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「数寄屋橋先生」
ロビーを出て外階段に差しかかったところで、背後から呼び止められた。足を止めながら振り向き、意外な相手に目を瞠る。
「……香坂検事? 」
大股で近づいてきた検事は、法廷と変わらぬ無表情さで訊ねてきた。
「先生はもしかして、数寄屋橋保先生の……」
「ええ、息子です」
「やはりそうでしたか。学生時代、一度だけ先生の講義を受けたことがあって、とても参考になりました」
「そうですか」
答える声が知らず平坦になる。気にした様子も無く、香坂が続ける。
「お父様はお元気ですか」
「さあ、多分元気なんじゃないですか。私は父と相容れないので、知りません」
聞きたくもない父親の名前を出されて、正直気分が悪かった。ぴしゃりと告げると、香坂はあの目を瞬かせて「そうでしたか」と呟く。怯む様子すらなく、淡々とした口調で「それは失礼しました」と続け、つい、と目を逸らして冷えた横顔を見せた。
「では、また次の公判で」
擦り抜け様に言って、香坂はそのまま階段を下りて行く。その背中を見送って、亮平は息を吐いた。
知らず、眉間に刻まれていた皺を指で押して解しながら、亮平も階段を下りる。
亮平の父は、地方では名の知れた弁護士だ。
いくつか本も出し、教材として使っている専門学校もあると聞く。
時々請われて、講演もしているようだった。
だが、威圧的で常に自分の考えだけを押し付けてくる父親が子供の頃から嫌いだった。
基本的に考えが古い。父親と言うのは一家の大黒柱で、家長である自分に、家族は従うべき、と本気で思っている。母も母で、そんな父に黙って従うような人だから、亮平も中学くらいまでは言われるままに過ごしていた。
小さい頃こそ尊敬していたものの、中学、高校と父の仕事のやり方が理解できるようになると、嫌悪感ばかりが募って行った。
依頼人が黒でも白でも関係ない。勝って報酬を得ることが全てなのだ。
この人の正義とは何だ。金なのか。そう思った時、父のような弁護士にはなるまいと決めた。
その父の講座から、あの検事は何を学んだのか。
感情の読めない横顔が父のそれと重なって、亮平は舌打ちを漏らし、振り切るように頭を振った。
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