第56章 お姫様の初ダンスと求婚

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程良い頃合いで晩餐会の会場を後にしたハインと共にティンも大広間を出た。 「明日はリーハを訪ねるのか?」 与えられた客間に戻る間に、ハインに問われてティンは口元を少しだけ苦くする。 「あちらの側仕えに、リーハの体調次第であちらから連絡を貰うことになっています。」 そう答えると、ハインににやりと笑われた。 「まあ大変だろうが、頑張れよ。」 面白がっている様子のハインに苦笑を返して客間の見えるところまで戻ったところで、部屋の前を落ち着かない様子で行ったり来たりしているエルクの姿に気付いた。 側近達には遅くなるかもしれないからと、戻りを待たずに休むように言ってあったのだが、何かあったのだろうか。 足を早めて近付くティンに気付いたエルクは慌ててこちらに駆け寄って来る。 「ティンカン様! た、大変です!」 その慌てぶりにティンは、真顔で頷き返す。 「どうした?」 「それが、ティンカン様の部屋に、お姫様が訪ねて来てるんです。」 ティンはそれに目を見開く。 「リーハが? こんな時間に?」 驚くティンに、エルクが何か必死の形相でこくこくと頷き返して来る。 後ろからヒュウっと小さく口笛を吹いたのは、バルだろうか。 不意にハインがティンの肩をポンと叩いた。 「上手くやれ。」 くくっと笑いながらそう囁いたハインはティンを残して客間に入って行く。 「頑張れよー。」 と、これはバルだ。 何か絶対に含むところの有りそうな2人の思惑通りには絶対にならない予感がするが、心臓がドキドキと早鐘を打っているのは仕方がない。 「お休みなさいませ。」 取り敢えず、ハインの後ろ姿にそう声を掛けると、エルクに向き直って与えられた部屋へ歩き始める。 「その、リーハはどんな様子だった? 1人で来たのか?」 リーハの行動の意味は分からないが、リーハは時々こちらの気も知らずに大胆な行動に出ることがある。 我慢しているこちらにとっては、本当に心臓に悪いのだが、その辺りをリーハは全く理解していない。 「いえ、親衛隊が3人物凄く怖い顔で囲んでいて、滅茶苦茶警戒されてます。お姫様が何を考えているのか分かりませんけど、ゆっくりお茶を飲んで貰ってます。」 リーハが意味もなくこんな時間に訪ねて来るとは思えないから何か事情があるのだろう。 それが、ただ会いたかったからだと言われても、多分それが彼女には絶対に必要だからなのだ。 だとしたら、とにかく急いで会って早く部屋に戻すべきだろう。 ティンは早足になって部屋まで戻ると、扉を開いた。 振り返ったのは、応接机の側に立つ親衛隊が3人だ。 確か謁見の間から出てきたリーハにもこの3人が付いていた。 彼らがこちらに向ける視線は、やはり凍り付きそうに冷たいものだ。 何なら頭の先から足の先まで、物凄く細かく粗探しをされているような視線を感じる。 その間から椅子から立ち上がったリーハの顔が覗く。 「ティンカン様! お帰りなさい。お疲れ様でした。夜遅くに済みません。お邪魔しています。」 そう少し照れたように声を掛けてくるリーハが物凄く可愛い。 親衛隊の3人との温度差が凄い。 「リーハ。どうしたんだ? 何かあったのか?」 慎重に問い掛けると、リーハは少し困った顔になった。 「ただ会って元気を貰いたくて、と言ったらやっぱりご迷惑でしょうか?」 そう控えめに返して来るリーハに、可愛くてグッと来る。 「迷惑ではないが、こんな遅くに私と一緒にいることで、君に心無い噂が立たないだろうか。」 それでも、気持ちをぐっと堪えてそう返すと、リーハは少し俯いた。 親衛隊の者達からは刺すような視線では無くなったが、少しだけ責めるようなものに変わった視線が来る。 「ごめん。本当は私も君に会えて嬉しい。でも、今夜は少しだけにしよう。また明日があるから。」 そう優しく告げると、リーハが漸く潤む瞳を上げた。 その顔にはまたグッと来る。 本当に心臓に悪い。 ティンは務めて平静に見えるようにゆっくりと応接机に近付いて、リーハの向かいの椅子に座る。 「女帝陛下のお加減は落ち着かれた?」 そうなんでもないところから話しを振ってみると、リーハはホッとしたように頷き返して来た。 「はい。一先ずは大丈夫でいらっしゃるようでした。」 「そうか、良かったね。」 穏やかを心掛けてそう返すと、リーハは少しだけ困ったような顔になった。 「私は、薬師としては半人前なので、お役に立てなくて、少し悔しいというか、情けないというか。」 「うん。でも、リーハは出来ることをいつも頑張っているんだろう? 周りの人達は皆、薬室長の君を信頼して誇りに思っているように見えたよ。」 救護に来ていた薬師達と話してそんなリーハの姿が見えるような気がした。 「はい。でも、私に出来ることは限られていて、もっと知識とか技術とか、私が本当の薬師だったらと思ってしまうんです。」 身を乗り出して頭を撫でたいところだが、今夜はリーハに触れてはならないだろう。 晩餐会のドレスのままのリーハは、考えないようにしているが、やはり眩しい。 夜中に謁見の間の外の廊下でのように抱き寄せたりしては、絶対に駄目だと我ながら思う。 「願っても、その時には出来ないことは誰にでもあると思うよ。でも、もしも本当にそうしたいと思ったら、君は努力してでも身に付けようとするだろう? 今の自分を卑下する必要はないよ。それよりも、思い詰めて頑張り過ぎることの方が心配だ。」 その瞳を覗き込んでそう言うと、リーハの顔色が曇った。 「もしも、間に合わなかったら?」 そう告げるリーハの声が不安そうに揺れている。 「リーハ・・・」 リーハを抱き締められないことがもどかしい。 それでも、許されるギリギリで、そっと手を伸ばしてリーハの手を包み込む。 「どうして、大事なものばかり手から流れ落ちていくのかな?」 心細そうに告げるリーハに、その内容は分からなかったが、握った手の力を強くする。 「どうしようもない時もあるけど、足掻くことは大事だと思うよ。私で力になれることはある?」 それに、リーハが不安に揺れる瞳を上げた。 落ち着けるように優しい瞳を心掛けて見つめ返すと、リーハが突然はっとしたように立ち上がった。 その所為で手が離れる。 そのままリーハが身を乗り出して来て、ティンは驚く。 顔を近付けて来るリーハに焦るが、リーハの手が首の後ろに回った途端に、まずいと思って身を引く。 「リ、リーハ!」 裏返った声を上げると、リーハがキョトンとした目になった。 「ティンカン様? 琥珀の守護石を対で持っている筈だって父様が言っていたのですけど、見せて貰えますか?」 そのリーハの言葉に今度はこちらが目を瞬かせる。 「え? 守護石?」 動揺して口にしてしまってから、はっと気付いて慌てて首飾りの鎖を引っ張り上げた。 リーハの突然の行動が守護石を持ち上げて見る為だったと気付いて、思いっきり赤面してしまう。 リーハからキスされるかと勘違いした自分が死ぬ程恥ずかしい。 人前でリーハがそんなことをする筈がないのに、何を動揺したのかと。 「あ、えっと。フォーガル殿からだと言って、ギークとフォーラが届けてくれたんだ。」 ティンは首飾りを外してリーハに差し出す。 リーハはそれを何か複雑そうな瞳で眺めてから、そっと手を伸ばす。 リーハが2つの石にそっと手を触れた途端、緑色の袋の中で、柔らかな光が生まれる。 「父様からは、何か言付けがありましたか?」 これまた何処か困ったような顔のリーハに問われてティンは首を振る。 「いや。ただ、これを持って君を迎えに来るようにとそれだけだった。だから、こちらに来たらフォーガル殿にどういう事か聞こうと思っていたんだ。」 リーハは真剣な顔で何か考え始めている。 「この石を持っていて、何かが起こったことはありますか?」 問われてティンは、暗殺者の毒を中和してくれたらしいこと、緑柱石と一緒にした時のこと、そして謁見の間で白煙を中和してくれたこと、暗殺者がリーハに剣を振り下ろした時にそれを遮るように眩い光を放った事などを話した。 「では、やはりティンには呪いは起こらなかったという事ですよね? それどころか、助けになってくれた。」 そう話すリーハは難しい顔になっている。 「父様は、この石達の主人が私ではないかと思っているそうです。石から力を引き出せるのは、主人だけだからと。」 「そうだね。でも、それなら何故私は呪いを受けずに助けられたんだろうか。」 そこがまず分からない。 「守護石を一対で持つことが出来るのは、その石達の主人とそれを用いて主人を守ることを許された守護者だけなのだと父様は言っていました。」 「成る程、それならヴァンサイス殿がちらちらと漏らす言葉の意味も分かるような気がする。」 そのティンの答えに、リーハは少し上目遣いにこちらを見つめて来る。 「わたくし、あの方は苦手です。こちらの話しは聞いて下さらないのに、押し付けるような話しばかりなさいます。」 リーハのそのよそ行きな話し方で、ヴァンサイスを警戒していることが窺える。 「少し、厄介な人だね。ティ・トルティアクトルは、ミルレイと境を接していて、彼は将軍だそうだから、何かあれば直接関わることになるかもしれない。」 リーハはその話しに可愛い眉を顰めてしまった。 「だから、出来れば帝国には私達のことを正式に認めて貰った事実が欲しいと思っているんだ。」 それに、リーハは真面目な顔で頷き返して来た。 「あ、あの、ティン。ティンカン様は、こんな私でもまだ結婚して下さいますか?」 不安そうなその問いに、ティンは微笑み返す。 「あんなに沢山の人の前で冗談を言うと思う? 私の心の中には君しかいない。結婚して生涯を共にしたい女性は、君だけだ。」 心を込めてそう告げると、リーハが照れたように顔を赤くして、それでも嬉しそうに微笑んだ。 「今の私の中には、ティンカン様の知らない私が沢山出来てしまいました。それでもですか?」 「勿論だ。私の方も、ミルレイでのことを沢山君に知って欲しい。」 間髪を入れず返すと、リーハがますます笑みを深くした。 「是非、話して下さい。私の知らないティンカン様を全部知りたいです。」 「リーハ・・・」 感極まって抱き締めたくて堪らなくなるが、今夜は我慢だ。 「リーハ、君と話す時間が足りない。これから朝まで語り合っても、きっと終わらない。だから、早く君と共に暮らす許可が欲しい。」 「はい。私もです。」 リーハから返ってくる言葉に、2人の心が重なり合ったような心地よさを感じる。 だが、やはり触れ合うのは、我慢だ。 「では、それが憂いなく実現するように、少し思い切った行動に出てみようと思います。ティンカン様、これから少し一緒に来て欲しい場所があります。」 そう言い出したリーハは今度は何か真剣な表情に変わっている。 「これから?」 問い掛けるティンに、リーハは真面目な顔付きで頷き返して来た。 「昼間人がいる時間では目立ってしまいますから、人の居ない今、試しておきたいんです。」 守護石がリーハの強い意思を反映するように、温かな熱を伝えて来る。 ティンはそのリーハの意図が分からなくて迷うが、こういう時のリーハは独特の理屈に従っていて、余人には分からない根拠に基づいて行動している。 そして、それは大抵大きな幸いを(もたら)すものだ。 「分かった。一緒に行こう。」 答えたティンに、リーハ以外の室内にいた全員が慌てた顔になった。
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