弁護士

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「もう、あの人の顔、見たくないんです。余所に女をつくったと思ったら、給料全部そっちにつぎ込んじゃって。今じゃ家に一銭も入れないんですよ。冗談じゃないわ。家政婦だと思われてる? 家政婦の方がお給料貰えるだけましですよ」  ヒステリックに喚き立てる依頼人の女性に「はあ」と曖昧な笑みを浮かべて、数寄屋(すきや)(ばし)(りょう)(へい)はメモを取った。  言いたいことを全部並べ立てて満足したのか、「じゃあ、お願いしますね、先生」と席を立った女性は、悠然と去って行く。その厚みのある丸い身体を見送って、大きく息を吐いた。 「――――― 給料入れてもらってないのに、どうやって生活してんのか訊くの忘れた」  げんなりと疲れた顔で肩を落とす亮平の前に、かつ、と音を立ててピンヒールが立ち止る。  顔を上げると目を逸らしたくなるほど派手な女がいた。  まだ幼さの残る顔は、付け睫毛もばっちりのフルメイク。やや濃いめでは、と思われるルージュの乗った唇が開く。 「また離婚調停? 亮平先生って離婚専門の弁護士みたいになってるよね」  デザイナーを目指し、服飾の専門学校に通う彼女の服装はいつも奇抜だ。ウケるー、と笑って彼女は頭の上で結い上げた黄色と赤の髪を揺らした。 「……(たまき)ちゃん。その亮平先生、っていうの、やめてくれるかな」 「だって、スキヤバシセンセイ、って言いにくいんだもん」  わざとじゃないのか、と突っ込みたくなるほど言い辛そうにする環に、何を言う気も失せて、「ああ、そう」と投げやりに頷いて中に入る。それを追って環も当然のように入ってきた。  花村(はなむら)環。亮平が法律事務所を構えているこの花村ビルのオーナー、花村繁の孫娘だ。 「はい、これ差し入れ。お母さんから」  応接セットのソファに落ち着くなり、提げていた紙袋から取り出した風呂敷包みをテーブルに置く。  どん、と置かれた風呂敷包みに「マジで!」と目を輝かせ、いそいそと包みを解くと、三段のお重が姿を見せる。蓋を取ると環の母お手製の惣菜が詰め込まれていた。 「うぉ、美味そう。いつもありがとうございます、ってお母さんに伝えといて」 「いいけど、ここまで運んできたアタシには何もないの?」 「弁護士が皆金持ちだと思うなよ」  元通りに包みながら目を眇めると、環は呆れたような眼を向ける。 「亮平先生にたかろうなんて思ってないよ。お客なんだから、お茶くらい出してよ」 「ああ、なんだそんなことか。悪い悪い」  さらっと軽く言って、部屋の隅に据えられた流しに向かう。 「今度は上手くいきそうなの?」 「何が?」  湯呑みにお茶の粉末を入れ、ポットのお湯を注ぎながら問い返すと、「だから」と環が続けた。 「亮平先生さあ、いつも相手方に会うと『どっちの言い分もわかる』とか言い出して、どっちつかずになるじゃん」  環の言い様に、彼女の前に湯呑みを置きながら口を尖らせて「大丈夫だよ」と返す。 「今回の旦那、結構酷いから」  環は「ふぅん」と気のない返事を漏らし、「そうだといいね」と呟いた。 「旦那さんとはいつ会うの」 「来週」 「頑張ってね」  そうして次の週。  相手方の男は妻の言い分を聞くなり噛みついた。 「冗談じゃないのはこっちですよ! 結婚して八年ですけどね、仕事から帰って飯が出て来たのは最初の半年だけです。後は一日寝てるか友達と遊びに出てるか。残業している私より帰りが遅い日も数え切れません。家政婦ほど働いてませんよ!」  亮平は頬が引き攣るのを感じた。 「結局、どっちもどっちってことか」  事務所の三階にある自宅に帰りつき、どかりとソファに座った亮平は、カップ麺を啜る。  味気ない夕食だが、自炊する気力もない。  リモコンを手にザッピングするが、この時間帯どこもニュースばかりだ。仕方なく適当なところで止めて、カップ麺に集中する。  女性アナウンサーが真面目な表情で読み上げるニュースの地名がこの近辺で、驚いて顔を上げた。 『――――― の河原で女性の遺体が発見されました。遺体は塩見(しおみ)()()さん。中沢(なかざわ)礼生(れお)容疑者を逮捕 ――――― 』  ずるずると麺を啜りながらニュースを見ているとインターフォンが鳴り、亮平は「はいはい」と口をもごもごさせながら玄関に出る。 「はい、どちらさま?」 「アタシ」  生憎、「アタシ」という人物に心当たりはない。首を傾げながらドアを開けると、泣き出しそうな顔をした環がいた。 「どうした?」と問うより早く、彼女が口を開く。 「お願い、亮平先生。レオ君を助けて」 「レオ君?」  どっかで聞いたな、と思いながら、環を中へ招き入れた。
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