Episode3 Tribute ~男Side~

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Episode3 Tribute ~男Side~

 西洋のとある国のとある村に、1人の男が住んでいました。    この男は毎日、絶え間なく、同じ村に住む者たちに言い続けていました。 「俺は死ぬ。単に死ぬんじゃない。殺されるんだ。いつ、どこで殺されるのかは分からない。だが、死神にこの首を刈り取られ、殺されるんだ」  男の話を聞いた、村の者たちは笑い、もしくは呆れました。 「なあに、この世に生まれた者はみんな平等に、死神の鎌に首を刈り取られちまうんだよ。あんただけが特別じゃない。それより、わしらは、明日のパンとミルクの方が心配なんだよ」  でも、男は言い続けました。  毎日、毎日、何度も、何度も。  死への恐怖とそれに伴うであろう苦しみを反復していました。  それが定職にもつかず、嫁も娶らない男の祈りのごとき日課であるようでした。  男を心配していた村の者たちも、次第に男を遠巻きにするようになりました。  とうとう男は村の中で孤立してしまいました。  そうこうするうちに、男はまるで死神が自分の枕元に到着することを待ちわびているかのように、日に日に衰弱していきました。  目は落ち窪み、目の下には濃い隈が刻み込まれ、水気を抜き取られた枯れ木のようにやせ細っていったのです。  ただ1人、汗と垢と涙と埃が染み込んだベッドの上で、ひび割れた灰色の天井を見上げた男は思わず呟きました。 「怖い、怖い、怖い。死にたくない。死にたくない。この苦しみと恐怖に満ちた現実を、なんとか俺の”思い通り”にできないものか」  生への希望など、とっくの昔に失っている瞳を男がそっと閉じた時でした。  男の家の扉が、コンコンとノックされました。  自分の家に訪ねてくる者などもう誰もいない、と男は分かっていました。  でも、男の家の扉は、コンコンとノックされたのです。  扉の向こうから、ひょこっと姿を見せたのは狐でした。  それもたいそう美しい狐でした。  蠱惑的な切れ長の瞳は光をたたえ、穢れなど1か所だって見当たらないほどに真っ白で艶やかな毛並みをし、そのうえ、まるで”幾つもの尻尾が束となって”うねっているかのようにフサフサとした見事な尻尾をしていました。  そして、扉の向こうから姿を見せたのは、狐だけではありませんでした。  まるで姉の後ろをついて歩く妹のように、続いて鳥がトコトコと姿を見せました。  しなやかな肢体の鳥の全身は茶褐色の羽毛に覆われ、ところどころに黒い斑点がありました。一見、地味なようにも思えましたが、その羽毛はこのうえなく柔らかそうで、クリクリとした可愛らしい目をしていました。 「お困りのようですね」  狐が喋りました。 「私たちはあなたを救いにやってきたのです」  鳥も喋りました。  狐と鳥の言葉を聞いた男はベッドからむくりと起き上りました。 「本当か? 俺のこの苦しみと恐怖に満ちた現実が、俺の思い通りになるということなのか?」  男からの問いに、狐も鳥も頷きました。  男は、埃にまみれた部屋の中を見回しました。  自分の願いを叶えてくれるというなら、この狐と鳥にそれ相応の貢ぎ物が必要となるであろうと。  ですが、やはり金目の物は全く持ってありませんでした。  それどころか、狐や鳥が喜びそうな食べ物すらありませんでした。 「ここより離れた洞窟に、あなたの”望み続けている”現実へといざなってくださる方がいるのです。私たちと一緒に行きましょう。あなたがいれば、それでいいのです」  狐の言葉に後押しされ、男はベッドから立ち上がりました。  狐、男、鳥の順番で、一列となって彼らは歩きました。  畑にて穀物を鎌で刈り取っていた人々や、川で魚釣りをしている人々に奇異な目で見られましたが、気にしませんでした。  野を越えて、山を越えて、谷を越えて彼らは歩き続けました。  男は、正直、自分のどこにこのような体力が残っていたのか不思議ではありましたが、自分の”望み続けている”現実へといざなってくれるであろう希望の存在へと向かって歩き続けました。  やがて、彼らは洞窟の入り口へと到着しました。  不気味で薄暗い洞窟からは、潮と黴が入り混じったような匂いが漂ってきています。  狐と鳥は全く怖気づくこともなく、スタスタと洞窟の中へと入っていったので、男は慌てて、狐と鳥の後を追いました。  不思議なことに、湿った黴臭い洞窟の奥からは、場違いにもほどがある楽器の音と歌声が聞こえてきました。  誰かが洞窟の奥で弾き語りをしているようでした。  細長く曲がりくねり難解な道のりでしたが、やっとのことで狐、鳥、男の順でやや開けた場所へと辿りつくことができました。  途端に、ピタリと弾き語りは止みました。 「!!!」  男は我が目を疑いました。  真っ暗な洞窟の中であるというのに、何やら甘い恋歌らしき歌を弾き語っていた者の周りは、ほんのりと青白い光に照らされていたのですから。  それだけではありません。  その弾き語り主は、まぎれもない男自身であったのですから。 「ど、どういうことだ? これは?!」 「見ての通りでございますわ」  狼狽しきっている男に、狐が涼やかな声で答えました。  男と”洞窟の中の男”の瞳が交わりあいます。  男と同じく、目が落ち窪み、目の下に濃い隈が刻まれた”洞窟の中の男”は、水気を抜き取られた枯れ木のようにやせ細っているに違いない、その身を真っ黒なローブで包んでいました。  男の村にも時々立ち寄る旅芸人たちが手にしていたリュートというものに、非常によく似ている楽器を”洞窟の中の男”は手にしていました。  歌を歌い、生を楽しむことを、とうの昔に置き去りにしていたはずの男であるのに、もう1人の自分としか思えない”洞窟の中の男”は楽器を奏で、歌を――しかも恋歌を歌っていたのです。  男は考えました。  不思議な狐と鳥によって、ここに自分が連れてこられた理由を。  自分は死におびえていた。  いつ、どこで、恐ろしい死神にこの首を刈り取られ殺されるのではないかと。  だが、けれども、村の者が言うように、この世に生まれた者は皆、平等に、死神の鎌にいずれはその首を刈り取られてしまうのだ。  そして、生と死は表裏一体であると。  死の恐怖に囚われている自分は、今こうして、ここにいる、だが、この洞窟の奥では恋歌を口ずさみ、生への渇望を、いや希望の光をたたえている自分もいたのだと。  限りある人生というこの時間を、どう生きるべきか、狐と鳥は自分に気づかせようとして、ここに連れてきてくれたのでは……  男は”洞窟の中の男”へと、もう1人の自分としか思えない存在へと、手をスッと差し伸べていました。  長い間、一人にしていてごめん。さあ、帰ろう。お前となら、俺はきっと希望も見つけることができる、と……  ”洞窟の中の男”も、男へ向かってスッと手を伸ばしました。  けれども、全く同じ風貌の2人の男の手が今にも重なりあわんとした、その時でした。 「え?」  ”洞窟の中の男”の顔が、グニャリと歪みました。  歪んだかと思うと、男の顔ではなく単なる骸骨となりました。  ”洞窟の中の男”の右手も、グニャリと歪みました。  歪んだかと思うと、鎌へとその形状を変えました。  そう、鋭く光る鎌へと。  死神の鎌へと。  男がヒッと叫ぶ間もなく、男の首は鎌によって、ズバッと刈り取られました。  男の首はポーンと軽快に飛んでいきました。  刈り取られた男の首の断面図から、ブシュ―と勢いよく吹きあがった血は狭い洞窟の天井を濡らしました。  男は死にました。  生への希望の光を掴もうと手の伸ばしたはずの男は死にました。  けれども、これは男の”思い通り”になったということであるのです。  男は長年にわたり、毎日、毎日、何度も、何度も、祈りのごとく、死への恐怖とそれに伴う苦しみを反復していたのですから。    これはまさに引き寄せの法則でした。  男は死を引き寄せたのです。  潜在意識へと絶え間なく刷り込んでいた宣言(アファメーション)によって、自ら思い描いていた通りの死を。  この洞窟に男を連れてきた狐と鳥も、嘘をついていたわけではないのです。  全て、男の”思い通り”となったのですから。  そして、全てを見ていた狐と鳥は、なんと顔色一つ変えませんでした。  逃げようともしませんでした。  血が滴り落ちる鎌をギロリと光らせた死神は、次は狐と鳥に一歩を踏み出したのです。
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