(一)

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(一)

 鉢山と上原は二階フロアから駆け足で階段を下りていき、臨海警察署を出ようとしていた。県警本部から指令があり、盗難にあった証拠品を押収しに行くのだ。犯人は既に県警に逮捕され、自供を得たので証拠を確保するために指示が出たということだった。  警察署の入口のガラスドアを押し開けたところで、鉢山は若い女性が立っているのに気づいた。白いシャツにグレーのタイトスカートのスーツを着ていた。鉢山は痴漢や盗難事件の被害届けを出しに来たのだろうと思った。  しかし鉢山の予想とは違い、その女性は鉢山と上原に向かって姿勢を正し、敬礼した。そして大きな声で「須賀若葉警部補です!」と名乗った。  鉢山と上原は一瞬立ち止まったが、鉢山は「先に行っていろ」と言って上原を車に向かわせた。  そして鉢山は須賀に軽く敬礼を返し、そのまま立ち去ろうとした。 「今日から臨海署刑事課に配属になりました! よろしくお願いします!」  須賀はすぐに続けて大きな声でそう言い、敬礼から直った。 「刑事課の鉢山だ」  それだけ言って鉢山は再び立ち去ろうとした。  すかさず須賀は「今から出動ですか。私も行きます!」と大きな声で言った。  須賀が言い終わると同時に署の玄関先に上原が運転する覆面パトカーが停まった。 「鉢山さん」  運転席の窓を開けながら上原が乗るように促された鉢山は、「仕方ねぇ、お前も乗れ」と言って車の助手席に回り、ドアを開けて乗った。  「はい」と大声で返事した須賀は、すぐに車の後部座席のドアを開き、乗り込んだ。  鉢山は窓を開けて走り出したパトカーの屋根に赤色回転灯を乗せて、フロントパネルのスイッチをオンにした。大きな音でサイレンが鳴り始めた。  新人が来るとは鉢山は全く聞いていなかった。今月一日に係長が新たに配属になるというのは事前に所長から話があり知っていた。その人は警察庁のキャリア組だった。だが、今月の異動はその一人だけのはずであった。 「ところで、現場はどこですか」  その新人が後部座席から身を乗り出して聞いてきた。 「埠頭にある時田倉庫だ」 「時田倉庫……?」 「場所知っているか?」 「いえ、実はこっちの方は初めてで……。ちなみにどういう事件なんですか」 「丸山美術館から、スミス・パンクディーの絵が盗まれた」 「パンクディー?」 「俺も詳しくはないが、最近ニューヨークのサザビーオークションにそいつの作品が一点出品されたんだが、それが三億ドルの高値を付けられたらしい。それでそいつが今、注目されているのだそうだ。その作品の一つが丸山美術館に収蔵されていたらしく、それが狙われたってわけだ」 「丸山美術館ってことは、私設のところですか」 「そうだ。オークションの後、そいつの初期の頃の作品が収蔵されていると美術館が派手に宣伝したらしい。そこを一攫千金狙いのコソ泥が入ったわけだ。事件当時、警備員が一人いたのだが、窃盗団と鉢合わせしてもみ合いになり、重傷の怪我を負った。幸い命に別状はなかったが、強盗容疑で俺たちが捜査するはずだった」 「するはずだった……というのは?」 「県警に取られたんですよ、このヤマ」  運転席の上原が言った。 「僕は臨海署刑事課一係の上原です。よろしく」  須賀は「よろしく」と言い、続けた。 「そんな大事になっているんですか?」 「怪盗広尾」  鉢山は短く答えた。 「カイトウ・ヒロオ?」 「コソ泥だ、コソ泥」  鉢山は言った。それを補うように上原が続けた。 「全国で美術品ばかり盗んでいる泥棒ですよ。世間一般には知られていないけど、その犯人を警察庁から正式に『怪盗広尾』と呼称するっていう通達が何ヶ月か前にあってね。知らなかった?」 「カイトウはともかく、ヒロオってどういう意味ですか? ヒーローのことですか」 「いや、東京の地名の方だ。日比谷とか麻布とか六本木の方の広尾だ」  鉢山はやりとりに面倒くさくなり、適当に答えた。 「最初は東京広尾にあったギャラリーから絵が盗まれるという事件があったんです。その後立て続けに首都圏や関西圏の画廊やアトリエから絵画が盗まれる事件が起きて。犯行の手口が同じらしく、その犯人のことを『怪盗広尾』って呼ぶことにしたそうですよ」  上原がそうフォローした。 「へえ……」 「そういうわけで、このヤマは広域捜査で他県とも連携する必要がありますからね。所轄に任せずに県警が担当することになったんです。美術館はうちの管内でしょ。だから初動捜査は僕たちがやったんですけどね。結局『怪盗広尾』の仕業かもしれないということになり、県警に取られちゃったわけです。しかもその関係でこうして出動することになっちゃって。鉢山さんが機嫌悪いのはそのせいなんです」 「うるせえよ、ちゃんと前見て運転しろ。パトカーが事故ってたんじゃあ世話ねぇからな」 「はいはい、もう到着ですよ」  鉢山がそう言ったところで、車はスピードを落とし、停車した。  三人はドアを開けた。目の前には倉庫群が並んでいた。 (続く)
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