語り部という行き方

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語り部という行き方

 それから私は毎日のようにこっそりと、秀蘭を訪ねた。皆が私を雑に扱っているのも幸いした。居なくても心配されない。  秀蘭は寝物語のようなお話から、壮大な冒険の話、更には稀代の悪女の物語まで私に話してくれた。  そうして三年、私は九つになっていた。 「ごきげんよう、秀蘭」  離宮にこっそりと忍び込むと、ここの主はにっこりと微笑んで迎えてくれる。お気に入りの寝椅子に腰を下ろし、近くには杖を置いて。 「あら、いらっしゃい公主」 「もう、その呼び方は止めて。嫌いよ」 「そうですか?」  なんていいながら笑う秀蘭は人が悪い。でも次には親しみの籠もった声で「鳥姫」と呼んでくれるので許してしまうのだが。 「今日はね、豆沙包(あんまん)を持ってきたのよ。お茶にしましょう」 「あら、素敵ですね」  慣れた手つきで私は茶の準備をする。最初はできなかったけれど、ここに通ううちに出来るようになった。  温かなお茶と持ってきた包みを開いて、二人でかじりつく。そして並んでとても素敵な笑顔になるのだ。 「甘いものは幸せね」 「うんうん、分かるわ」 「そういえば鳥姫、こんなお話は知ってるかしら? お饅頭は元々、とても怖いお話から始まっているのよ」 「知ってるよ? 偉いお役人様が氾濫する川を鎮める為に生け贄を差し出す人々を見て、それを止めさせる為に生け贄に見立てた肉入りのお饅頭を川に捧げたんでしょ? 秀蘭、お話してくれたじゃない」  私が軽くそう言うと、秀蘭は珍しく真面目な顔をして私を見た。その目が少し怖くて、私は少し逃げたくなってしまった。 「覚えているの?」 「え? うん」 「もしかして、これまで私が話した物語全部?」 「え? うん、そうだよ?」  秀蘭は今度こそ真剣な目で私を見てくる。いつもと雰囲気が違っていて怖くて、私は思わず立ち上がった。その腕を、秀蘭が掴んだ。 「!」 「鳥姫、私の目を見てくれる?」 「え?」  突然言われて、戸惑った。私はできるだけ、人の目を見ないようにしてきたから。  人の考えが分かってはいけない。九つにもなれば私にだってわかることだ。不用意に知りたくもない心を覗き込むのは怖いし、嫌な思いもする。だからしないようにしていた。  けれど秀蘭があまりにこちらを見るから、私は思わずその目を見てしまった。黒く、ほんの少し白い陰りも見える目を。 「……私が何を思っていたか、分かりましたか?」 「……貴方は語り部の資質がある?」 「えぇ」  途端、秀蘭はとても嬉しそうな顔をして私を抱き寄せて頭を撫でてきた。優しく温かな皺だらけの手が、私を慈しんでくれた。 「貴方は語り部となるべく生まれてきたのよ、鳥姫」 「語り部?」 「そう。世界中を旅して回りながら、人々に物語を聞かせてあげるの。そうして人と触れあって、新しい話を聞いて自分の物語を持って、また旅をするのよ」  秀蘭の言葉に、私の心は沸き立った。籠の鳥は大空を知らない。けれど私は秀蘭の物語で広い世界を想像して憧れていた。この目で見てみたい。後宮よりも大きな砂漠、海という大きな水たまり。仙人の住む高い山や、伝説の龍も。西に行けば砂漠のお姫様が平民の男と愛し合って結ばれたり、宝石で出来た果実のなる木があったりするんだ。 「私、なりたい!」  伝えると、秀蘭はとても嬉しそうに微笑んで頷いてくれた。  こうして私は毎日、秀蘭の語る物語を聞いて覚え、実際に真似て話したりを繰り返していった。  そうして月日は流れ、私は十五歳になっていた。  この頃になると多少、私にも注目が集まるようになってきた。母様譲りの顔立ちを評価して、是非にと言う相手もいるらしい。一応公主という立場上、そう簡単にはゆかないようだけれど。  私の目的はもっぱら、語り部になる事だった。毎日のように秀蘭の話を聞いて、それをなぞるように語った。視線、表情、声にいたるまで気をつけて、私は私の語りを手にしていった。 「……こうして、姫は運命の男性と巡り会い、末永く幸せに暮らしたということです」  語り終え、ふっと息を吐く。そうして真っ直ぐ、目の前にいる秀蘭を見る。すると彼女は真面目な顔を崩して涙を浮かべた。 「え? 秀蘭どうしたの! 私の語り、下手くそだった? どっかお話間違ってた??」  立ち上がって駆け寄ると、彼女は首を横に振って大袖で目元を拭った。 「違うわ鳥姫。今ので、私が知っている物語は全部よ」 「え?」 「貴方は私の知っている物語を全て覚え、完璧に語ったわ。そして自分の語りもいくつか、私に話してくれた。合格よ」 「それじゃあ!」  思わず声を高くする私に、秀蘭はしっかりと頷いた。 「私から貴方に教える事は、もう何もないわ。貴方を一人前の語り部として、認めます」 「本当?」 「えぇ、本当よ」  そう言うと、秀蘭は自分の首から一つの首飾りを外した。青く澄み渡った美しい玉が一つついたその首飾りは、見る人を魅了するものだった。 「これは?」 「私の用心棒から貰った物なのよ。呼べば助けに行くと言われたんだけれど……私はもう旅は不可能だったから、呼べなかったわ」  そう言って少し寂しそうにしながら、秀蘭は私の首にその首飾りをつけてくれた。 「これからは貴方がこれをつけるのよ。語り部は長い旅の間、身を守る術を持たない。用心棒は大切なのよ」 「……秀蘭は、どうしてこれを使わなかったの?」  今まで、聞いてはいけないと思ってきた。今もそう思っている。けれど、聞きたい気持ちが勝ってしまったのだろう。  秀蘭は少し悲しそうにしながら、頷いた。 「語り部として、後宮で身重の貴妃様に語ってほしいと言われて……用心棒は男だから、入れなくてね。一晩中語って、お酒を頂いて、眠ってしまったの。気づいた時にはこの離宮にいて、手足を固定されて、二度と旅には出られないようにと」 「……酷い事をして、ごめんなさい」  頭を下げる私に、秀蘭は諦めたような顔をする。そして首を横に振った。 「最初はとても悲しかったけれど、そのうち諦めてしまったわ。こんなにしてまで語りを求めた人達も、そのうち潰えてしまったものね。貴方が来るまで、私はとても虚しくて、それこそ魔物にでもなってしまいそうだったわ」 「そんな!」 「でも、もう大丈夫。私は最後まで語り部として生きた。貴方という、生きた証を残したわ」  優しい手つきで髪を撫でる。そのしわしわの手を取って、私はそっと頬を寄せた。 「私の意志は貴方に受け継がれた。私の物語は貴方が語ってくれる。語り部として、こんなに嬉しい事はない。今日、私の思いは昇華されたのよ」 「うん」 「鳥姫、自分を信じて。諦めてはいけないわよ」 「うん」  私は秀蘭を抱きしめて、秀蘭は私を抱きしめて、二人でしばらく抱き合ったままでいた。
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