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そっと、口吻けを。 7
珀英はオレの顔を覗き込んで、ふわっと微笑む。
「明日、起きれないだろうからモーニングコールしますね」
「あ・・・ああ・・・」
「お休みなさい」
珀英はそう言うと。ポンと、もう一度オレの背中を押し出した。
そのお別れの合図が、無性に哀しかった。
オレは振り返って、珀英の首筋に抱きついた。
「え・・・緋音さ・・・んっ!」
「黙れ」
オレはもう一度だけ、触れるだけのキスをした。
一瞬の口吻けをして、すぐに体を離す。
「じゃあ、明日。オレ起きれないからな!ちゃんと電話しろよ!」
「あ・・・はい・・・お休みなさい」
「お休み」
急に恥ずかしくなったオレは、逃げるようにマンションの入り口へ走った。
自動ドアの前に立った瞬間、珀英を振り返る。
珀英は満面の笑みで、大きく手を振ってきた。
オレは軽く手を上げて応えると、そそくさと中に入ってエントランスを通り抜けた。
エレベーターのボタンを押す。
エレベーターが降りてくるのを待ちながら、微かに残る珀英の温もりを、匂いを、抱きしめた。
*
そっと・・・玄関の鍵を開けて、中に入って。鍵閉めてチェーンかけて、靴を脱いで何故かそろーっと歩いてリビングへ入る。
「お帰りなさい」
美波がリビングのソファに座って、用意しておいたピンクのパジャマを着て、濡れた髪をタオルで拭きながら言った。
「あ・・・ああ、ただいま」
「・・・コンビニ行ったのに、何も買って来なかったの?」
「あ?!うん・・・その・・・」
美波はオレの表情を伺うようにじっと見つめてくる。そして、テーブルを指差した。
「パパ、財布忘れてるし」
「ああ!そう・・・忘れたの思い出して、帰ってきたんだ」
キッチンのテーブルに財布が置きっぱなしになっている。
オレは冷蔵庫の中から麦茶を出すと、コップに注いだ。からからに乾いた喉に、麦茶を一気に流し込む。
麦茶の冷たさが、さっきまでの珀英の熱を奪って流していく。
オレは父親の顔になろうと大きく深呼吸をした。
ガタ・・・っ!
大きな音がしたので振り向くと、美波がオレのすぐ横の椅子に登って立ち上がり、オレを見上げている。
大きな丸い瞳がまっすぐにオレを見つめていて。何もかもを見透(みす)かしているような澄んだ瞳を直視できなかった。
「美波・・・危ないから下りなさい」
貼り付けたような作り笑いになっている。わかっていて美波から見えないように、抱きかかえようと手を伸ばした。
美波はオレの手を軽く振り払うと、胸の部分を掴んで服を引っ張る。
顔をギリギリまで近づけて、噛み付くように声を上げる。こういうところオレにそっくり。
「あの人なに?!」
「え?」
「さっき・・・キス・・・してた。男同士なのに、何で?!友達って言ってたのに何で?!」
「見てた・・・のか・・・」
「ねえ、何で?!」
美波はオレの服を掴んだまま、ぶんぶんと揺さぶってくる。美波が落ちないように、オレは美波の背中を支える。
さっきのキスを見られていたなんて・・・たぶん最後のオレからしたキスだ。大失態だ。
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