天蓋の星 8

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天蓋の星 8

天蓋の星 8 そのおりょうの姿を、私はたまたま塔から見ていた。 極東が、あまりに生き過ぎてついに壊れて、仏門に入ったというか、単に俗界に飽きて、冥土の国へ行くというので、皆で見送りをするため、私は一人で塔に居た。 私は奴の見送りなど、どうでも良かったのだけど、ナルからの号令には悲しいかな、私は逆らう術を持たない。 中央になど用はないのに、私は渋々と中央へ戻り、くさくさと景色を眺めていた所だったのだ。 おりょうが、中屋敷の裏へ消えていくのが見えた。 至って普通の動きであったのだけど、私は直感とでもいうべき何かで、不審な様子を察し、ローブを羽織るとふわりと外へ出た。 皆は常々、私が始終厄介な事を引き起こしたり、碌な事をしない奴だと口酸っぱく言い、問題児のように私を扱うけれど、私からしたら、おりょうの方がよほど怪しくて、捩じくれた事をする。 奴は表向き、誰にでも優しく、穏やかな事を言うけれど、奴の思想そのものは悪魔にしては危険過ぎたし、理想論過ぎてもいた。 しばらく、私が遊び呆けていて魔界に居ない間、おりょうもどこかへ行っていて、その旅行記も兼ねてか、先日おりょうが自分で書いた本とやらを私にくれた。評判は良いらしいがつまんなそうなので、私はそれを読んでいない。 感想は求められていない。 私が追い付く頃、おりょうは中屋敷の裏にそびえ立つ、大きな欅の根元にいた。 私のと似たローブを深く被って、何か魔術でもするのかしらん、と覗いていると、奴は握っていた拳を開いて、その根元に何かを落とした。 そしてすたすたと表へと戻ってしまった。 ローブのせいで表情は判らなかったけど、別に何かの儀式でもなさそうで、 「?」 私はおりょうが消えてからその根元まで行き、辺りに目を配ってみた。 すると、根の間に黒い小さなものが落ちている。 取り上げると、植物の種である。 「??朝顔の種かねえ」 おりょうは、わざわざ一人で、ここへ朝顔を植えに来たのだろうか?でも、埋めていかなきゃ芽が出づらいだろうし、植えるというよりは、捨てていったような雰囲気に見えたのだ。 私はしばらくそれを掌の上で弄んでいると、急に、この種はおいしいかもしれない、という考えが頭をもたげた。 さして大きい訳でもなく、実の詰まっている大きさでもなかったけど、私はこれを自分のお腹に入れてみたい気になった。 そしてそれを口に入れてみた。 舌で転がして、飴玉のように舐めてみるけれど、味はしない。噛んでみようと歯を立ててみる前に、慌てて飲み込んでしまった。 「あ、飲んじゃった」 味もしないし、よく判んなかったな。 おりょうがどうして捨てていったのかも解せないし。 私は、暇つぶしにもならなかったけど、まあいいやと塔に戻って、極東の見送りをした。 そっとおりょうを窺い見たけど、その時はもう、おりょうはいつものおりょうだった。 ++++++++++ 見送りの会が済んでも、私は少しの間魔界にとどまった。急いで出掛ける先もなかったし、悪魔としては珍しく、私は見送り会の後に体調を崩し、高熱にうなされたからだ。 どの辺からか、悪い病気でも貰って来たのなら、ことだ。私は何日か、ベッドで唸っていたけれど、幸い数日で熱は引いた。 こんな時、一人で居るのは淋しいものだ、なんて変に気弱になりつつ、風呂場へよろめいていく。 身体を洗っていると、腹をばりばりと掻く。すると、へそから何かがぽろりと転がり出た。 「はて、何かしら」 湯の中で探して、摘み上げてみると、それは何日か前に、おりょうが捨てた朝顔の種で、先日私が飲み込んでしまったやつだ。 また出てきてしまったのか。 「ふううーん……不思議なこと」 私はブリキの缶に土を入れ、その種を埋めた。 手のかかる植物だったら、面倒で放り出してしまうかもしれないな。私は思ったし、物を育てた事などないので、いつ水をやったり、どこへ置いたら良いのか、などまるで判らないまま、塔に置いておいた。 思った通り、その種は育ちが遅く、しばらくしてやっと芽が出た。 時たま塔へ来た時だけ水をやり、風に当てたりするくらいなので、勿論状態も良くない。細っこく、弱々しい葉やつるが伸びてきたので、もしかして、もっと大きな鉢へ移してやらないといけないのか、めんどくさいと思い、 「ちょっと、ずるずる伸びて、手間をかけさせないで頂戴よ」 きつく言うと、それが聞こえたのか、その芽はそれ以上大きくならず、小ぢんまりした状態を保った。 それから、私が時々塔へ戻ると、植物は細いつるをゆらゆらさせ、私が来たのが嬉しいという表現をするようになった。 風もないのに身体を揺らし、私の気を引くように動くので、 「判った判った。ご飯でしょ……」 私は段々と、その植物を気にかけるようになった。 特に何もなくとも、塔へ戻るようにし、なるたけ長く塔に滞在するようにした。 ああ、世話なんて面倒。……でも、枯れさせるのは後味ちょっと悪い、かも。 そう思っていると、やがて植物は真っ赤な花を咲かせた。 黒ずんだ、濃い赤は、まるで血の色みたいだったけど、私はとてもお洒落だ、と感じた。 「ほら見て。あのお月様より、あんたの方が綺麗だよう」 花が咲いている数日の間、私は窓を開け放ち、貧相な植物に大きな大きな月を見せてやった。 そしてちびちびと手酌で酒を呑んだ。
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