第1章 爪先の幻夜草《アンカーネン》

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店の奥で髪結いに来たお客さんの髪を丁寧に梳いていると、表の店の方から何か騒がしい声が聞こえてきた。 接客専任の店員の上擦った声と、店の客から密やかに上がった黄色い声で、珍しい男のお客でも来たのだろうと、リーハは苦笑しながら髪を梳かすことに集中する。 「ねぇ、何があったの?」 髪結いのお客は、リーハより少し年上に見える裕福な家の若奥様という雰囲気の女性だ。 「さあ、表の方に目立つお客様でも見えていらっしゃるのでしょうか。」 リーハが控えめにそう答えると、女性客はもどかしそうな顔になった。 「ねぇ、何があったのか、貴女見てきてよ。」 女性客は、物見高い方なのだろう。 座った椅子からそわそわと言い出す女性客に、リーハは困ったように眉を僅かに寄せた。 「あのー、私がちょっと様子を見てきますから、リーハは続けて。」 ティーナが割り込んでくれて、リーハはほっとした。 女性客の方も、ティーナが見てきてくれるならそれで良かったようだ。 安心したように、椅子にゆったりと浮かしかけた腰を落ち着けてくれた。 リーハはその女性客の髪をサラサラになるまで丁寧に梳かしてから、本職の髪結師を呼ぶ。 次の予約客の為に用意を始めようとしていたリーハは、戻ってきたティーナの少し慌てたような困ったような顔と出会って目を瞬かせた。 「リーハ、ちょっと来て。」 気遣うような視線を向けてくるティーナに、リーハは嫌な予感がしながら、頷いて一緒に店と部屋を繋ぐ廊下に出た。 「表にあんたを訪ねて男性客が来てるんだけど、どうする?」 気遣わしげに訊いてくるティーナに、リーハは顔色を曇らせる。 「どうして、私?」 困惑したように、恐々訊き返すと、ティーナは溜息を吐いた。 「一昨日の葬儀のお客さんだって。あんたに爪の花のお礼を言いたいって、律儀で紳士な若めの男性。因みに見栄えも良しだけど、あんたには余計なお世話よね?」 少しだけじっとりした目を向けてくるティーナに、リーハは少しだけ顔色を悪くさせながら俯く。 「忙しいって断っとく?」 小さな溜息と共に確かめるティーナに、リーハは小さく頷いた。 リーハは、男性が苦手だ。 「ねぇ、付き合ってあげるから、一緒にお礼を言われる間くらいは、我慢出来ない?」 ティーナに、気を取り直したようにそう言われて、リーハは視線を下げた。 「・・・そうした方が良い?」 仕方無く訊き返すと、ティーナはまた息を吐いた。 「嫌なのは分かるけど、せっかく褒めて感謝してくれる客を追い返してたんじゃ、いつまで経ってもあんたの評判は上がってこないわ。指先の染色師を名乗って仕事にするなら、お客は大事にしなきゃ。」 リーハは、俯いたまま合わせた手を握り締めると、頑張って目を上げた。 「分かったわ。頑張ってみる。」 それにティーナがにこりと優しく笑った。 「それじゃ、奥の個室に通して待ってるから、お茶の用意をして持ってきて。」 ティーナの言葉に頷いて、リーハは店の奥の台所へ向かった。 リーハの勤める“美容屋カータのお店”では、薬草茶(ハーブティー)も扱っていて、店の奥でお手入れに訪れたお客には宣伝も兼ねてそのハーブティーを出すことになっている。 リーハに会いに来た客は男性だが、葬儀の後で疲れているだろうにわざわざ寄ってお礼を言いに来てくれたのだから、感謝を込めて少しでも癒しを提供しようと思う。 男性の苦手なリーハには、言葉にして長々とお礼を言ったり気遣ったりは難しいだろうから、せめてそのくらいはしようと思った。 店のハーブティーの中には、リーハが裏の花壇で育てている薬草も一部混ざっている。 リーハは、手や爪のマッサージや艶出しに使う塗り薬を作る為に薬草を栽培しているが、季節になると、使う以上に収穫が出来るものもあって、それを乾燥させて店に持って来たりするのだ。 身体の疲れを癒す効果のある薬草を合わせてポットに入れ、たっぷりのお湯を注いでカップと共にお盆に乗せ、リーハは奥の個室に向かった。
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