第58章 お別れと未来を映す空

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厨房での夕食会を終えて、部屋に戻ったリーハは、お風呂の用意をするコチリアを待って、部屋で寛いでいた。 明日、帝城を退くことになるリーハの部屋は、ガラントとコチリアが粗方荷造りを終えているようだ。 久しぶりにオルケイア公爵家の屋敷に戻ることになるが、その実感は余り湧かなかった。 そして、その翌日にはティンカン達と共に遂にリン・ヴェルダ・ヴィーラに戻る為に旅立つことになる。 再会したティンカンと交わした言葉と、崖のある木の根元で抱き締められた温もりを思い出すと、心の中が温かくなった。 幸せ過ぎて、少し怖いくらいだ。 そんなことを考えて人様には見られたくない顔になっていたリーハは、唐突に扉を叩く音に慌てて顔を引き締める。 ガラントが応対に出るが、扉からは直ぐにフォーガルが顔を覗かせた。 「リーハ。ちょっと夜の散歩に出掛けようか。」 にやりと含みのある笑顔で言い出したフォーガルだが、余程楽しいことでもあったようだ。 「父様、これからですか? 何となく、ろくでもない用件が待っている気がするんですけど。」 そう半眼気味に返すと、フォーガルにふっと笑われた。 「おや、良い勘をしているなぁ、リーハは。」 その言葉にガラントを見ると、慎重に頷き返してきた。 「ナイビア公爵、私もお供しても宜しいでしょうか?」 そう問い掛けるガラントは、譲るつもりのない強い瞳だ。 それもその筈で、キーニンはもう帰ってしまっていて、今日はもう護衛についてくれる者がいない。 「そうだね。念の為そうしておきなさい。」 今度はフォーガルも真面目に返した。 どうやら、何か良からぬ事が起こったのは間違いない。 上着をガラントから差し出されて袖を通すと、リーハはフォーガルに続いて部屋を出た。 「今晩は。リーハ姫。」 そう何処か悪戯っぽい顔で挨拶してきたのは、ファーバルだ。 「今晩はファーバル様。」 何かティンカンに良からぬ事が起こったのだろうかと心配になるが、笑顔のファーバルの様子にそれは無いだろうと判断する。 ゆっくりと歩き始めると、フォーガルが少しだけリーハを振り返って話し始める。 「何でも、ヴァンサイス殿下がティンカン君から取り上げた守護石を壊してしまったようだ。」 それには、目を瞬かせてしまう。 「どうやってですか?」 硬い筈の宝石の壊れ方も気になるが、何故ヴァンサイスが壊してしまおうと思ったのかが分からない。 「それを、これから見て聞きに行く。あれは、一応ナイビア公爵家預かりだからな。」 “翡翠の神殿”の存在を公に話す訳にはいかないだろうが、緑柱石の方は長年ナイビア公爵家が保管管理してきたと聞いている。 管理責任の問題になるのか、壊したヴァンサイスに対する賠償問題なのか、フォーガルが出向く理由は複雑そうだ。 帝城の表の賓客の客間がある一角に入って行くと、夜分にも関わらず衛兵が数人廊下に待機している。 その先に、ハインやティンカン、ヴァンサイスの姿もある。 「ナイビア公爵、遅くにお呼び立てして申し訳ない。」 ハインがそう声を掛けて来る。 「これは、リーハ姫も。」 そう続けたハインは、にやりと少し悪い顔になっている。 どうやら、ヴァンサイスをリーハから引かせる手段でも手に入れたのだろう。 少し呆れたような気分になりながら、リーハはフォーガルに続いてヴァンサイスの元へ向かった。 「これはこれは、ハイン王太子殿下、ヴァンサイス王弟殿下。お2人ともお若くていらっしゃるようだ。私など夜更かしが辛くなってきましてね。休もうとしていたところですよ。ところで、如何なさいましたか?」 そう慇懃を装った嫌味混じりの挨拶を返して、フォーガルはヴァンサイスやティンカンがいる辺りの床に目をむける。 続いて覗き込んだリーハは、床で口を広げられた緑色の巾着が目に入った。 そのリーハに気付いたヴァンサイスがバツの悪そうな顔になっている。 「リーハ姫。何と申し上げて良いのか。」 歯切れ悪く切り出そうとするヴァンサイスに、リーハはふっと笑みを浮かべてティンカンの方から回り込む。 「そんなつもりはなかったのですが、床に落としてしまいまして。」 半ば呆然とした様子で話し掛けて来るヴァンサイスを余所目に、リーハは巾着の中に手を伸ばした。 「リーハ。怪我をするかもしれない、触らない方が。」 そう慌てて声を掛けてくれるティンカンに微笑み返して、リーハは遠慮なく巾着の中から鎖を二つ引っ張り出す。 守護石の方は見事にひび割れて砕けているようで、細かいカケラと大きめのカケラが混在する状態だ。 見事な砕け振りで、修復が不可能なのは一目で分かる。 その中から取り出したのは、リーハにとっては守護石よりも大事なティンカンと贈り合ったプレートの首飾りだ。 「ティンカン様。こちらを持っていて下さいませ。」 そう告げて彫金細工のプレートを二つ手渡すと、巾着の口を閉じて廊下から拾い上げた。 「リーハ。どんな具合だ?」 途端に掛かるフォーガルの言葉に、リーハは意識して苦笑を浮かべてみせる。 「残念ですけれど、砕けてガラクタに成り果ててしまったようですわ。」 そう答えると、フォーガルも肩を竦めた。 「宝石としての価値は格段に下がるが、これで元の遺跡に戻しても盗掘されて売り飛ばされる心配はなくなったな。」 そのフォーガルの言葉に、ヴァンサイスがギョッとした顔になっている。 「そうですわね。わたくしも、この石の主人だとか言われて煩わされる心配は無くなりました。ヴァンサイス殿下、有難うございます。わたくしに自由を下さったんですね?」 そうにっこり笑顔で告げると、ヴァンサイスの顔が面白い程変わった。 「リ、リーハ姫。」 何か言い掛けたようだが言葉が続かず、ヴァンサイスはくっと目を瞑った。 「では、お父様。こちらは間違いなく遺跡に返すか、安全な場所に保管して下さいませ。二度と、呪いの宝石などと呼ばれて世を騒がせることがないように。」 畳み掛けるように言うリーハに、ヴァンサイスは土気色に近い顔色になっていた。 「そうだな。ナイビアのこの翠色の瞳を持ってしても、この琥珀は厄介だったからな。」 そう何でもないように答えるフォーガルは、リーハから緑色の巾着を受け取った。 「まあとは言え、ヴァンサイス殿下。トゥンガーナ王の守護石は、帝国の歴史的にも非常に貴重な遺物でして。私は帝国宮廷より管理を任されておりました。盗難にあったり勝手に持ち主を不幸にしながら渡り歩いたりと、少々面倒な遺物ではありましたが、娘婿にすると決めた男に預けておりました。それを手荒に扱われたことに関しましては、厳重に抗議させて頂きたい。」 フォーガルが笑顔の引っ込んだ真面目な顔をヴァンサイスに向ける。 「ですが、帝国としましても貴重な遺物の損失を表沙汰にするのも忍びない。そういった訳で、ここは一つ、守護石の主人であったリーハの采配で手打ちとさせて頂きたい。つまり、貴方はリーハに対する求婚を取り下げ、今後この子には近付かないで頂けますね?」 最後には食えない笑みを浮かべて言い切ったフォーガルは、流石はナイビア公爵だ。 ヴァンサイスは苦い顔になったが、言い返すことは出来ないようだった。 しばらくの沈黙の後、ヴァンサイスはフォーガルに苦々しい目を向けた。 「承知した。」 何とか絞り出したという言葉を残して、ヴァンサイスは踵を返して去って行く。 その後ろ姿が完全に見えなくなってから、フォーガルがにこりと笑顔を向けて来た。 「リーハ、今のどうだった? 格好良かっただろう? 父様のこと、ちょっとは見直しただろ?」 そう場の空気を和ませるどころか澱ませるような言葉に、リーハは溜息を漏らす。 「今のその一言で台無しです。」 冷たい一瞥を返しておくと、フォーガルが不貞腐れたような顔になった。 「でも、本当に良かったのでしょうか。」 ティンカンがぽつりとそう言い出して、フォーガルはそれに笑みを向ける。 「何だ? ティンカン君は、まだこの石の非常識な力を使ってみたかったのか?」 そう揶揄するように返したフォーガルに、ティンカンは目を瞬かせる。 「あ、いえ。そういう訳では。ただ、それこそ貴重な遺物を申し訳ないというか、実は二つの石を合わせた時に、既にヒビが入ってしまっていたので。」 何やら歯切れ悪く言うティンカンに、フォーガルはふっと笑った。 「石が歴史を作った訳でも、人を王にする訳でもない。石に出来ることなどたかが知れている。トゥンガーナ王は、石の力で偉大な功績を残した訳でも、失敗を繰り返した訳でもない。王は人であって、それ以上でもそれ以下でもない。石はあくまでも王の玉座を彩る飾りだ。飾りである以上、壊れることもある。それだけの事だ。」 そうまともな話しをするフォーガルは、歴史学者としての顔をしている。 「ナイビア公爵。私の友とも思うティンカンを認めて、姫との結婚をお許し下さり感謝しております。」 そう口を挟んだのはハインだ。 「なに、これから娘がお世話になる国の未来の国王陛下には、恩を売っておくに限る。長期休暇の度に、ミルレイにリーハと孫の顔を見に行くので、その節は快諾頂けるようにお頼み申し上げます。」 抜かりなくそう口にするフォーガルには呆れてしまう。 だが、リーハとティンカンの結婚についての最大の障害が、これで取り除かれたことになるのではないだろうか。 その為に、トゥンガーナ王の守護石が犠牲になったのは、良かったとは言い難いだろうが、これで、元の主人の眠る遺跡で石達も眠りにつくことが出来るだろう。 「父様。本当は、昨晩少し無茶をさせ過ぎてしまったことが原因でしょうか?」 少し声を落として訊いてみると、フォーガルはにやりと笑いながら肩を竦めた。 「そうだなぁ。荒使いでガタが来てたのは間違いないだろうな。それでもだ、壊れる前に主人の役に立てたんだ。石としては本望なんじゃないのかな?」 本当に石が何かを思うことがあるのかどうかは分からないが、何度かティンカンやリーハの命を守ってくれたことと、冬空に幻夜草(アンカーネン)を咲かせてくれたことには感謝しなければならないだろう。 「トゥンガーナ王の遺跡に、丁重に葬ってあげて下さい。」 「そうだね。トゥンガーナ王の遺跡は、オルケイア公爵家の領地の一角にあるんだ。里帰りすることがあったら、一度訪れてみると良い。」 フォーガルの言葉にリーハはにこりと微笑み返す。 里帰りすることがあるとは思えないが、幼い頃親しんだトゥンガーナ王の歴史書を思い出して、少しだけ心惹かれるような気がした。
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