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夜半に自室に帰り着いたリーハは、翌日は昼近くまでぐっすり眠ってしまった。
心配顔のコチリアとガラントに気遣われながら朝食と兼用の昼食を食べて、人心地付いたところで今日の予定を決めることになった。
「本日のご訪問の打診が、6つ来ております。いずれも、姫様の体調を鑑みてご連絡致しますと返しておきました。」
そう報告するガラントに、リーハはじっと目を向ける。
「一応、全て聞いておきますが、今日は大事な用件が2つ入っています。」
「お一つは、昨日晩餐会で求婚されたというティンカン・イムダイン殿とのご面会ですか?」
そこは流石のガラントだ。
晩餐会での出来事はしっかり把握済みのようだ。
そして、この件に関しては、帝城中に話しが回っているのだろう。
「はい。それから、ルイド副室長と共に陛下に謁見を申し込むつもりです。」
こちらは改まった口調で告げると、ガラントが小さく眉を寄せた。
「キーニン様達からは、昨夜のことを何か聞いていますか?」
そう問い掛けると、ガラントが戸惑ったような顔になった。
「お3方には、姫様がお目覚めになってから直接話しを聞いて欲しいと言われました。自分達では、説明し切れないからと。」
確かに、事情を知らない3人からすれば、何が起こっていたのか正しく理解出来なかったかもしれない。
「面会の申し込みの中には、お父様からのものはありましたか?」
説明するならいっぺんに、フォーガルや出来ればランディルにも聞いておいて貰った方が良い。
それとも、2人には女帝との謁見に立ち会って貰えば良いだろうか。
とにかく、色々と根回しやら確認やらをしておく必要があるだろう。
「失礼ながら、お身内のお二方は今朝こちらを直接お訪ねになっておられます。これは数に入っておりせん。」
まあ、確かにそうだろう。
あの2人は、必要があれば打診などなく部屋に踏み込んで来る。
恐らく昨日の晩餐会を受けてのものだろう。
「では、3つの公爵家の方とティ・トルティアクトルのヴァンサイス殿下、あとはカルティリアお祖母様辺りでしょうか?」
予想を立ててそう返すと、ガラントに頷き返された。
「その通りでございます。如何なさいますか?」
「では、まずは薬師室に顔を出してルイド副室長と陛下をお訪ねする予定を調整します。それから、ティンカン様と面会を、その間に少し遅れてお父様をお呼びして下さい。それからまた時間をずらして叔父様とお祖父様お祖母様を。その間ティンカン様も一緒に居て頂きますから、長時間になるかもしれない旨をお伝えしておいて下さい。」
今日はこれだけで恐らく一杯一杯だ。
「では、他の方々のご訪問は、明日以降ということで一先ずお断りで宜しいでしょうか?」
「はい。特にヴァンサイス殿下は気を遣う必要のあるお相手ですが、ティンカン様とのお話しが決まってから対峙したいと思っています。・・・何というか、厄介な方なのです。」
そう最後に一言愚痴を零すと、ガラントが心得たように深く頷き返してきた。
「それから、ガラントには昨夜の事情を話しておきますね。」
この側仕えには、これからもどうやら一生お世話になることになりそうだとしたら、リーハを取り巻く事情は把握しておいて貰うべきだ。
誰にも聞かれていないことを確認してから、リーハは女帝の容態とこれまで服用してきた薬がどういうものだったか、そして昨晩の出来事を話していく。
さしものガラントも守護石が何度も魔法のようにリーハやティンカンを守った件には顔を顰めていた。
これがリーハの言ったことでなければ彼は信じなかったかもしれない。
「何と申し上げて良いのか分かりませんが、姫様に好意を寄せるのは、人ばかりではなかったということでございますね。では、そのように認識致します。そして、昨夜のことは不用意に広まらないように気を付けておく必要があるということも承知致しました。」
全てをリーハ目線で考えてくれるガラントには感謝だ。
「それから、姫様はこれから、迷いなくティンカン殿との結婚を目指して邁進されるということで宜しいですね?」
確認してきたのは、リーハの意思がそうであるなら、全力でその助力をしてくれるということだろう。
「はい。ガラントにはこれから色々とお願いすることがあると思いますが、わたくしのこの帝城での務めは終わりました。女帝陛下の病に対しても、わたくしに出来る限りのことをし尽くしたと思っています。これをもって宮廷薬室長の位は返上させて頂こうと思います。」
はっきりと言い切ったリーハに、ガラントは深く頭を下げた。
「姫様。宮廷薬室長としてのお務め、ご苦労様でございました。」
そう言って貰えると、少し気持ちが落ち着くような気がした。
「ところで、ティンカン殿は、少しお変わりでいらっしゃいましたか?」
そう問い掛けてきたガラントの質問の意図は分からなかったが、真っ直ぐティンカンのことを問われて少し嬉しくなる。
「変わったと思うところも、変わっていないと思うところもありました。でも、変わらずわたくしの大好きなティンカン様でした。」
少し赤面してしまいながらそう告げると、ガラントには目を細めて微笑まれた。
「では、早速ティンカン殿との面会の調整を致します。姫様は、薬師室に向かわれるのでしたね。どうぞお気を付けて。」
リーハも頷き返してから、出掛ける支度を始めた。
あと何度着ることになるのか分からない薬室長の臙脂色のローブを羽織って、薬師室に真っ直ぐ向かう。
相変わらず付いてくれている親衛隊の警護担当は今日はキーニンのようだ。
昨夜のことを特別何か問い掛けて来るでもないキーニン達がどう思っているのかは、良く分からない。
事情を知らない彼らがリーハを気味悪いと思っても不思議ではないのだが、特に変わった様子はなかった。
薬師室に足を踏み入れると、いつもと変わらず宮廷薬師達が時に慌ただしく働いている職場の風景が目に入った。
しばらく入口に佇んでその光景を眺めていると、不意にこちらに気付いた薬師達が口々に挨拶してくれる。
「室長、お疲れ様です。暫くは休暇を消化されると聞いてますが、冷やかしですか?」
悪戯っぽくそう声を掛けて来るのは、ベテラン薬師の1人だ。
「ええ。今日はお休みを貰っています。ルイド副室長に用があって。奥にいらっしゃいますか?」
そう返すと、薬師に微笑み返された。
「では応接室でお待ち下さい。副室長を呼んできます。暫くは、室長は勤務禁止令が出てますから、調薬室には入らないで下さいね!」
そんなことになっているとは思わなくて目を瞬かせることになるが、周りの薬師達もにやにやとそれを肯定しているので、大人しく従うことにする。
初めて薬師室に出勤した日に、ルイドに大人しくお飾り室長になるようにと言われたことを思い出す。
何となく感慨深いような気持ちで応接室の椅子に座る。
「室長、お待たせして済みません。」
直ぐにルイドが応接室に入ってくる。
「こちらからお部屋をお訪ねするつもりでしたが、あの後色々と思い付いたことがあったりとバタバタしておりまして。」
そう答えたルイドの瞳は生き生きとしている。
「副室長は、あれからまさか徹夜ですか?」
そう呆れたように問い返すと、にやりと笑い返された。
「貴女やニンファ室長程ではありませんが、私も時には夢中になることがございます。私は昨日はっきりと心に誓ったのですよ。室長の稼いで下さった時間を絶対に無駄にしないと。あの後叩き起こした医師室長とも検証して、昨晩の薬で1年から2年は抑えておけるのではないかという結論が出ています。20年前よりは陛下もお年を召され、病も進行していることを考えても、それくらいはもつ筈だと。」
成る程、ニンファが始めに薬を作った時よりも状況は悪化しているのだろう。
本当に時間稼ぎにしかならなかった訳だ。
「1年2年での開発は正直厳しいですが、全力を尽くすつもりです。ところで室長が魔法のように用意した薬のことは、私からは医師室長にしか話しません。陛下へのご報告は室長からお願いします。正直荒唐無稽過ぎて私には説明出来そうにありませんから。」
言われて、まあその通りだろうと思う。
「陛下への謁見を申し込もうと思っています。ですが、これからのことはルイド副室長にお任せするしかないことです。一緒に来て頂けますか?」
その問い掛けに、ルイドはふっと微笑み返してきた。
「昨晩の彼ですか? 遂にご結婚に向けて調整に入られるのですね?」
にこにこと言われると照れ臭くなる。
「はい。それで、真に勝手な事だとは思うのですが、今回の件を陛下にご報告する際に、薬室長としての職を退職させて頂きたいと願い出るつもりです。」
結局は、宮廷薬室長としてはやはりお飾りで終わってしまった。
「そうですか。とても残念ですが、それが室長のご決断ならば、お止めしません。出来れば、まだまだ室長でいて頂きたかったのですが。個人的には、貴女のような上司がずっといて下されば、皆の勤務意欲は向上しますし、つまらないことに気を遣わずに思いっきり職務を果たせるのではないかと期待していたのですが。それでも、貴女の人生は貴女のものだ。そろそろお返ししなければならない頃合いなのでしょう。どうぞ、妥協なくお幸せになって下さい。」
ルイドに力強く返して貰えて、涙腺が緩くなる。
「済みません。結局、私は本当の薬師としては役立たずで、冷やかしみたいなものでした。そんな私を立てて下さったことに感謝致します。」
ルイドが仕方がないというように苦笑する。
「やれやれ、うちの室長は少々自己評価が低過ぎて困ったものです。初めて薬師室にお招きした時には色々と言わせて頂きましたが、全て撤回しますよ。貴女は、歴代でも類を見ない最高の薬室長ですよ。私は、貴女の下で働くことが出来て幸運でした。」
「持ち上げ過ぎです。悔しくなる程出来ない事だらけで、こんな私が薬室長を名乗るのが申し訳なくて、ここにいるのが私じゃなくて母様だったら、もっとずっと上手くこのお役目を果たせた筈なのにって。」
目に滲み出した涙をさっと拭う。
「そうでしょうか? 確かに、ニンファ室長は薬師として優秀な方でした。ですが、昨晩の貴女と同じ壁にぶつかったその時、あの方はどうにも出来ずに逃げ出すことにした。それを貴女は、逃げずに踏み止まって最善を尽くした。素直に尊敬に値する方だと私は評価しています。方法ではない、貴女がこの国の為に成し遂げて下さったことが全てです。ですから、半ば諦めていた私も、もう一度諦めずに探究を続ける決意をしたんです。少しで良いですから、ご自分を誇って下さい。」
ルイドの優しい言葉に、いよいよ止まらなくなった涙を堪えて鼻を鳴らす。
「さあ、泣くのは止めて貴女の部下どもに笑顔を見せてやって下さい。でないと、何を虐めたんだって私が非難されてしまいますからな。」
悪戯っぽく言うルイドに、リーハはぐすっと鼻を鳴らしながら困った顔になる。
「周りのみんなが優し過ぎて、凄く困るんです。わたくしは自分の目的の為に結果を出してみせただけなのに。」
そう少しだけ不貞腐れたように零すと、ルイドに吹き出し笑いをされた。
「それはそれは、目的も果たされてこちらも気持ち良く働けたのですから、二得だったのでは? 難しく考えるのはやめましょう。第一私は貴女のその子供っぽい不貞腐れた態度に弱いんですよ。新人薬師としてこっそり働くのを許してしまうくらいに。」
そんな子供っぽいと思われていたとは恥ずかしい。
涙は引っ込んだ代わりに、恥ずかしくなってくる。
「分かりました。とにかく陛下に謁見を願ってみます。」
早口に言うと、ルイドがまた口角を上げて笑った。
「いえ。それでしたら、夕方陛下の診察に伺うことになっていますから、室長もご一緒下さい。」
成る程、昨日の今日だからそういうことになっていてもおかしくない。
「分かりました。ではその時にお願いします。」
「また夕方、お部屋に寄らせて頂きます。」
そのルイドに頷き返してから、リーハは踵を返した。
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