだ。私が面影を大切に、何十年と引き摺って生きるのも辛いようにして生きてきたっていうのに、向こうには、とっくの昔に奥さまがいたのかあ。
……この私が、随分と遅れをとったものだ。
カーテンを開け、窓に映る自分の姿を見詰める。
首を軽く傾げ、指先で頬から顎を撫ぜた。
額のはりや、目元を確かめると、別段衰えも感じず、私もまだまだいけるんじゃないかと思い始めた。
小さく、口角を上げて、瞳を意識して細めてみると、祥にも劣らない、美しい笑顔が作れた。
もし、私の頬笑みを欲しがってくれる人が、居てくれたら良いのに。
色々な人の顔を思い浮かべてみて……、ナル、極東様、ゴウ、ナギ、伸……、私の瞳は自然に伏せられた。
この魔界のはるか地下、五十階もの暗闇に居る壽の姿を、私は一番はっきりと強く思い浮かべた。
意外な人選に、私は自分自身で、ちょっとびっくりした。
どちらかというと、私は伸やナルみたいな、包容力溢れる男性に惹かれるのだけど、好みと縁があるのは別らしい。私に触れて、繋がりを持った男は、どちらも荒々しく、乱暴な愛情を私に寄せてきた。
壽は私のことを、清廉で凛とした美しい悪魔だから、崇拝してくれてるのだと思う。
本当は打たれ弱くて、恨みがましい、昔の男が忘れられなかった惨めな奴なのだ、と話したら、彼は幻滅してしまうかな。
幻滅されるのは怖いけど、監獄の暗がりで、あの子の長い長い拘束のうちには話す事ができるだろう。まるで異常な夢物語みたいで、さばさば白状できる気もした。
ひっそりと、誰にも知られぬように、私は彼に逢いに行くことにしよう。
真夜中に、月と長い影を携えて。
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