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軽めの朝食を済ませたところで、見計らっていたかのように親衛隊のキーニンという男が呼びに来た。
ハインから言われてバルが付き合ってくれる他、側近達とコウレルもこれに付き添ってくれることになった。
連れて行かれたのは、親衛隊と近衛師団が共同で使う訓練場のようだ。
個別訓練を行う兵士達の間を縫って、奥まった場所にある小さな広場に導かれた。
「少し身体を動かしてからになさいますか?」
丁寧に問い掛けられて、ティンは頷き返す。
「是非、そうさせて下さい。」
こちらも丁寧に返すと、バルや側近達も身体を動かす許可を貰ってから、身体を解してから軽く走り込みをする。
その間にリーハに付いていた3人が揃って気合い満々に素振りなどを始めている。
「う、怖いです。」
エルクが、3人とその他にも遠巻きにこちらを窺っている様子の兵士達が向ける穏やかではない視線に、すっかり当てられているようだ。
「エルクが手合わせする訳じゃないんだ。もう少し気楽に構えていて大丈夫だ。」
「ティンカン様は怖くないんですか? 戦場で四面楚歌な場面みたいになってるんですよ?」
確かにそんな雰囲気だが、戦場ではなくここはあくまでも手合わせの場だ。
「それでも、一対一の手合わせを行うのだから、向かい合った時お互いの技量だけを見ていればいいだろう? 何かを背負って勝つことを課されている訳ではない。そもそも、私は近衛騎士一の使い手を名乗る訳でも、ミルレイに屈指の使い手の名を背負っている訳でもない。ただの一騎士だ。胸を借りるつもりで思いっきり手合わせしてくる。」
そう穏やかに告げて宥めると、エルクには上目遣いに見られる。
それでも、余り無様な姿は側近達にも見せたくないと思っている。
「ミルレイ辺境伯息を名乗る者として、恥ずかしくないくらいには頑張って下さいよ。」
寄ってきたコウレルには、小声でそう囁かれた。
やはり、彼の心を掴む為にもここはティンにとっても頑張りどころなのだろう。
「俺も、帝国の親衛隊と戦ってみたって自慢したいから、誰か手合わせしてくれないかな。」
バルは至って気楽にそう声を掛けて来る。
気負う事がないなら、こんな機会は中々あるものではなく、良い勉強になるとも思うのだ。
「そうだな。私がボロっかすにされたら頼んでみると良いんじゃないか?」
何処か投げやりになって返すと、バルに吹き出された。
「ボロって、顔だけは守っとけよ。リーハちゃんに心配させるからな。」
「そんな器用なことが出来るか。こちらは全力で掛からなければならないだろうからな。」
借り受けた刃潰しの剣での素振りに一段落付けたところで、すっと目をやると3人の内謁見の間から控室まで案内してくれた男と目が合った。
途端に、激しい殺気を向けられた。
「さて、死ぬ気で行ってくる。」
そう宣言すると、広場の中央で待つその男の所へ向かった。
「ユディット・ネインセントだ。」
差し出された手を握り返す。
「ティンカン・イムダインです。お手柔らかにお願いします。」
穏やかに返すと、ぴくりと眉を上げられた。
「姫をお任せするのに相応しいと、納得させてくれるんだろうな?」
そう言ったユディットは、本当にリーハのことを案じているのだろう。
「まだまだ強くなれる筈だと信じて、日々鍛えている途中です。それを分かって貰えるようには食い付いて行きます。」
こちらも少し視線を強くして返すと、ユディットはふっと口の端を上げて笑った。
「良し、では始めよう。」
手を離して距離を取ると、剣を構え合う。
すると、少し離れて立つキーニンが始まりの合図をくれた。
と、いきなりの速攻が来た。
あの暗殺者程ではないが、コウレルと良い勝負な速い剣を受けることに専念するはめになる。
以前よりは、速い剣にも身体が余裕を持って反応するようになっている。
隙を突いて反撃を試みるが、そこは流石、コウレルよりも上手でしっかり弾いて来る。
一度互いに飛び離れて仕切り直しになる。
ユディットの顔はますます好戦的に輝いている。
「思ったよりも面白い。今度はそっちから掛かって来い。」
言われてティンは苦笑しながらも、言葉通りに攻めに転じることにする。
こちらから繰り出した剣を数回受けさせてから、変則を盛り込んで行く。
ミルレイの隊長格と手合わせしていると、本当に色々な戦い方があると知ることが出来る。
王宮で近衛騎士として綺麗な剣筋を学んできたティンには衝撃的な戦い方も少なくない。
親衛隊もどちらかと言うと、ティン達と同じような括りに入るのだとしたら、ミルレイ流も折り込んでみるのが有効だろう。
ユディットは、予想外の攻め方を織り交ぜ始めたところで、剣筋を乱し始めた。
そのまま畳み掛けて行くと、その胸の前に剣を突き付けることが出来た。
騒がしいと思っていた広場がしんとする。
直後、外野から野次が飛んで来て、そっと見回すと、親衛隊やら兵士やらが広間を取り囲んでいる。
その中で小さくなっている側近達には可哀想なことをしてしまった。
その中でもバルだけが喜色満面手を振って来る。
「ティン!」
それに控えめに手を振り返す。
「あー、くそ。意外にやるな。完全に優男に見えるのに。」
親衛隊のくせに中々に汚く悪態をついたユディットに苦笑してしまう。
「油断し過ぎだ。」
そう声を掛けて入れ替わったのは、もう1人の親衛隊だ。
「イミール・レンティストだ。レンティスト家は国防に携わる家柄だ。貴方の剣は、基本は綺麗な騎士の剣だが、途中で自分でも物に出来ていない変則を盛り込んでいるようだ。面白いが、不安定だな。目指す場所、落ち着けたい先はしっかりしておかないと、崩れて来るぞ。」
その冷静な言葉には、はっとさせられた。
この場を乗り切れば良いという気持ちがどうしても働いていたのかもしれない。
そういうのは、ぱっと見は面白がられても、見る者が見れば分かってしまうものなのだろう。
このところのティンの課題を突き付けられた気がした。
「勉強になります。宜しくお願いします。」
そう答えると、イミールには眉を上げて睨まれた。
距離を取って向き合うと、またキーニンの合図に従って剣を構えた。
ティンは少し迷ったが、真っ直ぐイミールに向かって行く。
ユディットよりも小細工が効かなさそうなイミールには、正しい近衛騎士の剣を向けるべきだという気がした。
慣れ親しんだブレのない綺麗な剣は、一糸の乱れもなくイミールの剣に吸い込まれて行く。
込めた力も勢いも綺麗に流して止めてしまうイミールはどうやっているのか分からないが、物凄く剣の扱いが上手いと感じる。
焦るような気持ちを精一杯抑えて、ティンは攻勢を緩めず彼の剣の秘密を探るように少しずつ速度を上げて行く。
自分できちんと捌き切れるギリギリまで速度を上げてから、一転攻めの間隔を広げて重い一撃を繰り出してみる。
一瞬反応が遅れたイミールだが、それでも何とか受けに来る。
そこへ、下から繰り出す変則を織り交ぜると、イミールの手から剣が飛んだ。
むっとした表情のイミールの顔が目に入る。
「だから、そういう変則は読み切られたら脆いと言っているんだ。」
ぶずっとした声で言われるのは耳に痛い気もしたが、綺麗に戦って勝てない相手にも負けない剣がティンは欲しいのだ。
「いつか、目指す剣を見付けられたらと私も思っています。それまでは、生き残る為に、誰よりも大事な人達を守る為に、模索を続けます。」
そう答えたティンに、イミールは深々と溜息を吐いて踵を返した。
「さて、それじゃ私ともお願いしますよ。」
言って向かいに立ったのはキーニンだ。
「貴方は中々見込みも根性もありそうな方だ。後は必死になってでも、姫様を守ってくれるかを確かめたい。」
飾らずに言ったキーニンは、剣を構えると目が吊り上がって顔付きが変わった。
ティンは、こちらも油断なく剣を構える。
合図はユディットが出したようだ。
と同時に掛かってきたキーニンの剣は、手が痺れそうになる程重い。
同じ剣を使っているとは思えない程だ。
身体が良く動いて重心がしっかりとしている。
その所為で、剣に腰が入るのだ。
やはり帝国の選び抜かれた親衛隊の剣は、どれも研ぎ澄まされていて凄い。
その中でもこのキーニンの剣が多分ティンとは一番相性が悪いかもしれない。
受け続けると、手に負担が掛かる。
といって反撃に移る余裕を与えてくれないのだ。
そんな時はどうする。
ティンは必死で頭を巡らせる。
例え相性が悪い相手でも、仕方ないと諦める訳にはいかないのだ。
もしも、後ろにリーハを抱えていたら、諦める訳にも、逃げる訳にもいかない。
一か八か、キーニンの剣を受け止めて体勢の整わないまま間合いを割ってぐいっと前に踏み込む。
身体を捻って力を込めて、遅れて付いて来る剣にそれを乗せて振りかぶる。
と、キーニンの剣がカランと落ちて、ティンの剣は籠手で受け止められていた。
「おい! 危ないなぁ。刃潰しでもあんなの食らったら怪我するところだぞ! 手合わせだ、途中で止めろよ。」
そのキーニンに言われてハッとする。
「す、済みません。つい、必死で。」
慌てて剣を引いてそう謝ると、キーニンに溜息を吐かれた。
「だろうな。流石に余裕は無さそうだったからな。こっちもちょっと痛ぶり過ぎた。まあ、あそこで捨て身で踏み込んでくる度胸は大したものだ。」
呆れたような口調だが、怒ってはいない様子だ。
「あー、まあこれで、認めざるを得ないっていう展開なんだろうな。」
キーニンは仕方ないという口調だった。
他の2人も側に寄ってくる。
「どうでも良いが、リーハ姫様のことは本当に大事にするんだぞ? いつも強がってらっしゃるが、本当は寂しがり屋だし、ご自分のことには無頓着で無理をし過ぎる方だからな。」
念を押されるまでもなく、彼女はそういう人だ。
だが、リーハを案じるキーニン達の気持ちが嬉しくて、ティンは微笑んで頭を下げる。
「私に出来る精一杯で、彼女を大事にします。彼女がいつも強がらなくても良いように、いざとなったら逃げ込める大きな盾になれるように頑張りたいと思います。」
そう返すと、キーニン達には深々と溜息を吐かれた。
「あー、物凄く羨ましいな、おい。」
本音が混ざるキーニンの言葉には苦笑してしまう。
「あのー、私はティンカンの同僚のファーバルですが、良かったら、私や彼の部下達にも稽古を付けて貰えませんか?」
バルが話しに割って入ると、キーニンもふうと気持ちを切り替えたようだった。
「ああ、良いだろう。同僚殿は私がお相手するとして、部下達はイミールにしごいてもらうと良い。彼は容赦なく正しい指摘をしてくれるからな。」
そう割り振られて、側近達やコウレルがイミールに向かって行くと、ティンは流石に疲れを感じて広場の隅に下がった。
と、ユディットがこちらに近付いて来る。
座り込んだティンの隣にあちらも腰を下ろすと、視線を合わせずにぽつりと口を開いた。
「姫様はな。噂では凄く苦労して育ってきたんだって聞いた。具体的にどうとは知らないが、とにかく他人に頼らない自立した生き方をしてきたんだろうな。」
ティンははっとしてユディットに目を向ける。
「貴族のお嬢様なら、どころかある程度の家庭の女性ならそんなことは有り得ない。私は姫様がこちらに住むようになってから、かなりの頻度で昼食をお作りしてきたんだが、趣味程度の軽食を姫様は喜んで食べて下さった。これも、ちょっと有り得ない話しだ。」
彼の話しには、少し苦い顔になってしまう。
リーハは確かに、トラウマが無くなるまでは本当に気の毒な程の生き方をしてきた人だ。
「貴方は、姫様の過去を知っているんだろう?」
「ええ。話して良い事かは分かりませんが、不遇だったことは間違いありません。」
そう答えると、ユディットははっきりとこちらを向いた。
「姫様を不自由ないように、毎日可愛らしく微笑んでいられるように、幸せにして差し上げて欲しい。」
これには深々と頷き返す。
「勿論です。」
きちんと目を見て返したティンに、ユディットは強い瞳で頷き返して来た。
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