魔のくじ引き

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──キーンコーンカーンコーン  「おーっし!みっちー、次は体育だ!行くぞ!」  国語の西嶋先生がまだ授業の終わりを告げてないにもかかわらず、斜め前に座る慶太が、勢いよく振り向いて叫んだ。  実に嬉しそうな表情である。 「うん……あれ、今週からは柔道じゃね?」 「うわー!そうじゃん!マジかよ、もうサッカーじゃないのかぁ」  今にも教室から飛び出さん勢いで走り出した慶太は、急ブレーキをかけて天を仰いだ。  うちの中学では、6月の梅雨の時期の体育は、柔道と決まっている。雨の日は、体育館でドッジボールでもやらせてくれればいいのに、なにやら伝統があるらしい柔道部のせいで立派な柔道室が作られてしまい、それを使わないともったいないという精神かなんかで、うちの体育は、数多あるスポーツの中でも柔道の割合がやたらとでかい。  先週までとは一変して、更衣室に向かう男たちの足取りは一様に重い。 「柔道は悪くないんだよな。悪いのは北川だよ」  そう、慶太はじめ俺たちがしきりにため息をついてるのは、次の体育の授業が柔道だからという理由だけではない。体育の担当教師があの北川で、彼が柔道の専門だからである。  だから北川はめちゃくちゃ張り切っている。うちの担任の藤井先生によると、北川は張り切りすぎて生徒全員に柔道着の着用を義務にさせたいと言ったが、他の教師が反対してくれたおかげで却下された、それぐらいだ。  北川は確かに不人気だが、それを打ち消してお釣りが出るほどに、体育の授業は人気がある。しかし、彼がでしゃばってくる柔道となると、想像するのも実に恐ろしい。  彼が嫌われている理由は他にもあるのだが……それはまた後で話すことになるだろう。  体操服に着替えたクラスの男子21名が、ぞろぞろと柔道室に集まった。  体育座りで虚ろな目をした俺たちにお構いなく、一人、黒帯の柔道着に身に包んでやる気満々のハゲたおっさんが登場した。  なんかいつにもまして、顔がテカってね?  うん、脂ギッシュだよなぁ。    そんなささやき声が、どこからか聞こえてきた。 「あーあ、女子の方は体育館でバレーボールだってさ」  隣の慶太が顔は前に向けたまま、耳元に近づいて囁いてきた。  いいなぁ、バレーボールかぁ。  「よし!全員出席だな。じゃあ、準備体操いくぞ。今日の担当は……」
  出席を取り終えた北川は、出席簿を右の脇に挟むと、今度は左の脇に挟んでいた竹のような筒状の物を取り出した。  どこから蓋になっているかわからないその筒を、ねじりながら開けると、ポンッと小気味よい音が柔道場に響き渡った。開くと同時に筒の中に入っていた細い木の棒たちが揺れて、シャカシャカと音を立てる。  北川はさらに筒を振って音を立てたあと、迷うことなく一本の棒を引き抜いた。  「男子7番…佐伯だな」  クラスで一番背が高い男は、俺たちにだけ聞こえるように小さく舌打ちすると、北川の前に立ってこっちを向いた。  「あー、起立……」  「体操隊形にぃ、開け」  “魔のくじ引き”で担当に選ばれた佐伯は、気だるそうな声で号令をかけた。  そう、体育教師北川が生徒から嫌われる理由は、彼の体育教師とは思えない不養生な見た目と、この“魔のくじ引き”である。  魔のくじ引きとは、おそらく北川の食べ終えた後の焼き鳥の棒に、出席番号を1から20(俺のクラスは一人多いので21)まで書いたものが、筒に入っている。北川は授業の最初に、このくじ引きを引いて今日の担当を決める。担当に選ばれると、はじめの準備体操から最後の片付けまで、やつのドレイとしてこき使われてしまう。  いっそ出席順にでも決めてくれれば公平なのに、このくじ引きだと必ず偏りが出て、悲しい犠牲者が生まれてしまう。  だから俺たちはこれを密かに魔のくじ引きと呼んでいる。  それにしても、今日の“魔のくじ引き”はいつもと違って、鈍い光を放っている、ように見える。北川が引くときの動作もいつもより大げさになっている、ようにも見えた。  「あのくじ引き、いつもと違わないか?」  横で眠たそうに体操をする慶太に聞いてみた。  「そうか?まぁ言われてみると、筒の雰囲気が違う気もするなぁ。やっぱ満を持しての柔道だからさ、気合い入れてリニューアルしてきたんじゃねえの」  リニューアル……ね。  「……じゃあ注意事項は以上にして、実際に柔道の練習を行う。柔道は基本2人一組だからな。おまえら、前後でペアを組め。あぁそうだ、このクラスだと一人余るのか」  「よし!今からくじ引くから、選ばれたやつは今日は俺とペアだ」  なんだよそれ!生徒たちがざわめきだした。  そんなことにお構いなく、北川はくじを引く。  ゴクリ。  「おっ、また7番か。佐伯ぃ、こっち来い。」  北川はニヤっとして、7番のくじを高々と掲げた。  その瞬間、ドッと柔道場が笑い声で揺れた。  誰しもが自分の番号は引かないでくれと祈っていたところに、再び佐伯の番号が引かれたのだから、残り20人の男は、選ばれずに済んだ安堵の喜びと二連続で選ばれてしまった佐伯に対する笑いで気持ちが一つになった。  「じゃあ俺は佐伯と組んで見本を見せるから、お前たちもよく見て真似するんだぞ」  北川に体操服の右袖と襟をしっかり握られ、身体を密着させられた佐伯の目は完全に死んでいた。再び男たちからは笑い声が漏れた。  しかし、技の練習が進み、続いて寝技になると、男たちから笑い声は消え、代わって悲鳴が聞こえ始めた。 「おいおい、これ完全に抱きついてるよ」 「嘘だろ……」 「北川と佐伯、キス寸前だぜ」  さっきまでニヤニヤしていた慶太の顔も引きつっていた。袈裟固めとやらによって、脂ギッシュな北川の顔が、比較的整った佐伯の顔に最接近したのだから、こんな反応になってしまうのも無理はない。  あぁ……北川の汗が……落ちるっ!  「ああもう!北川!あの野郎!許さねぇ!」  更衣室に佐伯の声が響いた。  佐伯は、俺たちが着替え終わって更衣室を出るまでずっと、隅の洗面台で飛沫を立てて顔を洗い続け、顔についた見えない何かを落とそうとしていた。  「佐伯、マジでかわいそうだったな」  俺のつぶやきに、慶太は深刻な顔をしたまま何も答えることはなかった。  そして放課後。  俺の机の前に慶太が、やはり深刻な顔で現れた。 「みっちー、俺はあの後、4限目も5限目も6限目もずーっと考えていたんだが、やはりこの作戦を実行するしかないようだ」 「作戦?」 「いいか、ちょっと耳貸せ」 慶太はやたらと周りの様子を気にしているようなので、廊下に出て話の続きをした。 「みっちーも今日の佐伯のようにはなりたくないだろ?」 「当たり前だろ!」 「俺もそうだ。ていうか、クラスのみんながそうだ。俺はどうにか、北川からみんなを守れないか考えた。だけどな、残念だけど無理みたいなんだよ。だから、せめても俺たちだけでも助かろうってことだ」 「えー!できるのかよそんなこと」 「あぁ、いいか。今から職員室に潜入する。そして北川の机に置かれた、あの魔のくじ引きから、俺たちのくじだけ抜き取るんだ!これがミッションだ」 「いやいや、厳しいだろ。職員室にこっそり入って、北川のくじ引きに触れるって?」 「それがな、北川は毎日放課後になると、すぐに柔道部の練習に向かうんだ。他の先生もほとんど部活の顧問とかで出払ってるだろうから、チャンスは今しかないんだ」 「なるほど……」 「そのとき北川があれを机の上に置きっぱなしにしてるってのは、既に柔道部のやつから情報を得ている」 「おお!」  俄然テンションが上ってきた。このさながらスパイ映画のような潜入ミッションもワクワクするが、なによりこれで、やつの、あの魔のくじ引きから逃れられるなら……。  トン、トン。  「失礼しまー」  慶太が職員室のドアをそろりと開け、中に入り、俺もそれに続く。  「あぁ!松田に、道端もいるのね。どうしたの?」  俺たちの担任の藤井先生が、自分の机で何かの作業していた手を止め、振り返った。  「げぇ、フジイ……」  慶太の声にならない声が聞こえてきた。 「松田!今なんて言った!?そうだ、あんたね!進路希望の提出どうなってんの?ちょっとこっち来なさい!」 藤井先生の甲高い怒鳴り声が響いた。 「みっちー、やってくれ!……俺はオトリになる。だからお前だけでも北川の机にたどり着いてくれ」  慶太は振り返ることなく、後ろの俺にすべてを託した。 「俺の番号は……16番だからな!」  慶太を隠れ蓑にして職員室の真ん中にまでたどり着いた俺は、どうにか北川の机の前に滑り込んだ。  魔のくじ引き、魔のくじ引き……。  あった!  例のものは、ペン立ての隣で自分もペン立てかのごとく机の隅に立っていた。やはり以前に近くで見た粗末な筒ではなく、つやめいて怪しい高級感を放つ筒に変わっている。柔道の開始に合わせて気合を入れてリニューアルしてみました!ついでにくじに使う焼き鳥の串もまた20本食べちゃいましたってか?  んなことはどうでもいいんだ!これは恐ろしい“魔のくじ引き”だ!こんなものがあるから!みんなが不幸に!  俺は、くじ引きの筒を勢いよく開いた。  ──ポンッ!  今の音で、何人かの教師がこっちに気づいただろうか。いや、そんなの構いやしない。なんとしてもこのミッションをやり遂げなくては!  焼き鳥の串、ではなく、くじの棒を机いっぱいに広げた。    19番!それから16番!  どこだ?  19番!それから16番!  ないぞ?  19番!それから16番!  ……あれ?  くじの棒をかき分け、裏に表にひっくり返す手を止めた。  くじの番号は全部、7番になっていた。  頭が真っ白になった。  慶太の方をちらりと見やる。  慶太もまた、藤井先生に説教されながらも、どうにか俺に目で伝えてきた。  みっちー、やってくれ!  俺は机の上のくじを一気に集めると、全て筒の中に戻し、蓋をして、何事もなかったかのように元の場所に立てた。  ごめんね、佐伯。
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