メリットとデメリット

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「誤魔化せないくらい、涙目だったんですけどね、彼女」  目を細めて苦笑を滲ませる香坂に、亮平は笑った。 「奥さんもなかなかの意地っ張りですね。喧嘩とかしなかったんですか」 「それなりにしましたよ。彼女も弁が立つから、こっちが折れるしかありませんでしたけど」  苦笑のまま答えながらも、その目は穏やかで優しかった。  そこで漸く、亮平は思い至る。  亡くした悲しみは、思い出を誰かと共有することで昇華されて行くものではないのか。  だが、香坂自身に身寄りがなく、妻の両親とも折り合いが悪いとなれば、共有する相手などいない。  そして恐らく、誰もが腫れ物に触るように、その話題を避けただろう。  だから、香坂の中にいつまでも悲しみと空虚とが居座り、燻り続けていたのではないのか。  吐き出せず、抱え込むしかなかったそれを、亮平に晒すのは、亮平が何も知らないからだ。  幸せだった頃の思い出を、衒いなく吐き出せる。  いつになく饒舌な香坂の横顔を見ながら、そう思った。  幸せだったのだ。確かに。  あの写真から感じたのは、間違いではなかった。  穏やかで、幸せで、笑顔の絶えない。  家族だった。  会ってみたかったと思う。  残念でならなかった。  人から聞くのとは、また違う。香坂の言葉で語られる過去は、別の感慨を生んだ。  その感慨のまま、ほう、と息を吐き出す。 「今まで、何人か付き合ったけど、そんな相手には出会えてないなあ」  愚痴るように零すと、香坂が面白がるような光を乗せた目を向ける。 「いずれは結婚するつもりがあるんですね」 「えー……まぁ。機会があれば、ですけど。でも、一人が気楽だって判り過ぎてるから、どうにも……」 「どっちですか」 「っていうのを、覆すような相手に出会えたら、ってことです」 「それはかなり手強そうですね」  くつ、と喉奥を鳴らして小さく笑う。 「だからこそ、押し付けられたくないんです。……心配してくれてるのは分かりますけど」 「有難迷惑、ですか」 「まぁ、有体に言えば」  口の端を緩く持ち上げて笑う香坂を見やり、そろりと問うた。 「―――― 贅沢者だと思ってます? 」 「どうしてですか? 」  不思議そうに問い返す香坂に、いや、と言葉を濁すと、彼は目を瞬かせた後、「ああ」と合点がいったように頷く。 「羨ましいとは思いますが、だからといって、贅沢だとは思いません。――――― そういえば、数寄屋橋さん、お父さんと折り合いが悪いって言ってましたね」 「親父とは、っていうか、親父とも、ですけど」  憮然とした口調で言うと、香坂が小さく目を瞠った。 「お母さん、も? 」 「父も母も考えが古いというか。父は一家の主であって、家長の言うことは絶対だ、って言う。母も、妻は常に夫の後ろをついて歩いて、一切口答えしない、とか。戦前か、って思いますよ。しかも、俺にまでそれを押し付けようとする。結婚しろってせっついてくるのだって、『世間体が悪い』からです」 「ああ。――――― なるほど」  不機嫌に口を尖らせて言うと、香坂は頷いてグラスを揺らす。氷が軽やかに音を立てた。 「確かに、昔はそれが普通だったんでしょうが、今は親に重圧を掛けられて、結果、良い例というのはあまり見ないですね」  思想の変化かな、と呟いて、グラスに口を付ける。  確かに親からのプレッシャーに負けたり、爆発したり、そういう子供を多く見てきた。  仕事柄のせいもあるかもしれないが。 「子供は親の分身でも持ち物でもない。別個の人間だ。たとえ親でもそこに信頼関係を築けなければ、良好なバランスを取るのは難しいということでしょうね」 「信頼関係か……。ないなぁ」  記憶を手繰り、顔を顰めて呟く亮平に、香坂が少し困ったような顔を向ける。 「でも、立派な先生じゃないですか」 「そうかもしれません。でも、俺は父のやり方が嫌いなんです。金になれば何でもいい、というような」  吐き捨てるように言うと、香坂は小さく苦笑した。 「いろんな考え方がありますからね。俺は先生のアグレッシブな弁論、嫌いじゃないですよ」 「アグレッシブ……」  その表現に、法廷に立つ父を思い浮かべる。確かに、と納得して笑った。
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