弁護士

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 コーヒーの入ったカップを環の前に置きながら、ちらりと時計を見ると午後九時を過ぎていた。 「こんな時間に出てきて、花村のじーさんが心配するんじゃないか?」 「亮平先生のとこに行くって言ってきたから」  慌てて着替えて出て来たのか、いつもより幾分落ち着いた服装だった。それでも黒の長袖Tシャツの上に蛍光色のプリントシャツ、どこで売っているのか聞きたくなるような色のニットカーディガン。ダメージとペイントの施されたジーンズ、という出で立ちだが。十二月が迫った夜には、些か寒そうにも見える。 「で、レオ君って、誰?」 「アタシの彼氏。高校時代の先輩で、美容師の専門学校に行ってるんだけど。……逮捕されちゃって」  ぎゅ、と膝の上で両手を握り締め俯いて言う環を対面から見詰め、亮平は口に含んだコーヒーをごくりと飲み込んだ。  レオ。逮捕。  二つのワードが、ついさっき得たばかりの情報を引っ張り出す。 「中沢礼生?女性を殺したとか」 「してない!レオ君じゃないの。そんなことするはずがないんだから!」  ぱっ、と顔を上げて、必死な声で言う環を見返し、「うん」と頷いて「落ち着こうか、環ちゃん」と優しく言った。環は我に返った瞬きをして、一つ深い息をする。それを待って訊ねた。 「ニュースでは凶器に指紋が残ってた、って言ってたけど」 「それは分かんないけど……でも、人を殺せるような人じゃない。レオ君、見た目は派手だけど、中身は優しいの」  彼女に「派手」と言わしめるとは一体どんな奇抜さか、と見てみたくなり、それとなく写真があるか訊いてみた。環はジーンズのポケットから携帯を取り出し、待ち受けを見せてくれる。  まず目を引くのは、髪だった。サイドを長めに残したショートヘアは、オレンジで始まり毛先へ行くにつれて緑へとグラデーションを描いている。服装は黒っぽいものの、いわゆるパンク、というような雰囲気で、一見攻撃的にも見えた。  これは、警察の心証も芳しくないかもしれない。  胸中でちらりと思ったものの、口には出さないでおく。  環はぽつぽつとレオのことを話し始めた。 「―――― レオ君が高校卒業する時に告白して、付き合い始めたの。見た目はね、こんなカッコしてるけど、アタシには優しくてね、アタシが作ったご飯、何でも美味しいって食べてくれるの。夜は遅くなる前にちゃんと送ってくれるし。うちのお母さんが風邪引いたときも、差し入れしてくれたり。…それにレオ君は凄いの。才能あるんだよ。将来はヘアデザイナーになって世界に行くんだって言ってる。今もね、学生の部門だけど、コンテストとかで賞とか貰って、雑誌に載ったこともあるんだよ」  自分のことのように興奮して話していた環は、そこで言葉を切って、ふっと肩の力を抜いた。目線を落として、呟くように訊ねてきた。 「……そんな人が人を殺したりすると思う?」  思わない、と言うのは簡単だ。  だが、彼女の語る「中沢礼生」がどうであれ、人殺しができるかどうかの判断材料にはならない。  誰にだって「魔が差す」ということはあるのだ。  得てして殺人事件と言うのは突発的なものであり、小説や映画のような緻密な計画のもとに行われる殺人など、特殊なケースに過ぎない。  だから、亮平は何も言わず口を閉ざしていた。  環は落としていた目を上げて、まっすぐに亮平を見る。はっきりとした口調で言った。 「数寄屋橋先生。レオ君の弁護をしてください。お願いします」  深々と頭を下げる環を見て、亮平はカップを置く。  こちらの返事を待っているのか、頭を上げる気配のない環に、胸の中だけで「ちゃんと数寄屋橋先生、って言えるじゃないか」と零し、一つ息を吐いて頷いた。 「分かった。環ちゃんに頭下げさせて断ったなんて言ったら、花村のじーさんに何を言われるか分かんないからな」  弾かれたように顔を上げた環が、大きく目を瞠った目で亮平を見つめ、ゆっくりとその顔を喜色をあらわす。 「ありがとう、亮平先生!」 「――――― さっきの一回だけかよ」  満面の笑みで帰って行く環を見送って、亮平は眉を寄せて独り言ちた。
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