第58章 お別れと未来を映す空

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帝城を出る為の馬車に乗り込んだところで、帝城の馬車寄せの少し離れた辺りに人だかりが出来ているのが目に入った。 その構成は、白衣の集団と兵士が中心だが、中には位の高そうな人物も混ざっていそうだ。 「ああ、オルケイア公爵家の馬車ですね。」 同じく馬車に乗り込んだキルティスに言われて、はっとする。 「帝城を辞してオルケイア公爵家の屋敷に戻るリーハ姫のお見送りでしょうか。大した人気でいらっしゃる。」 キルティスの言葉にハインがふっと皮肉げな笑みを漏らす。 「頼もしいのか末恐ろしいのか。何はともあれ、これから退屈しなさそうだな。」 ハインの言葉には、キルティスが笑みを深くする。 「殿下は、元からお暇ではございませんでしたでしょうに。これ以上抱え込まれてどうなさるおつもりです?」 「キルティス。忙しくても退屈は出来るものなのだぞ? 忙しいからこそ、その合間に耳に入るあれこれが気分転換にもなる。ミルレイなら近過ぎず遠過ぎずで、程良い距離感だと思わないか?」 勝手に展開されるその話しの流れには、何か納得出来ないような気もするが、忙しいハインの気分転換になるのなら、それでも良いのかもしれない。 「確かに、色々あるかもしれませんが、目標はリーハを幸せにすることですから。余り面白がらないで下さい。」 一先ずそう反論しておくと、2人にはにやりと笑われてしまった。 「まあ、何にせよ。帝国宮廷はこれから死ぬ程忙しくなる筈だ。」 ハインが少し顔を引き締めてそう口にする。 「でしょうな。春までが勝負です。それまでにどれだけ、廃した皇子達が継承者として相応しくなかったかを明らかに出来るかが鍵ですね。そしてもう一つ、エディルス殿下の周りをどれだけ手堅く固められるか。これがエディルス殿下の治世に大きく関わって来るでしょう。」 キルティスの解説に、ティンはそういうものかと頷き返す。 「ベニファルト公爵がリーハを惜しんだ理由も分かるがな。リーハは帝国宮廷に認められて基盤を築き始めていた。本人は全くそのつもりはなかっただろうが、リーハがエディルス殿を擁護するだけで、宮廷の空気はそう変わった筈だ。あのリーハ姫が立てるのならばと。」 ハインの言葉には目を瞬かせてしまう。 確かに、出会う者出会う者、リーハを大事に思っているようだったし、多くの者が彼女に従う意思を持っていた。 ここまで来るまで苦労したのだとリーハは口にしていたが、それこそあのリーハが全力で頑張ってきた成果なのだろう。 「ああ、リーハ姫がお姿をお見せになったようですよ。」 キルティスに言われてまだ開いていた扉から外を見ると、帝城の方から落ち着いたピンク色の夜会よりは簡素なドレスを身に纏ったリーハが歩いて来る。 その後ろをガラントとコチリアが従っていて、その姿が馬車寄せに集まっていた人々の目に入ると、あっという間に周りを囲まれていた。 身を乗り出して何事か声を掛ける者、目頭を拭っているのは女性ばかりではない。 その集団の中に負の空気は全くない。 只々別れを惜しまれているのだろう。 それに何事か返しているリーハは、早々とハンカチで目頭を押さえている。 「殿下。先に馬車をお出し下さいと、オルケイア公爵家の者が伝えて参りました。」 そう言いながら馬車に乗り込んで来たのはバルだ。 「そうだな。こいつはいつまでも見守りたいだろうが、こちらも出立の支度があるからな。」 ハインは、にやりとティンに目を向けてから真面目に返す。 「では。」 言ったバルが馬車の外に合図すると、扉は外から閉められた。 緩やかに走り出した馬車は帝城を離れて行く。 あれ程望んだリーハとの再会も果たされて、2人で歩む未来も漸く見え始めた。 ゆっくりと進む馬車の中で、ハインとキルティスが歓談して、時折バルがそれに加わる穏やかな時間が過ぎる。 「ティン。その満ち足りた顔。ちょっと気が早くないか?」 そうバルが小声で言い出して、ティンはギョッとしてそちらを向く。 「そんな顔に、なってるか?」 こちらもこっそりと問い掛けると、バルににっこり笑顔で頷かれた。 「あの帝国の悪魔がどんなお目付役を送り込んでくるか、楽しみだな。」 他人事だと思ってにやにやと言うバルに半眼を向けておく。 「確かに、帝国の悪魔殿は、えらく大人しかったな。」 いつの間に聞いていたのか、ハインが話しに入ってくる。 「オルケイア公爵は、女帝と帝国の為ならどんな非情なことも顔色一つ変えずにやってのける人ですが、不思議と私情のない方です。ですから、女帝の親衛隊長として宮廷でも不動の地位を築いているんですよ。」 キルティスの言葉には、何となく頷けるような気がする。 「昨日、リーハと一緒にオルケイア公爵や先代様方と話したのですが、ランディル殿は時折棘のある話し方をしながらも、リーハを気遣うような態度を取っていて。第一、リーハが全く怖がるでも恨むでもなく普通に話していたので。リン・ヴェルダ・ヴィーラから連れ出されたあの頃とは関係が変わったのかもしれません。」 ティンは、ランディルとは直接色々と話した訳では無かったが、少なくとも以前のようにゴミを見るような目では見られなかった。 「悪魔もリーハちゃんに絆されたかぁ。」 バルがそんなことを言い出すが、実際にそれもあるのかもしれないと思った。 「帝国宮廷にとって、長年悩まされてきた世継ぎ問題にカタが付いたことは、非常に大きな事なのです。その立役者はどうやら宮廷薬室長としてのリーハ姫だとなれば、その扱いは下にも置かないものになります。それもあるから、姫の結婚には注目が集まるんです。姫の後ろ盾を得た家は、宮廷での発言力も増す。そして、次期皇帝が約束されたエディルス殿下の覚えもめでたいものになることが決まっている。今や姫に色目を使わない帝国貴族など存在しないでしょう。」 「それをうちのティンが攫って行ったとなれば、帝国宮廷はえらい騒ぎになるだろうな。」 嬉しそうに口にするハインは、あの時ランディルにリーハを連れて行かれたことに対する意趣返しが成功したと溜飲を下げているのだろう。 「では、女帝陛下やオルケイア公爵の気が変わらない内に、リーハ姫をさっさとリン・ヴェルダ・ヴィーラにお連れしましょうか。」 キルティスの纏めで話しにカタが付いたところで、馬車は大使館の門を潜って入って行く。 「そう言えば、リーハ姫がエディルス殿下を亡命させる為に大使館を訪ねて来られた時、変装をしておられたのですよ。男性の上級使用人を装っていて、それは凛々しくもお美しく可愛らしい男装姿でしたよ。」 にこりと笑って教えてくれたキルティスに、ティンは驚いて、それから少し残念になる。 「へぇ。あのリーハちゃんなら、可愛いかっただろうなぁ。というか、ティンは萌えるんじゃないか?」 余計なバルの一言に要らない想像をしてしまったが、そのリーハの姿を見られなかったのは、かなり残念かもしれない。 いつか頼めば似たような男装をしてくれるだろうか、とか余計なことを考えていると、バルがにやにやと視線を向けて来るのに気付いた。 「いよいよだな。道中、側付きが邪魔な時は任せろ、何とか引き離してやるからな。もうこれは既成事実で押せば行けるだろ。」 大きな声で何を言い出すのだとバルを睨むが、全く悪びれた風もない。 「旅の途中で何をさせるつもりだ。」 苦々しく返すと、バルにはまたにやりと笑われた。 「それじゃ、ミルレイに落ち着いてからか? のんびりしてないで、早いところそうしておかないと、いつまで経っても安心出来ないぞ?」 これには、流石にむっときてバルを睨み返す。 「そういうバルはどうなんだ? 式を上げる前にそうするつもりなのか?」 返したティンに、バルは余裕の笑みを返して来る。 「成り行きかな? まあ、クランシアの場合は生粋のお嬢様だから、周りがそれを許さない空気があるからな。それを突破出来る状況で盛り上がったら、あるいは?」 その返しには、ますますむっとくるような気がした。 「まあまあ。若い人は良いですね。そんな悩みも楽しみの一つだ。ともあれ、何があっても大事にして差し上げる覚悟があるなら、後はお2人次第では?」 キルティスまでそう言い出して、ティンは反論を諦めて深々と溜息を吐いた。
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