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天蓋の星 18
天蓋の星 18
大きな氷菓子をかいてもらうのを楽しみに待っているなんて、子供みたいかしら。私はちょっと恥ずかしく思ったけど、壽は何も言わず、私のお願いを叶えてくれる。
私は今、この時初めて、本当に初めて彼の顔付きを真剣に見詰めた。
浅黒い肌に、鋭い目付き、監獄の中に居る間に伸びてしまった髪を、壽はいつまでも切らずに、すっきりと一つに結わえていた。
若さゆえの野性味溢れる姿形だけれど、長い髪と瞳の、濃い灰の色が、彼をどこか理知的にも見せていた。
監獄の、狂気じみた灯かりの下で会う壽は、激情を飼い殺したような薄気味悪さを感じたけど、恩赦によって地上へ戻って来てからは、いや、監獄にいた時も、その前からだって彼は、ずっとずっと真摯に私の事を護ってくれている。
壽は、私が見詰めているのに気付くと、
「なんだ。もうすぐできるから、待ってろ」
といなすように返した。
自分より幾分も年若い彼に、子供のように世話を受け、私は今まで随分甘やかされて頼ってきたんだな、と顔を熱くした。いつの間にか、その好意を当然だと思ってしまっていた。
私ってば図々しい。でも嬉しい。
「う、うん。ありがとう」
意識して彼を眺めると、壽は眉間にしわを寄せて、真剣な表情をしているのが、きりりとしている。
余計な事は言わずに、いつも私の影となって寄り添っていてくれる。時々、私に良かれと思って、突拍子もない事をしている時もあるけど、私が叱ると、怯えたような目をして「嫌わないで欲しい」と態度で訴える。
狂犬を飼っているようなものだ。
でも彼は、私が愛しても死なない。
私がそんな、やましい考えを巡らせていると、膝の上に、任務を終えたかにさんが上がってきた。
「かにさんも、一緒に氷菓子を食べようか」
かにさんに提案していると、壽が一層眉間にしわを寄せた。なにもこんなちっちゃなかにさんに、嫉妬なんてしなくたって良いのに、そうやって彼はずっと耐えてきたのだ。
私が失意の中で他の男を諦められないでいるのも、他の男の子を産んだのも、光も射さぬ監獄での孤独も、世界が変わっていくのに取り残されることにも。
「ほら、できたぞ」
壽は私の前に器を差し出し、
「味は何にする」
と尋ねた。
普通は、赤いのや緑の砂糖蜜をそれぞれかけて食べるのだけど、私は匙で柔らかい氷だけをそっとすくった。
口に入れると、氷はすっと溶けてなくなった。甘くて、柔らかい。
何もかけていなくても、本当は水にも味や柔らかさがある。魔界の片隅で生まれている半島の水は、空気さえも汚れていると言われてきた魔界にありながら、あの澄み渡った高原の水に、とても良く似ていた。
「……おいしーい」
顔を綻ばせ、楽しくて言うと、
「そうか」
壽も、自分が褒められたかのように少し表情を緩めた。
ああ、変わんないんだ。
魔界であろうと人間の世界であっても、綺麗な所は綺麗なままで、もう、世界の垣根はないのかもしれない。
魔界だって、いつでもお天気であるのをやめたら、四季というものができるのだ。満天の星が浮かび上がる日も来るのかもしれない。
それらを自分で選んでいるだけなのだ。
だって私、議長なんだもん。
「壽も、氷だけで食べてごらん。おいしいから」
「……え」
匙ですくって向かいに差し出してやると、壽は目を丸くして、自分に向けられた匙を凝視した。
「いや……いい」
「ええ……おいしいから、ちょっとだけ。ね」
私が普段こんなことを言う事はないので、彼は硬直し、困惑していた。でも浅黒い肌でも判る程紅潮していて、形ばかりの遠慮なのは明らかだ。
「大丈夫だよ。二人きりだもん」
囁いて、顔の前まで匙を上げてやると、壽は視線を泳がせつつ、
「……そこに蟹が居る」
と私のかにさんを目の敵にした。
「んもう……どうしてそんなに、かにさんが気に入らないの」
かにさんに、ちょっとの間警備に行ってもらうと、彼は少しだけくだけた調子になって、私の匙を口に入れた。
彼が、後から登場して、あっさりと私の屋敷に暮らすかにさんを宿敵だとみなしているのは、ばればれだったけど、かにさんは蟹の形をしているから許されるのである。
お前は男じゃないか。
私が眉を下げても、壽は仏頂面で拗ねていた。
主張したくとも、口に出して私に拒絶されるのは恐怖なのか、彼は肝心な事を私に言わない癖がある。
私達はしばらく無言で、氷だけの氷菓子を変わりばんこに食べて、互いの顔色を窺っていた。「おいしいね」と言う代わりに小さく笑うと、壽も、ぎこちなく唇の形を変えてくれた。
もう一度微笑む時、私はそこに「いつもありがとう」と「今、あなたを好きになるところ」という気持ちを込めた。
おしまい
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