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小さく扉を叩いてから開けた個室には、ティーナと思ったよりも随分年若い男性が座っていた。
歳は20代後半くらいだろうか。
首の後ろで一つに束ねた真っ直ぐな黒髪は先が少しだけ背中に掛かる程の長さだ。
振り向いた瞳は落ち着いた濃いめの青色で、座った座高からも背は高く、引き締まっているが肩幅もあるしっかりとした男性らしい体格の持ち主だと分かる。
リーハは、ちらりと合った目をそっと逸らして俯く。
実は、彼のような男らしい体格の持ち主は、一番リーハが苦手な男性の外見だ。
震えそうになる手を何とか堪えて、リーハは2人の座るテーブルに向かう。
黙ってこちらを窺う男性の視線から目を逸らして、俯いたままテーブルに置いたポットからカップにお茶を注ぐ。
カップに流れ込むハーブティーは、程よく黄色く色付いていて、苦くもなく薄くもなく、優しい香りの立つ、一番良い状態のお茶だったが、そのカップを差し出す時は、微かに手が震えてしまった。
「どうぞ。」
小さな声で目を上げられずに勧めると、部屋から逃げ出したいのを我慢して、何とかティーナの隣に座った。
「ありがとう。優しい香りだな。あの花と同じ優しさを感じる。」
言葉少なにそう言った男性の声は、酷く優しげで少しだけ寂しそうだった。
「ありがとうございます。リーハのハーブティーは、癒しの効果があるって、女性のお客様に人気なんですよ。」
ティーナがすかさず会話を引き継いでくれて、リーハはほっとする。
「大叔母の爪に幻夜草を描いてくれたのは君だね。教会の地下に私が駆け込んだ時、引き上げようとしていた。」
リーハは、その問い掛けに戸惑いながら頷く。
「大叔母は、優しい人だった。私にとっては、もうたった1人の身内でね。だから、優しい幻夜草を贈ってくれた君に感謝している。」
リーハは思ってもみない程の感謝の言葉に、驚いて思わず少しだけ顔を上げた。
途端に、こちらを真摯に見つめる男性の落ち着いた青い瞳と目が合う。
その瞳の奥の深い悲しみが胸に染みるような気がして、またゆっくりと目を逸らした。
「ありがとうございます。この子はちょっと恥ずかしがり屋で、初対面のしかも男性のお客様とはまともに話せた事がないんですよ。済みませんね。」
また、ティーナの的確な取りなしが入って、男性はふっと苦みのある笑みを浮かべたようだった。
「そうか。それでは、大叔母が事前に整えていた自分の葬儀の手配の中に、あの爪の装飾が入っていた経緯は聞けそうにないかな。」
リーハは、その言葉をまた訝しく思って目を上げると、少し困った顔の男性が目に入った。
「大叔母は、自分が過剰に着飾ることには興味のない人だったし、死んでしまった自分を飾る手配をするようには思えなくて。いや、あれ自体は凄く綺麗だったし、やって貰って良かったと思っているんだが。ただ、不思議で。」
困惑したように口にする男性に、リーハは目を泳がせる。
これは、黙っているべきではないと思うのだが、喋り出す勇気が出ない。
「・・・済まなかった。緊張させてしまったね。優しいお茶の気遣いを有難う。では、失礼するよ。」
言って、男性は席を立つ。
ティーナがそれに合わせて椅子を立つが、リーハはまだ躊躇うように椅子から腰を上げられない。
「あの。」
思い切って小さな声を上げると、背中を向け掛けていた男性が振り返った。
「大きなお屋敷のお客様のところへ仕事でお邪魔していた時に、あの方が頭痛がすると仰って、座り込んでいらっしゃったんです。」
話し始めると、不思議と言葉がするすると出てきた。
男性が少し驚いたように目を見開いて、だが静かにこちらの話しを聞いてくれる。
「丁度手の空いていた私は、気分が落ち着いて身体が温まるハーブティーをお淹れして、手の平から指先まで、マッサージをさせて頂きました。」
教会の地下安置所で触った手は、あの時とはまるで別人のように冷たくて固かった。
「少し具合が良くなられたようで、お礼をと言って下さいました。でも、奥様には爪のお手入れは必要ないと言われましたので、ではいつかお亡くなりになった時には、お葬儀の時に爪にお花を飾らせて下さいと申し上げました。お忘れになって下さって良いというつもりでした。」
男性がふっと微笑んだような気がした。
「なるほど、大叔母らしい。あの人は律儀な人でね。その時の君にきちんと恩返しをするつもりだったんだろうね。・・・ありがとう、話してくれて。」
男性はそう言うと、今度こそ背中を向けて扉に向かった。
「こちらこそ、ありがとうございました。」
ティーナが明るく男性を見送りについて行って、その場に立ち上がったリーハは、扉を潜って出て行く男性に深々と頭を下げた。
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