783人が本棚に入れています
本棚に追加
ようやく、彼女は口を開く。
「嬉しい」と。
初めて、向けられたような照れたような可愛らしい笑顔に「俺も」と言った。俺も、もう“黙ってられないくらいになっちゃって”いたのだから。
しばらく見つめ合ってると
「髪がね、湿気で膨らむの、嫌だなあ、夏は」と、恥ずかしそうに髪を両手で押さえた。
そうか、真木とそうやりとりしていたんだったな。彼女が真木に触れていたのを思い出した。
「上げるといい、こうやって……」
ふわりと柔らかな髪を後ろへ梳いた。
触れる口実が出来たのだから、湿気を含んだ夏の風も、俺にとっては悪くはなかった。それと、彼女が気に入らないそんな癖のある髪も、俺にはいいものだと、思う。
“じゃ、帰るね”なんて、直ぐには言えずに
考えてみたらおかしいのだが、夕食も取らずにコーヒーと一粒のチョコレートで時間を潰していた。
何にしても、これからここへはまた来ることになるだろう。
恋人になったのだから。
それでももし、彼女が今……“泊まっていって”と言うならば……と、思わなくはないが、この日はこのまま帰ることにした。
それに深い意味はない。
家を出る前に、名残惜しそうな彼女の顔に、思わずキスしてしまったこと以外は紳士に過ごしたと思う。
最初のコメントを投稿しよう!