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私の姉はいつも優しい
「おかえり、ちーちゃん。あら、高橋くんも一緒なのね」
私が「ただいま」を言うより早く、姉の松理が声をかけてきた。
まさか、姉の方が先に帰宅しているとは思わなかった。これは大きな誤算だ!
恋人同伴の私としては、彼を姉に会わせることなく、私の部屋まで連れて行こう、と考えていたのだから。
「姉さんこそ、今日は早いのね」
「ええ、授業が少しだけ早めに終わったのよ」
と、私たち姉妹が言葉を交わすのを待ってから。
高橋くんが、ぺこりと頭を下げる。
「お邪魔します、松理さん」
「こんにちは、高橋くん。久しぶり……というほどでもないかしら。月曜日にクラブで会ったばかりだものね」
姉は冗談っぽい言い方で、高橋くんに微笑みを返した。
高橋くんは、私と同じ中学一年生。学校も同じだが、クラスは違う。本来、出会う機会なんてなかったのかもしれない。
私たち二人の接点になったのは、姉の松理だった。
写真部の部長をしている姉は、時々、部員を家に連れてくる。個人所有の道具の中には、部室ではなく家に置いてあるものもあり、それらを見せたり貸したりしながら、後輩たちに色々と手ほどきするためだった。
カメラ初心者の高橋くんも、そうした後輩たちの一人。そもそも彼は、部活紹介のテントを見て回っている時に、
「カメラに興味はありませんか?」
と、姉に声をかけられたのだという。
彼としては、あくまでも適当に声をかけられただけ、と思いながらも、優しそうな美人の先輩に誘われて、悪い気はしなかったらしい。それで、特に興味もなかった写真部に入ろうと決めたそうだ。
しかし。
私は知っている。
いくら新入部員勧誘の場であっても、けして姉は、誰彼構わず声をかけるようなタイプではない、ということを。
わざわざ姉が声をかけた以上、高橋くんには、よほど惹かれるものがあったに違いない。
そして。
それは私も同じであり……。
姉が彼を家に連れてきたあの日。私は一目で、恋に落ちてしまった。
――――――――――――
「今日は、竹鶴さんから『一緒に勉強しよう』と誘われまして……」
律儀なことに、高橋くんは、姉に対して「何しに来たのか」を説明している。
こういう部分は彼の素敵なところだと思うし、私も気に入っているが……。今日に限っては、少し厄介だった。
「あら! それなら、リビングのテーブルを使うといいわ。ちーちゃんの部屋だと、一人用の勉強机しかないもの」
「でも、僕と竹鶴さんでリビングを占拠したら、ご迷惑なのでは……?」
「大丈夫よ。父さんも母さんも夜まで帰ってこないし、私は私で、自分の部屋にいるつもりだから」
「ああ、それでしたら……。ありがとうございます」
また高橋くんは、ぺこりと頭を下げる。
私も彼に合わせて、微笑んでみせるが……。
内心では「これでは計画が丸つぶれ!」と嘆いていた。
もちろん「一緒に勉強しよう」は口実ではなく、本当に勉強するつもりもあった。だが、それだけではないのだ。恋人らしくイチャイチャしよう、という気持ちがあるからこそ招いたわけだし、そのために私の部屋へ連れ込むつもりだった。狭い机で肩寄せ合って勉強するのも、恋人同士ならば困ることはなく、むしろ楽しいはず、と考えたのだ。
私と高橋くんが付き合い始めたことは、既に姉も承知している。ならば私の乙女心だって理解しているだろうに……。
こちらに向かってニコッとする姉に対して。
心の中で私は「邪魔をしないで、お姉ちゃん!」と叫んでしまうのだった。
――――――――――――
静かなリビングでの勉強は、悔しいくらいに捗った。
しばらくして。
テーブルから顔を上げた高橋くんは、
「そろそろ、一休みしようか」
と言いながら、椅子の背もたれに体を預けた。
いつものキチッとしたイメージからは程遠い、リラックスした姿だ。だらしなく見えるのではなく、むしろ「私に心を開いてくれている」と感じられて嬉しかった。
「うん!」
私は笑顔で答えたのだが、そんな幸せ気分は、一瞬で吹き飛んでしまう。
「あら。ちょうど良い頃合いだったみたいね」
まるでタイミングを見計らったかのように、姉がリビングに顔を出したのだ。しかも、休憩用の飲み物とケーキをお盆に乗せて。
これでは、恋人である私以上に、阿吽の呼吸ではないか!
「ミルク抜きの砂糖少し。高橋くんは、これで良かったわよね?」
と言いながら、彼の前にコーヒーを置く姉。一本のスティックシュガーも添えられている。
もともと部活の先輩後輩という間柄だから、飲み物の好みも把握している、ということなのだろう。
ちなみに私の方には、スティックシュガー二本とコーヒーフレッシュひとつが付いたコーヒー。姉自身には、何も入れないブラックコーヒー。
私と高橋くんだけのために持ってきたのではなく、彼女もティータイムに参加する気満々、ということだ!
「ありがとうございます、松理さん」
また高橋くんが頭を下げている横で。
つい私は、口にしてしまった。
「姉さん、そのケーキはどうしたの? ケーキの買い置きなんて、うちにはなかったよね?」
「あら、ちーちゃん。そんなこと気にしなくていいのよ。二人が勉強頑張ってるから、私も何か協力したくてね。駅前のケーキ屋までひとっ走りして、買ってきたのよ」
「わざわざ買ってきてくださったのですか! 僕たちのために……」
高橋くんの驚きの声。
先ほどまでのリラックスムードから一転、恐縮して畏まった態度だ。
「まあまあ、そんなに大げさに考えないで。ほら、あなたたちにかこつけて、私の分も買ってきたのだから……。一緒にいただきましょうね」
まるで、ケーキの一部をフォークに刺して、彼の口元へ「あーん」と運びそうな口調だった。
高橋くんも高橋くんで、
「いやあ、本当に松理さんは、お優しいですね」
とデレデレしている。
おそらく高橋くんにとって、彼女は『恋人の姉』である以前に、いつまでも『美人で優しい、憧れの先輩』なのだろう。
――――――――――――
確かに、姉は昔から優しかった。
特に私に対して。
例えば、家族でレストランへ出かけて食事、という時。実際に運ばれてきたメニューを見て、
「私のハンバーグより、お姉ちゃんのスパゲッティの方が美味しそう」
という我儘を私が口にすると、
「じゃあ交換しましょうか、ちーちゃん」
と、笑顔で取り替えてくれるのが姉だった。
また、二人で一つずつ、人形を買ってもらった時も、
「お姉ちゃんのお人形さんの方が可愛い」
「じゃあ交換しましょうか、ちーちゃん」
というやりとりがあったのを覚えている。
そうやって何でも私に譲る姉だからこそ、私が高橋くんと付き合い始めた時も、
「まあ、おめでとう! ちーちゃんも高橋くんも大好きだから、その二人が恋人になるのは、私も嬉しいわ!」
と祝福してくれたのだが……。
今、こうして。
仲良くケーキを食べる二人の姿を見ていると。
姉の高橋くんに対する『大好き』は、恋人である私が抱く気持ちと同じなのではないか、と思えてしまう。
食べ物や人形のように一度は私に譲ったものの、彼は食べ物でも人形でもないから、まだ諦めきれないのではないか、と思えてしまう。
だから、おそらく。
私たち姉妹の間で、実はまだ、高橋くんの取り合いは続いているのだろう。
(「私の姉はいつも優しい」完)
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