たぶん、こっち

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 記憶力は良い方だ。  それでも思い出すのに苦労するほど、俺の中に、山内志乃はいなかった。   『黙っていられない』くらい、好きになる要素が見当たらない。    経理部の女性と直接やりとりなどほぼない。営業では、事務職の人が対応してくれているし  実際、名前を呼ばれて彼女を見たときに“こんな顔だったか”と思ったくらいだ。  うちの会社の制服を着て、同じビルにいてやっと山内さんだとわかる程度の認識で、私服で別の場所で会った場合、彼女だと確信を持って声を掛けられる自信もない。    その程度だ。    嬉しい、嬉しくない以前に、なぜ?としか思わなかった。それに……どうも調子が狂う。    モテる自覚はある。だから、告白されること自体はよくあることだ。いつの間にか、見ててくれたってことか。そう自分を納得させる事にした。気まずいと思うほど接点もない。    ……いや、彼女は何も言わなかった。俺を好きだということ、以外は。  付き合ってくれとも、今度食事でも、とも。だから、俺が戸惑っただけだ。告白の俺が、戸惑っただけだ。まるで、たまたま仕事帰りに会っただけみたいに『お疲れ様です』なんて帰っていった。そんな彼女に俺の方が戸惑っただけだった。
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