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弔問客が一段落ついたところで、ティンは手伝ってくれていた同僚のバルのところへ向かった。
「バル、今日は助かったよ。ありがとう。」
「困った時はお互い様だ。気にするな。それより、大変だったな、ティン。大叔母さんはお前の唯一の身内だったんだろ?」
二つ年上のバルは、ティンと同様王宮の近衛騎士団に所属しているが、人当たりが良く、面倒見も良い、ティンにとっては兄のような存在だ。
「ああ。流行病で家族を亡くしてからは、近衛の宿舎で暮らしてた俺に代わって、屋敷をずっと守ってくれてたんだ。優しい人だったよ。」
穏やかにそう語ると、バルはティンの肩をぽんと叩いて励ましてくれた。
「そうか、じゃあ俺も、お前の大叔母さんにお別れをして来ようかな。」
バルは言って神殿の祭壇前に据えられた棺に向かって行く。
棺の前で手を合わせてお祈りをしたバルは、立ち上がって大叔母を覗き込んだようだった。
「穏やかな顔をしてる。それに綺麗だな、組んだ手の先に幻夜草が咲いてる。きっと穏やかに眠りにつけそうだな。」
弔問客達も、口々にその爪の装飾のことを口にしていた。
大叔母は、生前から自分の死んだ後のことは葬儀の費用から手順まで、きっちりと手配をしていたようだ。
忙しいティンを自分の死の事で煩わせない為にそうしてくれていたのだろうが、世話になった大叔母に、こんな時も何も出来なくて、申し訳ない気持ちで一杯だった。
「屋敷の方はどうするんだ? 宿直と夜勤以外は屋敷から通うことにするのか?」
両親の遺してくれた屋敷は維持するつもりでいるが、誰も住まない屋敷というのは、どうしても荒れてきてしまう。
「いっそ嫁でも貰ったらどうだ?」
冗談めかして言うバルは、許婚とそろそろ結婚を考えているらしい。
「まだいい。仕事が忙しくて構えないのに、嫁を貰っても可哀想だ。」
ティンの仕事を知るバルは肩を竦めてそれ以上は何も言わなかった。
バルと並んで見下ろした棺の中には、弔問客が入れた花に埋もれるようにして、化粧を施されて綺麗にしている大叔母が眠るように横たわっていた。
大叔母の胸の上に組まれた手には、昨夜も見た幻夜草が鮮やかに咲いている。
言伝えによると、幻夜草は白い清楚な花だが、常に夜露に濡れていて、その夜露が極彩色に輝くので、極彩色の花に見えるのだという。
大叔母の爪に描かれた幻夜草は、一枚ずつ重なり合うように広がる花弁の縁をそれぞれ別の色で描き分けた非常に手の込んだ絵で、その精緻な絵を小さな爪に描くのだから、物凄い技術だと言えるだろう。
描いたのは、昨夜安置所から引き上げようとしていた業者の誰かなのだろうが、もう少しきちんと礼を言うべきだったと、ティンは後になってから後悔した。
「とにかく、三日特別休暇を貰ったんだろう? 気を落とさずに、ゆっくり屋敷で過ごしてこれからのことも考えて来い。な?」
バルはそう言い残すと、手を上げて神殿を出て行った。
静かな神殿に取り残されたティンは、10年前に味わった孤独を、また改めて味わうことになった。
10年前、リン・ヴェルダ・ウィーラ王国には、タチの悪い流行病が流行した。
多くの人の命を奪ったその病で、ティンは両親と祖父母と、歳の離れた弟妹を亡くした。
その頃、既に王宮で近衛騎士見習いを始めていたティンだけが家族の中で生き残ったのだ。
あの頃はそんな者は他に幾らでもいたが、それでも酷く落ち込んでいたティンに、田舎暮らしをしていた大叔母が手紙をくれた。
早くに金持ちの夫を亡くした大叔母には子供も居らず、のんびりと田舎暮らしを満喫していたようだが、当時まだ15歳だったティンを心配して、王都へ出て来てくれたのだ。
家族の葬式から屋敷の片付けなどを、途方に暮れていたティンに代わって、大叔母は的確に差配してくれた。
市井で開発されたという特効薬で病は終息していったが、屋敷の維持の為にと、大叔母は王都に残ってくれることになった。
いつか甘えっぱなしになっていた大叔母に、孝行が出来るようにと仕事に打ち込んできたが、風邪を拗らせた大叔母はあっという間に亡くなってしまった。
看取ることも出来なかった事に後悔ばかりが募る。
「大叔母さん、ごめん。それから、これまで有難うございました。」
最後にそう口に出して言うと、少しだけ気持ちが落ち着いてきたような気がした。
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