第57章 不老不死の幻夜草《アンカーネン》と求婚

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焼失した温室跡には、夜目にも黒々とした地面が見える。 灯りを持って着いて来てくれた親衛隊の3人に感謝しつつ、リーハは地面にしゃがみ込む。 守護石を持つティンカンは、側近とミルレイの騎士だという男達を4人連れている。 「あの、姫。こちらで一体何を?」 イミールが遂に問い掛けてくるが、それに答える余裕がない。 五感を研ぎ澄まし、ニンファの記録帳とこれまで帝城の図書館で借りて読んだ本の知識の中から、リーハの理論を裏付ける記述を思い起こしていく。 幻夜草(アンカーネン)は、世代が変わると共に姿を変えて生き続ける不老不死を象徴する植物だ。 だが、不老不死というからには、枯れて死に掛けた世代の後の形がある筈なのだ。 それは、死と再生ということなのではないか。 それがリーハの考えた理論だ。 だが、普通に考えて魔法でもなければ死んで無に帰した植物が蘇ることはない。 だから、最後の枯れ掛けた世代の幻夜草(アンカーネン)の性質に注目する必要がある。 あの世代は見た目は枯れ掛けた葉を茂らせるゴミのような植物に成り果てる。 だがそれは、見えない場所に命を送り込む為にそうなのではないか。 つまり、あの世代は地下茎を作り上げて、その時に備えているのではないかということだ。 一部の植物には、そういった特質のあるものが存在するそうだ。 地下茎を巡らせて、時が至ると地上に出ている部分が枯れ落ちてしまう。 だが、いつしか地下茎から芽を伸ばして新たな新芽が地上に顔を出す。 それならば、幻夜草(アンカーネン)が不老不死だという理論は成り立つのではないだろうか。 同じように、地上の株に不測の事態が起こっても、地下茎が生き残っていれば、時が経てば芽が出てくるのではないか。 残念だが、その時が経つのを待てる余裕の無い今、一か八か魔法のような力を頼ってみるしかない。 顔を上げると、真っ直ぐ振り返ってティンカンに目を向けた。 「ティンカン様。私がリン・ヴェルダ・ヴィーラの王宮で、一時期バーズさんと琥珀の守護石の研究をしていたのを覚えていますか?」 そう問い掛けると、戸惑ったような顔でティンカンが頷き返して来る。 「具体的には、適当な緑柱石に向かって琥珀の力を走らせて、植物の成長を促す実験でした。適当な緑柱石でもその光が走った場所の植物は飛躍的に成長したんです。ということは、本物の一対でそれを行ったら、冬場の今でも地下に眠る植物を成長させることが出来るのではないでしょうか。」 真面目な口調で説明したリーハに、ティンカンは目を瞬かせている。 「えーと。私には良く分からないが、守護石の力を使ってみたいという意味だろうか?」 「はい。」 はっきり簡潔に返事をすると、ティンカンは戸惑いがちな表情だが頷き返して来た。 「分かった。具体的にはどうすれば良いのか指示が欲しい。」 リーハは頷いてティンカンに近付いて行く。 ティンカンの持つ守護石を包む袋を取り去って、温かな光と熱を発する一対を分けて、琥珀だけをリーハが手にする。 あれ程絡まり合っていた鎖はするりと解けて、リーハが彫金細工を施したプレートの内ティンカンがリーハに贈ったものが琥珀に付いてくる。 息を飲むティンカンに、リーハは微笑んでみせる。 「室長? 何をなさっているんですか?」 と、薬師室の方からルイドの訝しげな声が掛かる。 どうやらまだ薬師室に残っていたようだ。 「副室長。ちょっと思い付いたことがあって。良かったら、副室長も見ていてくれませんか?」 そう返すと、ルイドが慌ててこちらに走って来た。 「一体何を?」 「副室長、幻夜草(アンカーネン)はあの火事でも完全には失われていないのではないかと予想を立てたんです。これから少々非常識な方法で、それを検証してみますね。」 にっこり笑顔でそう告げると、ルイドはぽかんと口を開けてこちらを見ている。 「はあ? あー、いや室長ですからね。今更何を始めても驚きませんが、せめて朝になってからになさいませんか?」 そう気を取り直して言い出すルイドに、リーハは首を振る。 「駄目です。非常識な力は、夜の闇に隠しておいた方が良いんです。真実を知る者は少ない方が良い。立ち合いは、ルイド副室長だけで十分です。」 その答えに、ルイドは慎重な顔になったが、結局は頷き返してくれた。 「ティンカン様。ここに立って緑柱石を掲げていて下さい。」 そうティンカンに頼むと、リーハは温室跡の向こう側に向かう。 そのリーハに親衛隊の3人が少し外側から付き添ってくれた。 「姫様、それに危険はないんでしょうね?」 キーニンが真面目な口調でそう問い掛けて来る。 「ええ、恐らく。以前試した時も小規模でしたけど何か危険なことにはなりませんでしたから。」 それに今回は琥珀の本当の相方である緑柱石を用いるし、受けてくれるのはティンカンだ。 それだけで、何となく安心感がある。 親衛隊の3人は、不安の入り混じった顔になっているが、止め立てするつもりはなさそうだ。 「ティンカン様、始めますね!」 そう声を掛けると、リーハは琥珀の守護石を胸の高さまで持ち上げて、真っ直ぐにティンカンの持つ緑柱石の守護石に意識を向ける。 と、それを辿ってでもいるかのように、眩い光が帯状に緑柱石に向かって行く。 と、それを受けた緑柱石は、光をまた琥珀の方へ送り返してくる。 循環するその光の帯が広がって、円を描き出す。 と、その円の内側に広がる温室跡から、ポツポツと緑の若芽が立ち上がり、葉を茂らせ花芽が付く。 そして見た事もないような艶やかな光を弾く純白の花びらが広がる。 ベルベットのような花は、光を弾いて様々な色が混じるように見える。 その様にリーハは驚いて目を見張る。 これが、死者の国を彩るという幻夜草(アンカーネン)なのだろう。 その花が枯れると種が出来る。 これが、薬室長に与えられる小箱に入っていた第一世代が発芽する種なのだろう。 だが、今回はこれは取らない。 その種が地面に落ちて、判定薬を作る第一世代の株があっという間に育って行く。 そして、その種が落ちて第二世代が発芽する。 この第二世代の成長は、ニンファの記録帳にも非常に時間が掛かると書かれていた。 緩やかな成長を遂げて花が咲いたところで、リーハは琥珀を手の中にしっかりと包み込む。 と、円を描いていた光は途切れて幻夜草(アンカーネン)の成長が止まる。 焼き立てパンの香りに似た匂いがする花が、焼失した温室跡に咲き誇っている。 リーハは肩で息をして、琥珀の守護石を包み込んだままティンカンの元へ戻る。 と、立ち合った皆が呆気に取られた様子で温室跡に視線を注いでいる。 「ティン。また合わせて袋に入れておいて貰えますか?」 そっとそう告げると、我に返った様子のティンカンが頷いて琥珀の守護石を受け取ってくれた。 「ルイド副室長。花の採取を手伝ってくれますか?」 これまた目を見開いたままのルイドに声を掛けると、ハッとしたようにこちらを向いた。 その顔に一瞬だけ畏怖の色が浮かんだ。 やはり、こういう超常的な力は人目に晒すものではない。 「あ、はい。お手伝い致します!」 気を取り直してそう力強く答えてくれたルイドと共に、ニンファの記録帳にあった通りに採取を行っていく。 「室長。あの幻想的な幻の世代の種を取る訳にはいかなかったのでしょうか?」 そうルイドに躊躇いがちに問い掛けられて、リーハは少しだけ口元を苦くする。 「幻夜草(アンカーネン)に囚われる宮廷薬室長は、わたくしが最後で良いと思っています。幻夜草(アンカーネン)は、特殊嗅覚がなくては育てられない植物です。でも、その能力を保持し続ける為だけに要らぬ犠牲が払われるのは、馬鹿らしいと思うのです。」 そのリーハの答えに、ルイドは苦笑を返して来た。 「それは、帝室の血に囚われるこの帝国のこともそう思っておいでですか?」 今回、帝国の継承問題に関わることになって、正直そんな気持ちがなくはない。 「今回は、たまたまはっきりと結果を出したことが帝室の、引いてはこの帝国の為になったと思っています。ですが、これからもそうだとは限りません。形骸化されたものは時として害となることもあるのではないでしょうか。」 そう答えたリーハに、ルイドは小さく肩を竦めた。 「では、今夜これに立ち合った者達には、厳重に口止めが必要でしょう。陛下には、明日ご一緒にご報告に上がりましょう。」 「分かりました。ところでルイド副室長、今採取した幻夜草(アンカーネン)の花から薬を作り出すのを手伝って貰えませんか?」 この寒空では、せっかく育った幻夜草(アンカーネン)は枯れてしまうだろう。 つまり、今採取出来た花から作られる薬が本当に最後になる。 だからこそ、調薬を手伝って貰うことでルイドがこれから研究する女帝の為の薬の何か参考になればと思ったのだ。 「勿論です。是非お手伝いさせて下さい。」 「では、直ぐに取り掛かりましょうか。」 そう言ったリーハに、ルイドは慌てた顔になる。 「こ、これからですか?」 流石に予想外だったようだが、これは採取したら早い内に処理した方が良いとニンファの記録帳に書いてあるので、従うしかない。 「はい。」 「しかし、室長はお休みになるべきですが。」 「大丈夫です。晩餐会の前にきちんと仮眠しましたから。」 ルイドが何とも言えない顔になる。 「調薬に掛かる時間は?」 「手際良く作業すれば一刻もあれば完成するようです。その後長期保存するなら5日程しっかり乾燥させた方が良いようですね。」 その説明にルイドは渋々納得したようだ。 「分かりました。室長にご指示頂いて作業の方は私が行います。参りましょうか?」 早速とそう告げるルイドに、リーハは微笑み返す。 それからティンカンに向き直った。 「ティンカン様。お付き合い下さいましてありがとうございました。これから調薬をして、終わってから就寝になりそうですから、明日は午後からお時間を頂けますか?」 そう告げたリーハに、ティンカンはふっと何か諦めたような笑みを浮かべた。 「無理はしないように。午後も辛いようなら、夕方でも私の方は構わないから、くれぐれも体調を第一に。」 気遣ってくれる言葉が嬉しくなって微笑むと、ティンカンにも微笑み返された。 「お休みなさい。ティンカン様。」 「お休み、リーハ。」 何となく言葉だけでは足りない気がして、リーハは背伸びすると、ティンカンの頰に一瞬触れるだけのキスをしてさっと身を離す。 「ちょっ、リーハ!」 狼狽えた声を上げるティンカンに、リーハはにこりと笑ってルイドを追い掛ける。 「お休みなさい。」 もう一度そう告げると、振り返らずに薬師室に向かった。
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