第57章 不老不死の幻夜草《アンカーネン》と求婚

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「姫様、落ち着いてお座り下さい。」 ガラントからの呆れたような呼び掛けに、リーハはまた意味もなく部屋の中を歩き回っていたことに気が付いた。 そっと室内を見渡すと、お茶の支度をしながら呆れ顔になっているコチリアと、部屋の入り口付近に待機しているキーニンも微妙な顔になっている。 恥ずかしくなって応接机の椅子に座り直したリーハだが、すっと後ろを振り返ってコチリアに目を向けてしまう。 「大丈夫。今日のご主人はとびっきり可愛いから。髪も服装もばっちり。」 このやり取りも四半刻前から何度か繰り返している。 「姫様。もうお見えになられる頃ですから、見苦しい真似はおやめ下さい。コルスアックをご旅行中は宿の同じ部屋でお休みになっていた事もあるくらいなのですから、今更何を慌てておいでです?」 その最後の言葉に、リーハは顔が真っ赤になる。 今更ながら想像してみると、コルスアックで逃避行中は色々と気持ちが投げやりで、行動も投げやり過ぎたかもしれない。 そんな動揺を抑えられない内に、扉が外から叩かれる。 顔の赤みをまだ収められないリーハをよそに、ガラントが躊躇いなく扉を開けに行ってしまう。 短いやり取りの後、部屋に入ってきたのはやはりティンカンだ。 今日も近衛騎士の制服姿ではなく、昨日の夜会よりは落ち着いた簡素な装いだが、やはり貴族の若者の服装だ。 長い手足を綺麗に捌いて、いつも通りの無駄の無い動作でこちらに歩いて来るティンカンと目が合った。 途端ににこりと微笑み掛けられて、やはり瞬時に顔が熱くなる。 リーハはさっと椅子から立ち上がった。 「ティンカン様。ようこそお越し下さいました。」 「こちらこそ、お招き有難うございます。」 貴族式の挨拶を交わし合うと、また目の合ったティンカンにふっと笑われた。 「今日はずっとこんな話し方が良い?」 そっと問い掛けられて、リーハはすぐ様首を振る。 「いいえ。そんな余所余所しい話し方はしたくありません。」 そう返すと、ティンカンは笑みを深くした。 「では、少しだけ気楽にしよう。」 そんなティンカンの気遣いが嬉しくて、こちらも微笑み返してしまう。 向かい合って座ると、コチリアがお茶を運んで来た。 それを見たティンカンが驚いた顔になる。 「コチリアは、結局君の侍女に落ち着いたんだね?」 「大丈夫。ご主人と約束したから、もう誰にも毒を盛ったりはしないわ。」 そう答えたコチリアに、ガラントとリーハ以外が驚き引きつった顔になっている。 「毒って・・・」 ぽそりと漏らしたのは、昨日もティンカンの側で見かけた青年だ。 「ティンカン様、お連れの方々を紹介して下さいませんか?」 昨晩も会った4人だが、色々と一杯一杯だったリーハは、彼らの名前すら聞かずにティンカンの部屋でお茶をご馳走になってしまった。 と、ティンカンの座る椅子の後ろに立っていた4人が居住まいを正す。 と、振り返ったティンカンがそれを見てくすっと笑った。 「側近の3人は、ずっと君に会うのが楽しみだと言ってくれていたんだ。」 そうこちらを向いて言ったティンカンは何か楽しそうな顔になる。 「自己紹介するか?」 そっと問い掛けたティンカンに、4人は更に緊張したような顔になった。 リーハの方も少し緊張するような気がしながら、先に名乗ってしまうことにする。 「リーハと申します。宜しくお願いします。」 ティンカンにとってのリーハは、オルケイア公爵家の姫ではない。 孤児になって指先の染色師だったただのリーハだ。 そう思って飾らずに名乗ったリーハに、4人はまた酷く慌てた様子だった。 「・・・あ、は、初めまして。ティンカン様の側近のイディルです。」 「エルクです!」 「ガルンです。」 側近というからには、ミルレイ辺境伯から付けられた将来ティンカンを支えていく優秀な人達なのだろう。 何となく、辺境伯のバンドから、リーハのことをティンカンの嫁に相応しいか、見極めて来るようにと命令でもされているのかもしれない。 だが、この帝城と周りの者達がリーハを丁重に扱ってくれるので、それに気圧されているのだろう。 「ミルレイ領トライボ砦の常駐騎士、コウレルです。」 そして最後の1人は他の側近達とは少し雰囲気が違っているように見える。 「コウレルは、ティ・トルティアクトル古王国との境を守るトライボ砦の副将の子息で騎士でもある。彼は本当は私個人の部下ではないのだが、訳あって付いて来て貰ったんだ。」 そうティンカンが解説を入れてくれた。 ティ・トルティアクトル古王国といえば、王弟ヴァンサイスのこともある。 コウレルにはリーハも色々と聞いてみたいことが出来た。 「コルスアックから戻ってから、王宮とミルレイを半月ごとに行ったり来たりしていて、その間側近達はずっと付いていてくれたんだ。コウレルとは、ミルレイに3つある砦のそれぞれを研修で回った時に世話になった。」 穏やかなティンカンの言葉が挟まれて、4人はそれぞれ照れたような顔になった。 「私的な場では、私を相手に緊張なさらなくて大丈夫ですよ。私は元々ティルド・イーマに住んでいた頃は、9歳から孤児院で育って15歳の頃から職人として働いていた一般庶民ですから。」 これには、4人ともキョトンとした顔になった。 ティンカンもその様子に小さく口元に苦笑を浮かべている。 「ただの庶民の枠には、入っていなかったようだけどな。」 何処か可笑しそうに言うティンカンに、4人が首を傾げたようだった。 「トラウマの所為で引っ込み思案でしたし、こんな風に見ず知らずの男性と話すことなんて出来ませんでした。でも、トラウマが解消されて、顔を出した今の私も私なんだと思います。」 側近達に向けて話していた筈だったが、最後の言葉はティンカンに向けて言ってそちらに目を向けた。 「うん。リーハが頑張って作り上げたオルケイア公爵家の姫としてのリーハも、大事な君の一部だと分かっているよ。尊重したいと思っている。」 そう優しい笑みを浮かべて言ってくれるティンカンにホッとする。 「君がここで頑張る為に築き上げたものは、君がここで一年足らず確かに生きてきた軌跡なんだと思う。だから、どれも大事なものだった筈だ。一つ一つ知って理解したい。」 真っ直ぐこちらに視線を向けてそう言うティンカンに、目頭が熱くなる。 「本当に? 私は、どんな時も冷静で他に負けない攻勢を掛けられる叔父様と同じ気質も、作り上げた完璧な笑顔の裏で必要な結果を導き出す為に人を動かす言葉を紡ぐ父様と同じ気質も、間違いなく引いています。そういうのは、女性として一般的に可愛くないと評されるものではありませんか?」 そう自虐気味に口にしてそっと目を合わせると、ティンカンに微笑まれた。 「一般的にそうだと言うなら、私と君の間に一般的は当てはまらないな。私達だけの決め事を作っていけば良い。それに、リン・ヴェルダ・ヴィーラの王宮に居た時にも、既に君にはそういうところが少しだけあったよ? だから、私にとっては特別に驚くような事ではない。」 これには、驚いて目を大きくしてしまう。 「・・・そうでしたか?」 つい不服そうにそう返してしまうと、ティンカンに小さく笑われた。 「何かに入り込んだリーハは、って言われ方をしていたけど、それはトラウマの所為で抑えられていたからなんだろうな。」 当たり前のようにそう言われると、目を瞬かせるしかない。 ティンカンにとっては、オルケイア公爵家の姫として振舞うリーハは、特別以前と違うようには見えなかったのだろうか。 「ただ、少しだけ以前より変わって困っているのは、君がますます綺麗になってしまったことかな? 余り綺麗にしている君を見ると目のやり場に困ってしまうし、他の誰かが君を見る熱い視線が気になってしまう。」 続けてそんなことを言い出すティンカンに、リーハは少しだけ呆気に取られた顔になる。 「ここで私に向けられる視線は、私の家柄とか血筋に向けられたものですよ? 綺麗とか美しいとか口にしながら、私自身のことなど誰も見ていませんよ? あのヴァンサイス様もそうです。」 そう少しムッとして言うと、ティンカンだけではなく側近達も目を瞬かせた。 そっと視線を伸ばすと、無言でこちらを窺っているキーニンやガラントがやれやれという顔になっていて、リーハは首を傾げることになった。
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