第57章 不老不死の幻夜草《アンカーネン》と求婚

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相変わらず周りから向けられる熱視線には無自覚なリーハにティンは苦笑いしてしまう。 だが、変わらない彼女を見付けられてホッとしているのも事実だ。 オルケイア公爵家の姫は、リーハの素の部分もあるが、頑張ってそう装っている部分もあると自覚があるから、気にしていたのだろう。 リーハと話していて分かるのは、ティンとの関係を今のオルケイア公爵家の姫としてのリーハが壊してしまうことを心配しているようだった。 言葉を尽くしたティンの言葉でその懸念は払われたようだが、今度はティンの番だと思う。 「リーハは、トラウマは無くなったみたいだけど、兵士だらけのミルレイ城に住むのは平気だろうか?」 何よりも引っ掛かるのはその点だ。 リーハはそもそも男性不信で、何なら若い兵士風が一番苦手だったのだ。 それがどういう訳かティン相手ならばある程度抑えられていた状態だった。 それが、兵士だらけのミルレイ城に住むことになって本当に大丈夫だろうかと心配になった。 「ええと。実は今も男性に囲まれているのは少し緊張して余り得意ではありません。でも、仕事や役目だからと割り切って平気な風を装うことには慣れました。」 少し視線を下げて、でもはっきりと口にするリーハに、やはりと思う。 リーハが寄ってくる男性達を一律に隙なく即行で追い返していたのは、恐らくその所為だったのだ。 長時間相手にする余裕が無かったのだろう。 そして、何よりヴァンサイスを嫌がる理由がそれなのだろう。 だから、寄って来る男性が純粋にリーハに好意を抱いているかもしれないという思考に辿り着かないのだ。 ティンは、そっとテーブルの向こうのリーハに手を伸ばす。 その少しだけ握られた手を包み込む。 「なるべく、君を一気に囲まないように注意しておくから。少しずつで良いから、ミルレイの兵士達とも交流して慣れてくれると嬉しい。」 そう言って覗き込むと、リーハの瞳がほんの少しだけ不安そうに揺れた。 「難しい、だろうか? ごめん、私が君のことを随分と色んな人に話してしまったから。ミルレイの兵士達は、きっと君に興味津々だろうと思うけど、皆気の良い者達だ。」 気不味くなって明かしておくと、リーハが困ったような顔になっていた。 「いえ、あれは話したというより、惚気たって言うんだと思います。でも、お姫様みたいな綺麗な方なら、ミルレイの者達は鼻の下は伸びるかもしれませんけど、絶対に怖がらせたりしませんから!」 そう後ろから言い切ったのはエルクだ。 「俺達がきっちり交通整理して、お姫様の周りをぎっちり囲ませるなんて事態にはならないようにします。」 そして、そう力強く続けたのはイディルだ。 「慣れるまでミルレイ城の奥から出なければ良い。こんな綺麗な方なら俺なら一般の兵士達の目には触れさせたくない。」 コウレルが言いながら少し赤い顔を背けているのには、何となく面白くない気持ちになる。 「あの。皆様気を遣って下さって有り難うございます。でも、ティンカン様との結婚が許されるのなら、出来ればミルレイ城でティンカン様に相応しいと認めて貰えるように頑張りたいんです。」 そっと握った手を硬くしながら、リーハが頑張っているのが分かる言葉を紡ぐ。 「リーハ。君は頑張り過ぎるのは禁止だ。少しずつ慣れてくれると嬉しい。近衛騎士団より少しガサツなところもあるかもしれないが、皆君を知れば大事にしてくれると思う。その内、私などより君の方が親しまれるようになる。そんな気がするよ。」 精一杯優しく告げると、リーハにまた少し困ったような笑みを向けられた。 「噂に聞く類稀な頭脳をちょっと披露して下されば、単純な兵士どもは貴女に逆らわなくなるでしょう。」 そう挟んだのはガルンだ。 「はあ、成程な。陣取りゲームでガルンに勝って貰ったら早いんじゃないか?」 イディルがにやりと笑ってガルンに絡んでいて、相変わらずな側近達に苦笑が浮かぶ。 「俺は手は抜かない主義だ。だが細かいルールの多い陣取りゲームで手加減無しで勝って頂くには時間が掛かるだろ?」 「へぇ、ガルンは自信満々だよね? お姫様は天才で有名な方なんだぞ? 泣きを見るのが怖いんだろ?」 今度はエルクが絡み出して、騒がしくなる予感がする。 「分かった。その案は却下だ。リーハは何もしなくても皆に好かれる。それは間違いないから、ここで騒ぎを起こすな。」 慌てて遮ると、側近達は何やら不満そうな顔になった。 「あの、もし良ければ、お姫様ではなくてリーハと呼んで貰えませんか?」 そこへリーハの可愛らしい申し出があって、側近達の顔が一気に緩む。 「え? 良いんですか? 俺達みたいな下々が、リーハ様とか。」 しっかり呼びながら問い返すエルクの顔がデレていて、また面白くない気持ちになる。 「ティンカン様の側では、お姫様で居たくないんです。ただのリーハとして過ごしている時に、お側にいらっしゃる側近の皆様にお姫様と呼ばれるのは、何だかおかしいでしょう?」 そう返したリーハはやはりしっかりと芯の通った理論を展開していて、側近達がハッとした顔になっていた。 ティンは、そのリーハの手を包む手に少しだけ力を込めた。 リーハの視線が返ってきて、照れ臭そうに微笑む姿が可愛い。 「リーハ、もう一度きちんと訊かせて欲しい。私と結婚して貰えないだろうか。そして、ミルレイで辺境伯を継ぐ私と一緒に暮らして欲しい。」 真っ直ぐその瞳を見つめて問い掛けると、リーハの瞳が潤む。 「元はただの孤児で、職人で、今はオルケイア公爵家の姫と呼ばれていて、帝国宮廷で薬室長を務めて、エディルス殿下の立太子を後押しする為に色々と画策もしました。恨みも買っているかもしれません。帝室の血筋を濃く受け継いでいる所為で、私の子孫に対して帝室から色々と言われるかもしれません。そして、どうやら守護石の主人に選ばれてしまったようで、良く分からない石が付いています。その所為もあってティ・トルティアクトルのヴァンサイス殿下から求婚されていますが、それを断ろうとしている私です。普通の可愛らしい貴族のお嬢様よりもずっと色々と面倒な立場やしがらみも持つ私ですが、それでも私と結婚して下さいますか?」 これでもかと並べ立てたリーハには、はっきりと微笑み返す。 「君の全てを受け止めたい。そう出来る自分になりたい。私のほうこそ、足りないものだらけで君に苦労を掛けるかもしれない。でも、君との未来を諦めることは出来ない。他ならぬ君が嫌だと言わないのなら、どんな障害も乗り越えて君と結婚したい。ミルレイに君を迎えて、末永く君とあの地を守って生きていきたい。」 リーハの目に溜まった涙がぽろりと零れ落ちる。 それを、そっと指先で拭う。 「それで? 答えは?」 そっと促すと、リーハが潤む目を上げた。 「はい。私もティンとずっと一緒に生きていきたいです。」 また歪みだすリーハの顔に限界を感じて身を乗り出すと、リーハの手を引いて抱き寄せる。 足元のテーブルが邪魔だったが、無理な体勢で抱き寄せたリーハの後ろ頭を撫でる。 「愛してるリーハ。」 「ティン、私もです。」 胸元にしがみ付くようにして返して来るリーハが愛しくて堪らなくなる。 周りからにやにや笑いか冷たい視線を向けられているかもしれないが、今この瞬間を邪魔されたくなかった。 ところ構わずキスしたい衝動が湧き起こるが、それだけは何とか我慢して、そっと身を離すと、赤い顔のリーハが少し恥ずかしそうに俯いていて、その目がそっとこちらを見上げると、その色香にギュッと胸が締め付けられる。 こちらも耳が赤くなっているに違いない。 「どうして、2人きりじゃないんだろう。」 つい漏らしてしまった言葉に、リーハがまた顔を赤くしながらも小さく頷いていて、また胸がキュンとする。 「もう、心臓がもたない。どうしてこんなに君は可愛いんだろう。」 熱を込めた台詞に、リーハがまた真っ赤になって焦ったように目を逸らすのが、また可愛い。 「失礼ですが、そろそろ姫様からお離れ頂けませんでしょうか? ティンカン殿。」 そうガラントの冷静な声が割り込んで、2人だけの仮初の世界が崩される。 はっとして離れたリーハが口元を覆って椅子に座り込む。 「姫様。お気持ちは分かりますが、せめてお父上のご許可が下りるまでは、これ以上距離をお詰めになられませんように。そうでなければ、オルケイア公爵家の姫としての婚約が認められなくなるかもしれません。ティ・トルティアクトルのヴァンサイス殿下の求婚に対して正式にお断りする為には、ティンカン殿との正式な婚約が一番効果的です。逆に、これを取り付けておかないと、ヴァンサイス殿にいつまでも横槍を入れられる可能性があります。」 その冷静な分析には、沸騰し掛けていた頭がすっと冷える。 「そろそろナイビア公爵がお見えになられる頃合いです。本日の公爵は、姫様のお父上であるばかりではなくナイビア公爵として参られます。ティンカン殿を試すような言葉や要求もなさるかもしれませんが、くれぐれも失礼のないように、側近方もお弁えになって下さい。」 成程、ティンは苦い気持ちになりながら、それを知らせてくれたガラントに感謝することにした。 要は側近達を抑えておけという意味なのだろう。 オルケイア公爵家とナイビア公爵家の姫であるリーハを望むのならば、ガラントの忠告に従っておくべきだろう。 コルスアックではリーハの前から去るようにと言ったガラントだが、今後はこうやってリーハの為にティンに必要なことを教えてくれるつもりでいるのかもしれない。 振り返ってみると、側近達はそれぞれ何とも言えない顔になっていて、ガラントの言葉は理解したようだった。
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