第58章 お別れと未来を映す空

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朝からキルティス大使の迎えに従って帝城を後にすることになっていたが、女帝はハインの為にわざわざ時間を取ってくれたようだ。 荷造りが終わったところで、帰国の挨拶を申し込んだハインに、女帝から呼び出しが来た。 宰相か公爵の誰かに取り継がれて挨拶することになるだろうと思っていたハインも、少し驚いた顔になっていた。 通されたのは、初日に謁見をした部屋で、今日も親衛隊の護衛は厳重だった。 「女帝陛下には、ご機嫌麗しく。」 ハインの挨拶が続く中、ティンも他の近衛騎士達と同様頭を下げて控えている。 女帝からは、特にエディルスのことについて感謝が伝えられる。 畏まったそのやり取りが終わると、女帝の視線がこちらに来る。 「ティンカン・イムダイン殿。面をお上げなさい。」 特に言葉を掛けられて、ティンは短い返事と共にそっと顔を上げる。 「貴方には、特にリーハのことを頼んでおきますよ。こちらからもリーハに従う者を最低限付けますが、一先ず訪問するミルレイ辺境伯領でリーハが危険に晒される事がないように、しっかり頼みましたよ。」 念を押されて、ティンは深々と頷く。 「必ずこの身に替えましてもリーハ姫の安全を第一に、危険のないようにご滞在頂く所存でございます。」 真摯に答えると、女帝がふっと目元を緩めた。 「貴方とこうして話す機会はもうないでしょう。最後にもう一度だけ念を押しておきます。リーハをその身も心も大事にしなければなりませんよ。あの子は、この国にもわたくしにもこの短い間に多くのものを与えてくれました。その中でも一番は、希望という名の最も尊いものです。」 微笑む女帝に、部屋の中に温かな空気が流れる。 「大事な方をお預かりしているという自覚を持って、私に出来得る限りで大切にさせて頂きます。」 心からそう答えると、漸く女帝は頷き返して来た。 その後は道中や出国についての事務的な事項が確認され、謁見は終了となった。 部屋を出て客間に戻る道すがら、廊下で待ち伏せていた様子のベニファルト公爵レスディアスに行き合った。 「ハイン王太子殿下。道中つつがなくお過ごしになられます事をお祈り申し上げております。」 レスディアスはハインには丁寧にそう挨拶をしてから、ティンに向き直る。 「ヴァンサイス殿下を退けたそうだな。まあ、何が無くても天性の運を持つ者というのはいるらしい。」 そう言い出すレスディアスは嫌味で送り出してくれるつもりだろうか。 ティンは少し苦い顔で大人しく話しを聞いておく。 「それならそれで、姫のことを完璧に守って差し上げろ。だが、あの姫は守られているだけで満足するような質ではない。適度に自由も必要なようだ。子供は早い内に、後は上手く行かなければ返してくれて構わない。」 それだけ一方的に告げると、レスディアスはさっさと踵を返した。 呆気に取られるティン達を気にする様子もなく、レスディアスは振り返りもせずに去っていった。 「うーん。やっぱり帝国宮廷だな。うっかり祝福してくれてるのかと思ったら、お前のことは全くカケラも認められてないんだな。」 バルの解説には苦笑が浮かぶ。 「ファーバル。分かっていないな。あれは間違いなく祝福だぞ。」 ハインの笑み含んだ言葉には、やはり苦い笑みしか浮かばない。 「殿下、そんな分かり難いの要りませんよ? 素直に幸せになれって言えないものですかね?」 バルが苦々しく返していて、ハインがふっと笑った。 「帝国宮廷で権力を保持し続けようと思ったら、あの位の慎重さと腹黒さがなければ務まらないのだろうな。そんな男を心酔させるくらいだから、リーハは何かやらかしたんだろうな。まあ、私も心して掛からないと、痛い目に遭いそうだ。」 そう言って肩を竦めるハインに、ティンも口元を苦くする。 「リーハのは、反射なのではないでしょうか。悪意にははっきりとした強い返しを。ですが、基本的には周りの者を大事にするとても心優しい人です。」 そう口を挟んだティンに、ハインとバルが口の端を上げて笑った。 「今はまだ、リーハの大事なものは、お前や関わりを持った狭い範囲の者達だけだ。だが、これからは彼女の世界も広がる。私も上手く舵取りをしなければならないということだ。」 ハインの言葉の真意は分からなかったが、目の前に未知の未来が広がり始めているのが見えてきた。 「まあまあ殿下、難しい話しはやめましょう。とにかくティンはリーハちゃんをしっかり幸せにしておくことが一番だってことだ。」 そう取り成すように言ったバルに、ハインがまた口の端を上げて笑う。 「そうだな。それだけはお前にしか出来ない大事な務めだ。」 言われる間でもない事だが、一つ一つ手に手を取って2人で未知の未来を歩んで行く事には、少しの不安と大きな希望が湧く。 「はい。漸く見えた彼女との未来を、大事に歩んで行きたいと思います。」 噛み締めるように口にすると、バルににやりと笑われながら、バシっと背中を叩かれた。
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