そっと、口吻けを。 2

1/1
前へ
/16ページ
次へ

そっと、口吻けを。 2

* 今日は暖かい。冬が終わりを告げて、春へと移行していく、初春。 桜は寒かった冬を乗り切り、ここ最近の暖かさで蕾(つぼみ)を大きくし、一昨日東京で開花宣言が行われた。 道中の桜も蕾から花へと変身している、今日この頃。 今度新しいアルバムを発売することが決まったので、オレは現在レコーディングの真っ最中。 毎日、毎日、スタジオにこもって、ギター弾いて確認してを繰り返す。 楽器隊がレコーディングを終えて、それからやっとヴォーカルの翔が歌を入れられるので、自然とスケジュールは過密になっていく。 しかもレコーディング以外の仕事も入れられて、取材も受けたりしているので、無駄にてんてこ舞いになっていた。 幸いなのは珀英が自分の仕事を調整してくれて、なるべくオレの世話を焼きに家に来てくれること。 オレはレコーディングに入ると、本当にギターだけになってしまうから、人間としての営みがダメになる。 本能的な、食事、睡眠、排泄が、辛うじてできるくらいにまで落ちる。誰かと約束をしていても忘れる。メールが来てても無視、電話が鳴っても無視。 何故かメールだの電話だのっていうものがあることを忘れてしまう。 ずっと音が鳴っててうるさいな、で終わらせてしまう。 本当に人間としてどうかと思う。 そんな状態になってしまうので、珀英がうちに来てご飯を作り置きしたり、シャワー浴びながら寝落ちしたりしているオレを救出したり、電話やメールのチェックをして差し障りのない返信をしてくれたり、とにかくオレの世話を焼きに来てくれる。 珀英と付き合う前はまだもうちょっとマシだったのに、珀英がオレの世話を焼くから、ついつい甘えてしまって・・・。 だから、悪いのはオレじゃなくて珀英だと思う。 ご飯食べさせてくれるし、体も髪も洗ってくれるし、着替えさせてくれるし、添い寝してくれるし、スタジオまで送ってくれるし迎えに来てくれるし・・・。 とにかく全部全部やってくれる、珀英が悪い。 そんな感じでレコーディング漬けの日々を過ごし、もう少しで終わるという、初春の昼下がり。 ピンポーン。 珀英に起こされて、それでも半分寝ながらご飯を食べさせてもらっている時に、玄関のチャイムが鳴らされた。 「誰ですかね?」 めったに客なんかこないので、珀英が首を傾(かし)げながら玄関へと向かう。 オレはこくりこくりと船を漕(こ)ぎながら、テーブルの上にあるご飯をなんとか食べようと、箸を持っては落としてを繰り返す。 しばらくすると、玄関のほうからなんか揉(も)めてるような声が聞こえてくる。 押し売りでも来たのか?
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!

65人が本棚に入れています
本棚に追加