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第三話 夢の妖精亭
すっかり夜になって、歓楽街が賑わう時間帯。
建ち並ぶ店の中に、奇妙なシンボルマークを掲げる酒場があった。
扉の真上に設置された丸い看板には、四枚の羽を生やした人間のようなシルエットが描かれている。知らぬ者が見れば、モンスターか何かの絵と誤解するかもしれないが、一度でも店を訪れた者ならば、正しく理解できるだろう。
店の名前は『夢の妖精亭』。妖精を模したコスチュームで若い娘たちが給仕するのを、アピールポイントにしている酒場だった。
フリルの目立つ短いスカートに、胸元を強調した肩出しブラウス。そして背中には、作り物の羽を四枚。これが、彼女たちの制服になっていた。
天井に備え付けられた魔法灯――人々の潜在的な魔力を利用した照明器具――は、淡いピンクの光を発しており、店内全体に、どことなく淫靡なムードを醸し出している。とはいえ『夢の妖精亭』は、いかがわしいサービスを提供する店でもなければ、娼婦が働いているような店でもない。せいぜい娘たちが隣に座って酌をする程度、という健全な酒場だった。
そう、健全な店のはずなのだが……。
「ガハハハ……! 今夜も朝まで飲み明かすぞ、パトリック!」
「はい、オクタヴィアン様。お付き合い致します」
他の客の迷惑も顧みず、ひときわ大きな声で騒ぐ二人組の客。
どちらも二十代前半の金髪男性であり、オクタヴィアンと呼ばれた方はガッシリとした体格で、顔の輪郭も角ばった印象。パトリックの方は、すらりとスタイルが良く、目鼻立ちも整っていた。
二人とも、それぞれ両横に給仕の娘を侍らせており、特にオクタヴィアンに至っては、両腕を娘それぞれの肩に回している。抱き寄せるようにしながら、ベタベタと肌を撫で回すので、娘たちは顔を引きつらせていた。客商売だから愛想笑いを浮かべなければならないが、生理的嫌悪感を隠しきれない、という表情だ。
「また、あの二人! うちをお触りパブか何かと勘違いして!」
客が帰ったテーブルを片付けて、奥のカウンターに戻ってきた一人の娘が、オクタヴィアンたちの方を見ながら、露骨に表情を歪めた。
「ダメですよ、レルマさん。そんな顔をしては」
一応、客からは見えない位置のはずだが、店の主人が注意をする。
薄黄色の羽を背中に貼り付けたレルマは、その妖精スタイルが示すように、雇われの給仕に過ぎない。主人に文句を言える立場ではないが、それでも不満が口に出てしまう。
「だって、マスター! あの二人は……」
「オクタヴィアン様もパトリック様も、うちのお得意様ですからね」
と、釘を刺す主人。
言われずとも、レルマにもわかっていた。
二人は単なる常連客ではない。オクタヴィアンは男爵家の跡取り息子であり、パトリックは彼の家に仕える騎士だった。
ここサウザで『騎士』といえば、普通は都市警備騎士のことを指すのだが、しょせん都市警備騎士は、街の見回りなどを行う警吏に過ぎない。むしろ、何代にも渡って男爵貴族に仕えてきた家系のパトリックこそが、昔ながらの意味における『騎士』なのだろう。
だが見ての通り、その振る舞いは、騎士とは程遠いものだった。一応、主であるオクタヴィアンに従っているだけ、と考えれば仕方ないのかもしれないが……。
酷いのは、オクタヴィアンの方だった。しかし彼の父親である男爵は、サウザの都市行政府に勤める官僚であり、いわば二重の意味で偉い人ということになる。だからオクタヴィアンが横暴な言動を見せても、誰も注意できないのだった。
「おい、前にいた看板娘はどうした? 桃色の羽を背負った娘がいただろう? あれが俺のお気に入りなのだぞ。あの娘を呼んでこい!」
オクタヴィアンの声は大きく、主人やレルマのところにまで届いていた。彼の言う『あの娘』が誰なのか、すぐさま二人は理解して、沈痛の色を顔に浮かべる。
オクタヴィアンのテーブルでは、
「申し訳ありません。ブリジットでしたら、もう『夢の妖精亭』にはおりません」
「何だ、辞めてしまったのか?」
「いいえ。彼女は先日、亡くなってしまい……」
「死んだ、だと? フン、庶民は脆弱だな。コロッと逝っちまうとは」
という会話が交わされているが……。
「マスター! あんなこと言わせておいて、いいんですか?」
「黙りなさい、レルマさん。死人に鞭打つようなこと言われたら、主人の私だって悔しいですよ。でも黙って耐えるのが、客商売というものです」
「『死人に鞭打つ』どころじゃないでしょう? ブリジットさんは、あいつらに殺されたんですから!」
再び、雇い主に食ってかかるレルマ。
ブリジットは店一番の器量良しと評判だったが、ある日の帰り道、二人組の男に乱暴され、純潔を奪われてしまう。ちょうど幼馴染との結婚を間近に控えたタイミングであり、絶望したブリジットは、首を吊って、自ら命を絶ってしまった。
その『二人組の男』はオクタヴィアンたちに違いない、と皆は噂したが……。
「おやめなさい、レルマさん。はっきりした証拠もないのに、迂闊なことを言うものではありません」
「でも……」
なおも怒りが収まらないレルマの肩を、誰かがポンと叩いた。
「マスターの言う通りよ、レルマ」
振り返ると、そこに立っていたのは、水色の羽をした妖精姿の娘。レルマの同僚の一人だった。
「ああ、カレラさん! カレラさんまで、そのような態度を……」
「いくら二人が怪しくても、逮捕されないということは、証拠がないのでしょうね」
あるいは、行政府や男爵家の方から圧力がかかって、証拠は揉み消されたのか。
カレラの口ぶりは、そう続けたいようにも聞こえた。気づいたレルマは、ようやく口を閉ざす。
そんなレルマの悲痛な表情を見て。
一言だけ、カレラは付け加えるのだった。
「大丈夫よ、レルマ。たとえ都市警備騎士団が何も出来なくても、人の悪事を神様が見逃すはずありません。悪人には絶対、天罰が落ちるに決まっています」
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