第17章 翠色の瞳

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ティンカンと2人で宿を出る前に、リーハはフォーガルに琥珀の守護石を渡そうとしたのだが、フォーガルに首を振られた。 超が付く貴重な守護石であるトゥンガーナ王の琥珀は、長年多くの人手を渡り歩き、時折どういう訳か遺跡に戻されて再び発見されては流れるということを繰り返しているのだそうだ。 直近で確認されていた所在地は、ここ数十年、何とリ・イティル・ラクトリア帝国のオルケイア家管轄の遺跡の中だったそうだ。 だが、そこがまた盗掘に遭って、こうして世に出てしまったのだそうだ。 この琥珀はとにかく自由に動くので、“翡翠の神殿”での保管・管理は難しいだろうとフォーガルは結論を出していたようだ。 「でも、呪いで周りに被害があるようなものを持ち歩くのは。」 そう躊躇うリーハに、フォーガルは苦笑した。 「リーハが持ってる内は、そういう呪いは起こらないんじゃないのか?」 目を瞬かせるリーハに、フォーガルはまた苦い顔になった。 「ナイビアの翠色の瞳には、実はそういう作用があるって言われてる。だから、守護石の管理をしてきたんだ。勿論、全ての石に対してではないし、絶対って訳でもない。でも、何というか、その石は取り敢えずリーハの側が気に入ってるみたいだ。」 リーハは、一緒に話しを聞いているティンカンを振り返った。 「ええと。リーハが持っている限り、これからも呪いはないってことですか?」 ティンカンが口を挟んでくれて、フォーガルは肩を竦める。 「長年の研究でな。あー、これは石に反発されてるなぁっていうのは、良く分かるんだ。逆に、そいつは今大人し過ぎる。その石はそもそも片割れの所在が実ははっきりしていて、一緒に保管されてた時期もあったんだ。なのに、そいつだけ片割れを置いて移動するんだよ。本当に主人になる奴を探してるのか、ただ単に、じっとしていられない質なのか分からないけどな。」 リーハは首から下がる緑色の包みに目を落とす。 「気に入らなきゃ、自分から離れて行く筈だから、それまではリーハが持ってれば良い。気負わずに連れて行ってやれば良い。何か不具合が起こり始めたら、売るなり“翡翠の神殿”に送り付けるなりしてくれれば良いからな。」 そんな適当な話しで大丈夫だろうかと不安になったが、逆に意思のある物ならば、必死になって守る必要はないのかもしれなくて、少し気が楽になったような気がした。 「ええと。持ってるだけで良いのなら。それじゃお預かりしておきますね。」 「ああ、是非そうしてくれ。下手なところにやって色々あるよりは、こちらの精神衛生上、助かる。」 守護石の管理をする“翡翠の神殿”も色々と苦労があるようだ。 リーハは少しだけ垣間見えたフォーガルの苦労に、苦笑を返した。 「さて、それじゃティンカン君、リーハを頼んだよ。」 フォーガルが軽い口調で別れを口にする。 「リーハ、幸せにしてもらうんだぞ? それでも万が一、あの子の追跡を振り切れなくて、帝国に連れて行かれることになったら、絶対に誰にも気を許してはいけないよ。君をそんな風にはしたくないから、あそこへはやりたくないんだけどな。」 続いたフォーガルの言葉には、少し気が重くなるような気がした。 万が一ではなくて、リーハの心は帝国に行くことで決まっている。 その前に、ティンカンと短くても幸せな時間を過ごすと決めただけだ。 「うん。分かった。」 短くそう答えると、フォーガルに頭をくしゃりと撫でられた。 「リーハには、ニンファの分も含めて、沢山幸せになって欲しいんだからな。」 言い聞かせるように言われて、リーハは少し目頭が熱くなる。 「母様は、不幸なばかりではなかったと思うよ。本当のことは分からないけど、3人で暮らしたあの家で、沢山優しい笑みを向けてくれたわ。幸せじゃなかったら、あんな笑みは浮かべられないわ。」 フォーガルの目に薄っすらと涙が浮かぶ。 「そうだな。ごめんな。リーハと過ごした10年足らずは、幸せだったな。小さなニンファが育っていくのが面白くって、私の趣味の世界を一杯詰め込んでみては、ニンファに怒られていたな。もっと可愛らしい女の子らしい遊びを覚えさせなきゃってな。」 鼻をすすりながら、そんなことを暴露し始めるフォーガルに、リーハはティンカンと顔を見合わせて苦笑してしまう。 「歴史書が絵本代わりだったのには、王宮で皆に引かれてましたよ。でも、それもリーハだって最近では皆納得してしまっていますけどね。」 ティンカンの返しに、フォーガルは顔を歪めて笑う。 「私とニンファの大事な娘なんだから、頼むよ。絶対に幸せにしてくれよ。」 そのフォーガルの目の端には明らかに涙が滲んでいる。 「もう、分かったから、行くわね。父様も元気でね。叔父様にはやられっぱなしじゃなくて、酷いことはきちんと断ってね。」 結局、ランディルとのフォーガルの関係性は全く理解できないままだが、気にしていない様子のフォーガルにはそう言って釘を刺してみることにする。 リーハが帝国に行った時に、ランディルからまたあんな扱いを受けるのはごめんだ。 あれが純粋な悪意でなかったとは、未だに信じられないが、全く理解出来ないので、是非愛情なら別の形で示して欲しい。 リーハはティンカンに促されて、宿屋の玄関を出る。 宿の前に繋がれていたティンカンの愛馬に近付いて行くと、バーズが待っていた。 「バーズさんは、一緒に国に戻るんですか?」 それは聞いていなくて、驚いて問い掛けると、バーズは苦い笑みを浮かべて首を振った。 「まさか。甘い婚前旅行の2人のお邪魔は出来ないよ。それに、“翡翠の神殿”の者だって身元がバレてしまったから、リン・ヴェルダ・ウィーラには戻れないよ。」 成る程と、リーハは頷いた。 「王宮から出る時に、薬師長ビーラに君に渡して欲しいって頼まれてた物があってね。」 言って差し出して来た荷物入れには見覚えがある。 「爪染色の道具?」 ビーラは置いて来たそれを、バーズに託してくれたのだ。 「有難うございます。」 リーハは最低限の道具の入った鞄を抱き締めるように受け取った。 途端にティンカンの手が頭の上に乗って優しく撫でられた。 全部、大事な場所に残して置いて来た筈なのに、いつの間にかそれが手元に戻って来る。 堪らなく嬉しいような困ったような複雑な気分になる。 「指先の染色師リーハは、これでいつでも再開出来るね。・・・見付けよう、小さな幸せを一杯、積み重ねて、私達も幸せになろう。」 優しい声音のティンカンの言葉が胸に染みる。 「はい。」 涙が混じりそうな声で、リーハはただそれだけを返した。
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