6話 美久子の限られた選択

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6話 美久子の限られた選択

 深夜0時のメール。  美久子も認めざるを得ない”美少女”アドバイザー・FUKIからの3回目のメール。  相変わらず軽い文面で、美久子を”なお一層”苛立たせるために送っているとしか思えないメール。  しかし、たった1点だけ今宵のFUKIには前2回とは違う点があった。 「誠に申し訳ございませんでした」  動画の再生が始まるやいなや、FUKIは美久子へ向かってお詫びの言葉とともに頭を下げたのだ。  しかし、その華奢な肉体に不釣り合いなバーンと突き出たような乳をムニュップルンと揺らすような動きは、美久子をやはり苛立たせた。  FUKIが開口一番に美久子に謝った理由。  それは彼女が当初、美久子に予定(予告)していた3回目のメール配信予定日より、2日も遅れてしまったことである。  予定はあくまで予定であり、予定通りいかないことだって社会においてあるのは想定内だ。しかし、FUKIは美久子の専用アドバイザーとして、美久子の不安な思いを増大させてしまったことを意外にもちゃんと詫びたのだ。    が、謝罪が終わるとFUKIはご自慢のアイドルスマイルに戻り、その大きな瞳をキラキラさせながら、美久子へと身を乗り出した。 「……で、安原美久子様、どうでしたか? 私のアドバイスに従って、安原美久子様の周りにいるクラスメイトたちに目を光らせた結果、何か『恋愛』がらみで目だった動きをする方がいらっしゃったでしょうか?」 「…………分からない」  この”分からない”という五文字の回答に、美久子がこの数日間で思ったこと&目にしたこと全てが凝縮されていた。  羨ましいほどかっこいい読モの彼氏・KEN君とあっけなく分かれた大國克子。  ついに公認のカップルとなり、交尾こそまだでもあるも、学校内においても発情している南城直人&響芽美。  そして、相手もいないのに何やら発情しているらしく、いつにもまして奇怪な存在に思える二階堂凜々花。 「あ~、そうですよね。やっぱり短い期間じゃ分かりませんよね。私どもも安原美久子様の”運命の分岐点”に差し掛かる直前ともいえる今という時ギリギリになって、こうしてご連絡させていただいているんですから。でも、それは安原美久子様だけに限ったことじゃないわけですし……」 「?」  なんだろう?  何かがひっかかる。  この女の甘ったるい声でのもったいぶった言い方にだけにだけじゃない。  ”安原美久子様に限ったことじゃない”という言葉にだ。  FUKIが今までに担当したクライアントたちのことを指しているのか?  それともFUKIは、今現在、”同時進行”で美久子以外の者にも運命の分岐点ならびに途中にある数点のターニングポイントについてのヒントを知らせているのか?  FUKIが他にも担当している”運命の分岐点”が美久子とは別案件なら、それほど問題ではない。  もし、いずれ美久子と交わり合うであろう同時案件だとしたら……! 「安原美久子様、2日間もメールが送れてしまったお詫びといたしまして、上の人達には内緒で数点サービスしてお伝えいたします。まず、先ほど私は”ギリギリになってご連絡”と申し上げましたが、それは何も、あと数分後に空から隕石が落ちてきて安原美久子様を直撃するといったことではありません。原美久子様のこれからの長い人生というスパンで見たうえの期間です。ご安心くださいませ。そして、次に……その”ギリギリ”というのはただいまより1週間未満といったところでございます」 「!?!」  1週間未満!  今から1週間の間に、美久子は運命の分岐点に差し掛かる。そこからの結末は二通り。しかし、FUKIが一番最初のメールで言っていた通り、生と死の二通りではない。  命ある限り続く生き地獄へと誘われるか、誘われないかだ。  困惑と恐怖、そしてもどかしさという感情に、分かりやすいほどに覆われていく美久子の顔を見たFUKIが続ける。 「安原美久子様をほんの少しでも安心させたいので申し上げますが、安原美久子様はいわゆる犯罪の被害に遭うというわけではありません。命ある限り続き生き地獄へと誘うかもしれないその人物は、安原美久子様に直接、何かをしようとするわけではないのです」    今のFUKIの言葉に、本当にほんの少しの少しだけ美久子の心は安堵に包まれた。例えるなら、嫌な音を立てている心臓が柔らかく温かいミルクのような膜で1枚覆われただけのような感じではあったが…… 「…………誰かに危害を加えられるわけではないって? ならどうして、私はその人物に命ある限り続く生き地獄へと誘われるかもしれないと?」  美久子はFUKIに問うていた。  悔しいことだが、これから自分に起こること全てを知っているにもかかわらず、手の内を全て見せてくれない意地悪なこの女の前で涙目になってしまっていた。 「申し訳ございません。私が安原美久子様にお教えできるのはここまでだけです。今夜まではそのあまり”大きくない目”を光らせて、周りのクラスメイトたちを見ていたとは思いますが……何より物理的な接触を避けるのは一番の得策です。学校を休むなりなんなりして……私がアドバイスできるのはこれだけです」  ついに美久子の中で何かがプツンとキレた。 「……もったいぶりやがって! 何も教えられないなら、最初からキモいメールなんて送ってくるなっての! 人の心を掻きまわすだけ掻きまわしやがって!!!」  美久子はついに泣いてしまっていた。  階下でとうに寝静まっているであろう両親が目を覚ますのではないかと思うほどの声で泣き喚いてしまっていた。  取り乱し始めた美久子に、さすがのFUKIも慌てたらしい。  ナチュラルな感じとなるようにマスカラを重ね付けしているであろう”大きな瞳”をパチクリとさせていた。  その仕草が余計に腹立たしかった。 「消えろ! 消えろっての!!!」  こいつからの最初のメールに気づいてしまったこと自体が、負けであったのかもしれない。  さらに激しく泣き喚いた美久子は、ノートパソコンの電源ボタンを乱暴に連打し、強制終了させようとした。  FUKIを自分の視界から消そうとした。  しかし、なぜか消えない。 「……安原美久子様。最初に申し上げました通り、私と安原美久子様は短い付き合いとなりますので、心を開いていただけるとは思いません。それに私自身、同性に嫌われやすいタイプなのは自覚していますし。次のメールで……4回目のメールで本当に最後となります。”運命の分岐点”を過ぎた後のそのメールで――」  FUKIが全てを言い終わらないうちに、動画が終了した。  定められていた動画の再生時間である4分9秒が来たのだ。  FUKIが消えてから数秒後、通常の状態に戻ったノートパソコンの電源が今ごろになって、プチンと落ちた。  後に残されたのは沈黙だけであった。  物理的な接触を避ける。  FUKIの言う通り、学校に行かなければ万事解決だ。  ズル休みをするしかないと思った美久子であったが、美久子の両親にそれが通じるわけがなかった。  頭の固い両親にとっては、学校を休むということ=悪であるのだ。  たとえ、美久子がTVで放映されるレベルの酷い虐めにあっていたとしても、”頑張れ! 頑張って学校へ行け!”と奴らは言うであろう。  逃げることが一番の得策な場合がある。  逃げなきゃ押し潰されてしまうことだってある。  それが分からない両親なのだ。  自分たちのルールを最優先し、子供の逃げ場を親でありながら潰してしまう両親の元で美久子は生まれ育ったのだ。    寝不足で腫れた目のまま、美久子は重い足取りで学校へと向かった。  いや、向かうしかなかった。  登校したふりをして、どこかで時間を潰したとしても学校に行っていなかったことは絶対にすぐばれる。学校に行くしかないのだ。  美久子の肩が後ろからポンと叩かれた。  肩を叩いたのは、やはり…… 「おはよう」  克子であった。  いつもと何ら変わらぬ克子。手入れの行き届いた真っ白な肌に、チークを映えさせている克子。 「……はよ」  克子に一応、挨拶を返した美久子であったが、心の中では嵐が吹き荒れる一歩手前まで来ていた。  それは自己プロデュースに見事成功している克子の可愛さになのか、それとも自分が今にも不安と恐怖に押しつぶされそうな状態なのに、いつもと変わらぬ能天気な克子の態度にか。  克子は間違いなく、最有力容疑者候補だ。  その容疑者から、美久子自身は距離を置こうとしているにもかかわらず、克子は距離を詰めてくる。  昨夜(正確に言うと今日の午前0時のメールであるも)までは、何もなかった。  でも、FUKIが言った通り、この一週間の間に間違いないなく”何か”がある! 何かが起こる!  克子に地獄へといざなわれてたまるものか!  人生をぶち壊されてたまるものか! 「……克子」 「ん? 何?」 「ごめん。私、しばらく克子と距離を置きたい」  リップグロスで艶やかに光っていた克子の唇が強張った。  彼女の顔を見た美久子の胸が少しだけズキンと痛んだが、でもその反面、どこか気持ち良かった。  こいつのこんな顔を見たかった、傷つけてやりたかった、そしてついに傷つけてやったという歪んだ感情に覆い尽くされていく。 「……え? え? なんで? 私、美久子に何かした?」  克子の強張った唇からの声。明らかに狼狽しているその声。  ”あんたは何もしてないよ、今のところはまだね”と思ったが、美久子の口から紡ぎ出されたのは別の言葉であった。 「……自分の胸に聞いてみたら?」  克子は完全に傷ついていた。でも、何も思い当たることのないといった顔をしていた。  美久子は黙ったまま、克子に踵を返した。  克子と距離を置く。学校を休めないなら、これしかできない。  美久子が克子との間に生じさせた亀裂は、その日の午前中のうちにクラスメイト女子たちの大半も感じ取ったらしい。  女の子は敏感だ。  さらにそのうえ、皆、美久子ではなく、克子の周りに集まっている。皆、克子の方に流れてしまっている。  美久子自身、克子のスクールカーストの自分より高いのは理解していた。でも、露骨過ぎる。クラスメイト女子の何人かは、美久子を見てヒソヒソしていた。  「気分屋」「訳わかんない」といったフレーズが美久子の耳に突き刺さってくる。  先に何ら落ち度のない克子を傷つけてしまったのは美久子自身であるも、美久子も傷つき始めていた。     美久子は認識する。  今朝までの自分の教室内におけるポジションは、克子の存在あってこそだったのだと!  このクラスで一番の嫌われ者の女子は、ウザヘルメットこと二階堂凜々花であることは間違いない。  しかし、もしかしたら、一週間のちに自分も二階堂凜々花に並ぶポジションへと位置づけられてしまうのかもしれない。  と、グルグル&モヤモヤ考え始めていた美久子であったが、背後からの声によって思考が中断された。 「南城くん……ちょっといいでしょうか?」  その声の主は、美久子に声をかけたわけではなかった。さらに言うならその声の主は、二階堂凜々花であった。  なんと、滅多に男子と話すことなどないであろう二階堂凜々花がよりにもよってクラス一デカい図体の南城直人に声をかけたのだ。  その声自体が、凜々花自身が思っているよりも大きかったため、クラス中の注目を集めてしまっていた。  そのことに凜々花は気づいていないようであった。空気も読めないし、自分が空気を一瞬にして変えてしまったことにも気づかない。 「……何?」  怪訝な顔の直人が、椅子に腰かけたまま、凜々花を見上げた。  その際、直人は凜々花のがさついた膝小僧に目をチラリとやったようにも思えた。自分の彼女の響芽美の膝小僧はいつもツルツルなのに”こいつ本当に同じ女か?”と比較していたのかもしれなかった。 「先に南城くんに率直に言わせていただきますけど………」  コホンと咳払いをする凜々花。  聞き耳を立てているクラスメイト一同は、これから凜々花が何を言おうとしているのか見当がついていた。 「長年の恋が実ってうれしいことは、とってもよく分かります。でも、少しあなたたちは周りが見えなくなっているんじゃないかと私は思います。ここはあくまで学校なのであり、もう高校生でもあるのですから、節度を持ってください。キツイい言い方になるかと思いますが、正直あなたたち2人はみっともないです」  教室の空気が凍りついた。  直人の眉毛がピクと吊り上がった。  自分と芽美の恋愛に何の関係もない二階堂凜々花からの言葉。  その中でも特に直人の眉毛を吊り上げさせたのは”あなたたち2人はみっともない”というフレーズであろう。  直人と凜々花を震源として凍りついた空気の中にいる者たちは、ゴクリと唾を飲み込み、彼らを見るしかなかった。  南城直人は外見ほどヤンキーではなく、授業だって真面目に出ている。  だが、運動部のエース級である男子生徒ですら少しビビるような体格、顔面、声量の南城直人にあんなことを言えるなんて、怖いもの知らずにも程がある。というか、お前こそやっぱり周りが見えていないだろ、と美久子含め誰もが思い始めていた。  しかし―― 「あーはいはい。それはすいませんでしたね」  不貞腐れた表情の直人。  けれども、彼は(ある意味アンタッチャブルな女である)二階堂凜々花に対して、最善とも言えるであろう大人の対応(?)を取っていた。 「……本当に分かってます? ただ私に言われたから、そう返事しているだけじゃありませんか?」  よせばいいのに、凜々花はさらに突っかかっていく。  直人の眉毛だけでなく、頬もピクリとした。が、キレるまではまだまだといったところであるだろう。 「後で私から”響さんにも”ちゃんと言いますけど……」   ”本当に本当に”よせばいいのに、直人の触れてはいけない部分に――絶対に傷つけられてしまうことなど彼が許せるはずがない彼女の響芽美の名が発せられた。 「おい!!!」  直人が椅子よりガタン! と立ち上がった。  より一層、静まり返りつめたくなった空気にピシッと生じた亀裂。  その亀裂の中より溢れ出てくるのは直人のマグマのごとき怒りであるのは一目瞭然であった。  直人が凜々花にズイッと一歩歩み寄った。  さすがの凜々花も、自分へと発せられている直人の怒りを”やっと”感じ取れたらしく、先ほどまでの威勢はどこへやら、怯えた表情で後ずさった。 「…………な、何ですか?」 「あ”? ”何ですか?”じゃねーよ。お前いったい、何なんだよ? 芽美に何言うつもりだよ? あいつに何か言いやがったら、本当にただじゃおかねーぞ」  直人も自分一人なら、女子の間での通称・ウザヘルメットの余計なお小言について、心中では相当にムカつきながらも受け流していたであろう。  でも、こいつは芽美にまで言葉によって”危害”を加えようとしている……! 「ひぃ……っ!」  締め上げられた鳥のごとき声を、甲高くあげた凜々花は後ずさる。  でも、凜々花は手入れが全くされていないその唇をこのような事態においても、キッと結んで直人を見上げ―― 「私はただ……級長として、南城くんと響さんのことを考えて……」 「はあぁ?! それが余計なお世話だって言ってンだよ! そもそも俺と芽美がどんな付き合いしようが、お前に何の関係があンだよ!?」  直人もさすがに凜々花をその頑強な拳でブン殴りはしないだろう。  しかし、怒りのボルテージを急上昇させている直人を見て、”おい、そろそろ止めに入ったほうがいいんじゃ”という目配せが、見物人である男子生徒たちを中心に飛び交い始めていた。  だが―― 「……ねえ? 何かあったの? いったい、直人と私がどうしたの?」  当の響芽美が教室に戻ってきたのだ。  彼女は、妙な空気に変わってしまっている教室内、直人の怒声、その怒声の直撃先にいる凜々花を見て、何やらただならぬ事態が起こっていると一瞬にして察したらしい。  手入れが行き届いるうえ、淡いピンク色に塗られてもいる唇を少し震わせた芽美は、直人へと駆け寄った。 「直人、どうしたのよ? 二階堂さんと何が……」  芽美が直人を見上げ問う。  腕の中に抱きしめられる距離にいる、この世の誰よりも愛しい女が自分をまっすぐに見上げていることに、直人は頬を赤らめた。 「……ンでもねえよ。まだ(授業までに)時間あるし、他所で時間潰そうぜ」  直人は芽美の肩に腕を回した。  ギッと鋭い視線を凜々花に浴びせつつ――  ”芽美をお前なんかに傷つけさせねえよ。いや、お前だけじゃない。他の誰にもな”と彼の視線は語っていた。  直人に肩を抱かれた芽美は、血の気が引いてしまった顔で立ち尽くすしかなくなっている凜々花を気にしつつも、直人とともに教室の外へと出ていった。    一触即発の事態はとりあえずは去った。  その震源地に取り残されてしまった凜々花は、今頃になってやっと、自分がクラスメイトたちより、(あまりに空気が読めないことによる)憐みと(気持ちは分からんでもないが他人の恋愛事情に口を出すという)軽蔑の視線を受けていることに気づいたらしい。  ボッと音でも出したように、凜々花の頬は瞬時に赤へと色を変えた。  その赤い頬で俯いたまま、自席へと戻ろうとしている凜々花は「私はただ2人のいちゃつきを見せられている他の人たちのことも思って……」「なんで誰も私のことを分かってくれないんですか」とこの後に及んでもなおブツブツと呟いていた。  凜々花のその様子を見た美久子は、鏡を見なくとも自分の唇の端が妙な形で歪んでいることが分かっていた。  ウザヘルメットこと二階堂凜々花。  空気の読めない女。  皆に嫌われる原因を自ら作っている女。  しかも、そのことに気づけない痛いにも程がある女。  高校生にもなってこの有様じゃ、これから先、よっぽど痛い目に遭わない限りは、あいつは強制不可能であるだろう。  ウザさだけでなく、憐れさまでをも美久子は凜々花に抱かずにはいられなかった。  美久子から見える凜々花の横顔は、まだ赤く染まったままだ。 ――え……? あいつ、もしかして……!  凜々花がいわゆる「少女漫画脳」であることに、美久子は気づいていた。  「少女漫画脳」である二階堂凜々花は、先ほどの南城直人の剣幕と怒声に気圧されつつも、彼の姿と”台詞”に――愛する女を傷つけさせまいとしていたシチュエーションに萌えてしまっているのでは、と。  自分にもいつか、ああいう風に守ってくれる優しい王子様(南城直人は王子様にしては容貌も荒々しすぎるし、声もドスが効いているため、どっちかっていうと姫を守る身分違いの騎士っぽい)が現れるのでは、と。 ――気持ち悪……  勝手に二階堂凜々花の脳内を想像し、勝手に気持ち悪くなってしまった美久子は、気持ちの悪さの諸悪の根源から目を逸らした。  また日は変わった。  今のところ、美久子は無事であった。  克子との物理的接触を避けているがゆえに。  だが、たまに克子と目が合ってしまう。  そんな時の美久子は、彼女より先にサッと目を逸らす。  目を逸らしているはずなのに、克子の傷ついた顔が見えてしまう。  美久子の胸も痛まないでもなかったが、自分の人生を守るために今はこうするしかない。  克子のことを心の底であれほど嫌っていたはずなのに、罵詈雑言を吐いて暴れまくっていたはずなのに、美久子はなぜか克子が隣にいない寂しく感じている自分に気づいた。  でも、人生最大のターニングポイントを無事に乗り越えられたとして、克子と元通りに戻れるであろうか? きっと戻れやしないであろう。  運よく克子と仲直り(?)できたとしても、周りの取り巻きたちが許してくれないかもしれない。  美久子は教室内で”間違いなく”孤立しつつある自分を実感していた。  このままでは、本当に”第二の二階堂凜々花”になってしまうかもしれない。  もうすぐ、授業開始のチャイムが鳴る。  美久子はここ数日、重たくしか感じられない足を引きずり、教室を出た。  ペンケースとノート、そして家庭科の教科書と裁縫セットを手に。    次は選択授業である「家庭科」だ。  4階の教室から、1階の被服室へと向かう。  今までは同じ「家庭科」を選択している克子と一緒に移動していたが、今は別々に動かざるを得ない。  美久子たちの教室から1階の被服室へと向かうには、非常口からの螺旋階段が一番近いため、皆、そこを通っている。  この螺旋階段であるが、伸び盛りである高校生の校舎に設置されたにしては、手すり部分がやや低いものであった。高所恐怖症の気がない者でも恐怖を感じずにはいられない代物だ。  しかし、高校生にもなれば明らかに危険な場所で危ない遊びをする者など滅多にいないため、今までこれといった事故もなく生徒たちに使用され続けていた。  螺旋階段を下りる美久子の隣に、二階堂凜々花が――顔と体型に似合わず女らしい「家庭科」を選択していた二階堂凜々花がやってきた。 「ちょっと、よろしいでしょうか? 安原さん」 「……何?」  あんまり話したくはなかったが、無視するわけにはいかないと、美久子は”声だけで”凜々花に答える。 「安原さん……大國さんと喧嘩でもしたんですか? いつも一緒に行動していたのに、今は別々じゃないですか? 何が原因なんですか?」  二階堂凜々花のこのデリカシーの無さは、ある意味、貴重なものなのかもしれない。  昨日の南城直人との一件を自ら勃発させたのに、全く何も学んでいないという”学習能力の無さ”もそれに上塗りされている。 「別に何でもないって……」 「そうですか……そうは見えないんですけど。まあ、安原さんがそう言うなら無理には聞こうとは思いません」  なら、最初から聞くなよな、と美久子のこめかみに、まるで漫画で言う”怒りマーク”が1つピクッと浮かび上がった。 「でも、安原さんと大國さんって、雰囲気とか性格とは全く正反対って感じで……私は正直、あなたたち2人の気が合っていることが不思議だったんですよ」  美久子のこめかみに浮かび上がった怒りマークはもう1つ増えた。 ――何? それって遠回しに私のことブスだって、ディスってんのか! 可愛い克子とブスの私、イケてる克子とイケてない私って、言いたいのか? あんた、自分こそクラス一……いや、学年でもトップクラスのブスのくせに! 膝小僧がいつもガサガサで、鼻の毛穴が黒くなっている女にンなこと言われたくねえよ! あんたと同類みたいに思われたくねえよ!!!  心の中で罵詈雑言を吐きまくった美久子であったも、直接、凜々花を怒鳴りつけはしなかった。  はっきり言おうと思ったら言えたかもしれないが、こいつと関わるとさらにややこしいことになる、という防衛本能が働いたのだ。  そして、美久子は後ろを振り返りたかったが、克子はきっと自分たちの真後ろではなく、もっと後方にいるはずであろうと予測づけた。  今、自分の前方を歩いているのは――今の自分と二階堂凜々花の会話は聞こえたかもしれないが、聞こえなかったふりをして、友人たちの話に相槌を打ちながら歩いている響芽美であった。  芽美大好き&芽美命の南城直人であるも、さすがに選択授業で女子に交じって「家庭科」を選択していなかった。大半の男子と同じく「技術」を選択している彼は今、技術室へと移動しているであろう。  長身の響芽美は、手入れの行き届いた柔らかい髪を秋の風に揺らし、毛穴など見当たらない真っ白なふくらはぎを見せて静かに歩いていた。 ――この人、今週末にあのオラウータン(南城直人)と初交尾する予定なんだよな……  数日前、彼女と南城直人がキス&初セックスの約束の日取りを決めていたのを美久子は覗き見&聞き耳を立てていて知っていた。 ――あのオラウータンが、思春期の男子よろしくガツガツにがっついて、避妊なしで突入して、孕んでしまう展開になったら相当に笑えるかも……  美久子が唇の端を意地悪く歪ませた時であった。 「!!!!!」  螺旋階段が揺れ始めた!?  いや、違う。  校舎全体が、校舎が建っている地面がそのものが揺れ始めたのだ!  地震だ!!!!! 「きゃあああ!!!」 「いやーっ!!!」  螺旋階段における幾つも悲鳴が重なり合った。  もちろん、美久子の口から発されし悲鳴もだ。  少女たちの誰もがバランスを崩した。  高校生には低い手すりが設置されているこの螺旋階段において。  足元に彼女たちの教科書やノート、ペンケースが転がり、裁縫セットの中身がぶちまけられていく。  美久子の隣にいた二階堂凜々花は「ひゃああ!」と悲鳴をあげつつも後ろにズテンと大開脚状態で尻餅をつき、近くの手すりをガッと掴むことができた。  しかし、美久子は――バランスを崩し、足を踏み外したうえに後ろに重心を傾けられなかった美久子は、そのまま前へとつんめのった。  そして、美久子は”自分の前にいた者”の背中に体当たりを食らわせるような形で衝突したのだ!!
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