天蓋の星 5

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天蓋の星 5

天蓋の星 5 高原から戻っての私は、惨めな事この上なかった。 表面的には、三座様の凱旋だ、と皆に歓待を受け、私も、人間界での日々などを楽しげに聞かせていたけれど、あの高原を思い出すたびに、あの雲の渡る庭や、間近に迫る空などが蘇るたびに、同じように想起する面影に、胸が痛くなった。 息が止まりそうに苦しくなった。 私は人間と同じ様に、人間と同じ思いがしたくて「諦める」という事をしたのに、どうしてこんなに切ないのだろう。心が沈んでいくのだろう。 私は伸と離れることで、人間に近付けると信じていたのに、私の心は醜く淀んでいくばかりだ。やはり悪魔は悪魔としての業を負って、泥にまみれて生き永らえていくしかないのか。 これで良かったのか。 以前は、周りがどんな状況でも、自分の意識を常に冷静に保ち、平常心でいられたのに、高原で暮らしてからの私は、すっかり変わってしまった。 自分の気持ちがすぐに揺らぎ、確かな自分でいる事が難しい時が増え、そんな時、私は悪魔としての自分を肯定するための方法をとる事にした。 ++++++++++ 焼き払われた街は静かである。 あらゆる生き物、森や水や風さえ、音を発するもの全てがそこにはないからだ。 それでも、私の胸のぽっかり空いた穴の中より寂れてはいないだろう、そう思うと私は、唇の端を歪めて笑った。悪魔として浮遊し、私は長いローブをはためかせている。 私に良く似た淫魔は、淫魔の業として人の精を好む。 しかも素直であるので、奴は気持ちの赴くままに人間界へ降りて、享楽三昧の日々を送っている。 男とどうこうするのが羨ましいとは思わないけど、そのついでとして国を滅ぼしたり、金を湯水のように使う、その行為を本当に好き勝手に行う祥(よし)が、私は羨ましい。 なので、私はそんな祥を少し利用させて貰う事にしている。祥のふりをして、人間界で憂さを晴らせば晴らす程、祥の悪名は高くなる。 それを諌める自分は、少しだけましな生き物のように感じられた。 時々、消し飛ばした人間の国の事を思って、気に病んだりした。人の良い、生き物のふりをした。 ++++++++++ 「今日は皆さんに、極東(きょくとう)から大切なお話があるそうです」 中屋敷の定例議会で、議長のナルがのほほんと口を開いた。定例議会といっても、いつも議員五角(ぎいんごかく)のうち半数は来ていない。 前述の通り、祥は遊び呆けていたし、四座の議員も議会には興味がないようで、普段は私より上位の極東様も、中屋敷での事に熱心ではなかった。 それが、出てきたと思ったら何の話だろう。私は二人を見詰めた。 「えー」 珍しく議会で喋りだした極東様は、軽く咳ばらいをした。 詳しい事は知らないけど、極東様というのは、ナルと同じくらい永く生きた大悪魔で、ナルとは人柄が全く違った悪人そのものといった風体なのだけど、二人は何故かとても仲が良い。 そんなガラの悪さなくせに、どうしてか人望もあり、彼はナルと双璧をなすように、長い事この魔界を統制してきた悪魔だ。 多く人気を集めるような容貌ではない。でも、凄味のある眼光や、ぎらぎらした気配、人の上に立つ貫禄は充分過ぎる程備えていた。 「俺はこのたび、魔界を離れて冥土国へ身罷ろうと考えた」 「えっ?」 「よって、来週、見送り会をせよ。以上」 「……えっ」 一緒の席についている者に失礼だとは、露ほども考えないのか、机に足を投げ出しふんぞり返った格好で、極東様はそう言った。 私は突然のことで、言葉が出ずにナルに助けを求めた。ナルは、私の視線がよほど困り果てていたのか、大きく掌を振って話を補足する。 「あっ、身罷ると言っても、本当に死ぬのとは違うよ。極東は冥土国へ赴いて、新しい閻魔様の仕事をされるんだよ」 「……」 冥土国というのは、いわゆる死んだ人間や生き物がそこへ行き、次に生まれるまで、しばらく過ごす場所だ。 勿論、ほいほい出入りのできる土地ではないが、基本的にはただの国家であるので、生きたままでも方法によっては赴く事ができた。 極東様は、何故いきなりこんなことを思い付いたのだろう? 少なくとも、甦りだとか、輪廻の理などに意味も興味も、見出さないような人であったのに。 私は知らずのうちに、その疑いを顔に出していたのか、極東様は、 「いい加減、悪魔として延々と生き続けるのも飽きてきたしな。どうせまだ先も長いなら、そのからくり自体を操ってやろうと思った」 「……元々の閻魔国王は、どうされるのですか」 私に適当な理由をでっちあげた。 それより、今冥土国を統括している人物をどうするのか、私にはそれも気になる所だったけど、それについて彼は、にやにやしつつ肩を竦めただけだった。 まあ、彼の事なので、無理やり頷かせる手段はいくらでもあろう。 「とっても淋しいけれど、極東が決めた事だから、私は笑ってお見送りするよ」 「そうしてくれ」 「いっつも出てこない祥とウォルフも、必ず探して来ようね。……ところで、君が身罷った後の、五角の事だけど」 「ああ」 人の良いナルは、瞳をうるうるさせつつ彼に確かめた。 「俺の椅子は了(りょう)に任せる。あとは繰り上げにでもしろ」 「え?」 事もなげな極東様の言葉に自分の名が入っており、私は思わず声を上げた。 「それが良い」 ナルも調子を合わせるので、 「どうして私なの?」 私は慌てて掌で話を制した。 「祥だってウォルフだって居るじゃないか。……他にだって五角に向いている悪魔はいるでしょう」 私自身も、話を制しはしたが、彼の提案が覆る事のないのは判り切っていた。自分で反論していても、望み薄なのは明らかだった。 祥やウォルフに、ナルの手足となる意志はない。順番通り、私から繰り上がり、末席に新しく有能な部下を招き入れるのが、いずれ私にとっても正解になるであろう。 ……ナル達は、こんなに悪魔である身を忌んでいる私を、いつかこの国の長にしたがっているのだ。
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